14. 人生を勝ち抜く秘訣
(一日を得て一日を過ごす)
人生を勝ち抜く秘訣
(昭和42年 天風会全国懇親会記念講演)
みなさん、ごきげんよう。天風です。
めずらしく寒さの強かった冬が、はやくも過ぎさりまして、この世はうららかな天下の春となりました。
多くを言うまでもなく、春は万物の甦りの時であります。そこで、このよき機会に、今日は親愛なる諸君に、私の心からの贈りものをしたいと思います。
みなさんは、あえて多くを申し上げるまでもなく、人生、人として活きる以上、いかなる場合にも、健康にも、運命にも勝ち抜いて活きなければ、その生命存在が無意味で、かつ無価値になり終わります。
そこで私は今日ここで真人生に勝ち抜いて活きるには、どうすればよいのかということを、はっきり申し上げたい。
それは平素、私が講演の時に言っている通り、いかなる場合にも、絶対の心をしっかりと持って活きるということです。この絶対という心は、人生の理想とする「積極心の極地」で、また人の心の本燃の姿であります。言い換えれば、心の本来の面目であると言えるのであります。
これは私の教義を聴かれたあなた方は、すでに十分にご理解のいっていることと思います。そして、この絶対的な心で実際に対応した人生に活きると、人生というものは、健康的にも、運命的にも、期せずして完全になるのであります。
それは結論から言いますと、絶対的の心の持ち方をしますと、命の奥にお互い人間として生まれた時から男女の区別なく公平に命の中に与えられている潜在意識という尊い力が発揮してくるがためであります。
そしてその結果、命の活きる力をより一層現実に力強くしてくれるからであります。これはあなたがたはもうすでにいろいろな数多くの実際証明で、私からお教えしてありますから、十分ご承知のことと信じるのであります。
しかし、天風会以外の世間の人は、こうした尊い、しかも侵すべからざる事実が、自分自身の生命の中に与えられているということを、少しも知らない人の方がむしろ多いのであります。いろいろと難しい議論や理屈を言う人が、この世の中に多い割合には、健康難や運命難にやたら貴重な人生を価値なく活きている人がかなり多いのであります。
しかし、諸君、健康難や運命難にこの貴重な人生を価値なく生かされていたのでは、人生、人として生まれた甲斐がありません。 人はこの世に病を患いに来たのでもなければ、また運命に悩みに来たのでもありません。進化と向上に順応するという大使命を全うするために、万物の霊長として生まれて来たのであります。
考えてみてください、その尊い使命をもって生まれてきたお互いがです、益なき病いに苦しんだり、いたずらなる運命に悩むとしたら、それはただ単にこの尊い使命を全うすることができないのみならず、一度しかない貴重な一生がぜんぜん無意味となって価値を失ってしまいやしませんか。
ですから、ただみなさんへの私の心からの希望は、よりいっそう心に心して絶対心(積極心)を堅持ということを、真剣に実行していただきたいことです。いかなる人生真理も、はたまた理解も、実行せずんば何におかなさん哉です。ましてあなた方は夏の修練会で無念無想になる方法や精神統一の実際方法まで教わって知っておられるのですから、何時でも簡単に操作で出来るわけです。あの呼吸法のプラナヤマ法でも、実行するとしないとでは、その結果が天地の相違のはなはだしきものが来ることを考えてみるべきであります。
いえいえ、いささか釈迦に説法のきらいがあるか存じませんが、諸君のなかにはこれはもう少ない数ではありますけれど、60や70で早死にしてしまっている人もあります。また、空しく歳を重ねていても一向に運命にも花咲かない哀れな人も見受けることがあります。
これですよ、ご本人が何と弁解してもです、煎じ詰めると人生に対する絶対的な心の持ち方に対する実行ってものが欠けているということが、その一切の原因であります。
絶対的な積極心が不足しますと、直ちに執着にこだわる相対の心というものが発生しまして、これは当然の真理の帰結ですが、結果において、人生を力弱いものになってしまうのであります。そして、やたらと健康難や運命難に苦しめられるという惨めな人間がそこに出来上がるのです。
けれどひとたび積極の心を毅然として心に持たせると、いま言いました執着という価値のない相対的の心とまったく相反した純粋無垢の尊い心が人生の全部を支配することになって、昔の聖哲の言った言葉の通り人間は随所に自己の人生の主人となり得るのであります。
さあそうなると、人生はいわゆる「天馬空」です。すなわち「志すこと叶わざるは為し」という無碍自在境に活きられる。幸福な人になれるからです。
昔の武術家はこの境涯を、不動心をもって得られると言ったものであります。そして彼らはこの不動心を創る極意としての歌を、いろいろな和歌で言い表しておりますが、
私の好きな歌が二つあります。
普段よく諸君のお耳に入れているし、あの大東亜戦争の時に、出征する青年学徒には、必ず私がはなむけとして詠んでやった歌ですが;
切り結ぶ 刀の下こそ 地獄なれ
身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ
というのであります。もう一つ好きな歌は;
春雨や 草木もわけて ふらねども
受ける形の おのがさまざま
これはみな不動心の養成のための歌でありますが、不動心というのはさっきから私が言っている、絶対心(積極心)のことであります。
いずれにしても、こうした侵すべからざる真理を、正しく知り得ているあなたがたは、常に心して絶対心を堅持して、健康にも、運命にも、真に生き甲斐のある人生を創って、そうして日常の人生を活きる際、どんな大事に直面してもいささかも臆することなく、さりとて些細なことだからといって、けしてこれを侮らずに、どんな場合にもまたどんなことにも、誠心誠意をもって自己の最善を尽くし、常に真剣に人の世の幸福のために尽くすという、真本領を発揮することに心を込めて努力いたしましょう。
では、これでもって、あなたがたへの、私の心からの今日の贈りものといたします。
ごきげんよう。お元気で。
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