05. 真の積極について
真の積極について
天風哲理の特徴は「積極」ということですか?
A: そうです。「積極一貫」です。
ですから、天風哲理は心を積極化するために、相当の時間を費やしています。
天風哲理の積極とは、どのようなものですか?
ですから、天風哲理は心を積極化するために、相当の時間を費やしています。
天風哲理の積極とは、どのようなものですか?
A: 一般用語として「積極」がありますが、この「せっきょく」は、二義的な相対的な積極を意味しますので、天風哲理ではそれと区別するために、哲学用語として「せきぎょく」と呼んでいます。
二義的、相対的積極と言いますものは?
A: 多くの人が考える積極は消極という相対比較で考えていまして、消極でない態度すなわち、強気、負けん気、頑固、強情、意地張り、出しゃばりなどをさしています。
確かに現象界は相対と対立の中にありますので、活きて行く上で負けまいとする心も大切ではあります。また、理性的で自己統御のできた真面目な人は、ほとんど相対的にも積極な人であります。
しかし、これだけではまだ欠けていて不足しています。「何かあるのが人生でして」相対的積極ですと何かの相対条件に負けてしまうと即座に消極的な心になってしまいます。この積極ですと主体性に欠けていますかので常に相対の条件的なものに振り回されてしまいます。ですから、真の積極は勝ち負けの条件つき相対を乗り超えたところに求めねばなりません。
確かに現象界は相対と対立の中にありますので、活きて行く上で負けまいとする心も大切ではあります。また、理性的で自己統御のできた真面目な人は、ほとんど相対的にも積極な人であります。
しかし、これだけではまだ欠けていて不足しています。「何かあるのが人生でして」相対的積極ですと何かの相対条件に負けてしまうと即座に消極的な心になってしまいます。この積極ですと主体性に欠けていますかので常に相対の条件的なものに振り回されてしまいます。ですから、真の積極は勝ち負けの条件つき相対を乗り超えたところに求めねばなりません。
では、どのようにして真の積極を求めるのですか?
A: 心を明るく、朗らかに、活き活きとした勇ましさで、心を動揺せぬように溌剌颯爽とすることです。そして相対条件つき積極にとどまることなく、ランクを上げて、何時でも、どこでも積極「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山」の心境をめざすことです。
なぜ何時でもどこでも積極心が必要なのですか?
A: 真の積極心が特に必要な時は、まず病いの時、不運な逆境の時、不幸福な時にです。
このような時に世間一般では、心が落ち込み消極的な心になってしまうのですが、そのような時にこそ尚更に積極心を堅持することが必要になります。それには日頃からの心がけと努力が大切になります。日頃から修行していますと、大切ないざという時にさらりと積極心が出てきます。日頃その努力を怠るといざ鎌倉の時に慌てて、積極心を神に頼んでみてもそうは問屋が卸しません。世の中そう都合よくできていません。
その真の積極心の獲得する方法とは?
このような時に世間一般では、心が落ち込み消極的な心になってしまうのですが、そのような時にこそ尚更に積極心を堅持することが必要になります。それには日頃からの心がけと努力が大切になります。日頃から修行していますと、大切ないざという時にさらりと積極心が出てきます。日頃その努力を怠るといざ鎌倉の時に慌てて、積極心を神に頼んでみてもそうは問屋が卸しません。世の中そう都合よくできていません。
その真の積極心の獲得する方法とは?
A: 天風哲理は特にこれに時間を費やしています。
第一グループは;
日頃から実在意識に対して積極精神の養成法です。
・積極本位で活きる態度。
・内省の検討・暗示の分析・人に対する積極態度
・取り越し苦労の厳禁・本心良心の実行。
第二グループは:
潜在意識に対して観念要素の更改法です。
・言葉の検討 ・不平不満の厳禁 ・感謝本位の生活。
第三グループとして安定打坐により無念無想の雑念妄念を拭き払ったところから本心良心がでてきます。
この本心良心は、尊く、強く、正しく、清い心で、すなわちこれが真の積極となります。
その上で、さらにクンバハカ法で、心を安定させ肉体の調整をおこなうことです。
第一グループは;
日頃から実在意識に対して積極精神の養成法です。
・積極本位で活きる態度。
・内省の検討・暗示の分析・人に対する積極態度
・取り越し苦労の厳禁・本心良心の実行。
第二グループは:
潜在意識に対して観念要素の更改法です。
・言葉の検討 ・不平不満の厳禁 ・感謝本位の生活。
第三グループとして安定打坐により無念無想の雑念妄念を拭き払ったところから本心良心がでてきます。
この本心良心は、尊く、強く、正しく、清い心で、すなわちこれが真の積極となります。
その上で、さらにクンバハカ法で、心を安定させ肉体の調整をおこなうことです。
それでは真の積極心について総括をお願いします。
A: 何かあるのが人生で、何もないことはない。さすれば何かあるこの人生を積極的に颯爽として敢然と乗り超えて行くところに、人間本来の面目があるというものです。
「坐右箴言の誦句」は、まさにその真の積極心の境地であります;
「坐右箴言」
「私は最早何事をも怖れまい。
それはこの世界並びに人生にはいつも完全ということ以外に、
不完全というものがないよう宇宙真理ができているからである。
否この真理を正しく信念して努力するならば、必ずや何事といえども成就する」。
すごい本題であります。真の積極の人にし、初めて言い得る断言です。
では、だったらどうする;
A: 「だから今日からは、如何なることがあっても、また如何なることに対しても、
かりにも消極的な否定的な言葉を、夢にも口にするまい。
そしていつも、積極的で肯定的の態度を崩さぬよう努力しよう。
同時に、常に心をして思考せしめる事は、人の強さと、真と、善と、美のみで
あるよう心がけよう」。
本題の説明になります。
「真と善と美」とは人間の本心良心における「誠と愛と調和」に該当し、宇宙霊と直結した心となります。その宇宙の思考は、常に積極でありますから、それに直結した心もやはり積極となります。
「たとえ身に病いがあっても、心まで悩ますまい。
たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。
否、一切の苦しみをも、なお楽しみとなす、強さを心に持たせよう。
宇宙霊と直接結ぶものは心である以上、その結び目は、断然汚すまい事を、
厳かに自分自身に約束しよう」。
こうして絶対の積極に立つ者は強いものです。
「坐右箴言の誦句」は、まさにその真の積極心の境地であります;
「坐右箴言」
「私は最早何事をも怖れまい。
それはこの世界並びに人生にはいつも完全ということ以外に、
不完全というものがないよう宇宙真理ができているからである。
否この真理を正しく信念して努力するならば、必ずや何事といえども成就する」。
すごい本題であります。真の積極の人にし、初めて言い得る断言です。
では、だったらどうする;
A: 「だから今日からは、如何なることがあっても、また如何なることに対しても、
かりにも消極的な否定的な言葉を、夢にも口にするまい。
そしていつも、積極的で肯定的の態度を崩さぬよう努力しよう。
同時に、常に心をして思考せしめる事は、人の強さと、真と、善と、美のみで
あるよう心がけよう」。
本題の説明になります。
「真と善と美」とは人間の本心良心における「誠と愛と調和」に該当し、宇宙霊と直結した心となります。その宇宙の思考は、常に積極でありますから、それに直結した心もやはり積極となります。
「たとえ身に病いがあっても、心まで悩ますまい。
たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。
否、一切の苦しみをも、なお楽しみとなす、強さを心に持たせよう。
宇宙霊と直接結ぶものは心である以上、その結び目は、断然汚すまい事を、
厳かに自分自身に約束しよう」。
こうして絶対の積極に立つ者は強いものです。
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