09. 安定打坐について

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 なぜ「安定打坐」をするのか?
           (平成元年夏期修練会、真理瞑想「運命を拓く」)

 最後の質問になりますが、なぜ安定打坐をするのですか?

A: それは、安定打坐をすることで、雑念妄念を除去し、一心から無念無想の無心の境に到入し、本心を煥発させるためです。
 安定打坐を実行して雑念妄念を除去させて行くと、心が集中してきて一心になり、やがては無念無想の状態になり、そこに自ずから本心が煥発されてきます。

 もう少し具体的にわかりやすく説明をお願いします?

A: それでは具体的に5つに分けて説明をして行きます。
 第一に、感覚の統御のため。
 雑念妄念を起こすきっかけは何かというと感覚の刺激が直接的な動機となります。我々は雑念妄念を除去するにために感覚を制御しなければならなりません。五感感覚を脳に持って行くのは意識であり、意識がなければ五感感覚は働きません。ですから意識を明瞭にし、これを制御しなければ刺激が大量に脳に入り込み混乱した状態になってしまいます。
 しかし、脳はそれをうまく整理する機能をもっていて、必要なものだけを取り入れて不必要なものは入れない自主的な制御機能をもっています。これが脳のいいところで、もしこの装置がなければ人間は環境の動物になってしまい、環境にすっかりやられて、受け身的な弱い動物になってしまいます。この制御は意識の対象によって選択がなされ、注意を注ぐと入ってきて注がぬと入って来ても少ししか入らないものであります。我々の注意の仕方によって我々の感覚や知覚は制御できるものです。
 ですから「心をば 虚空の外におきかえて 五感気にすな 打坐の妙法」と言ってます。これは感覚の制御です。心の持ち方によって感覚は相当に違ってきます。心の持ち方で同じ荷物でも重くなったり軽くなったり、同じ距離でも近くなったり遠くなったりします。心をどう置くかによって日常生活が大きく違ってきます。
 まさに「人生は心一つの置きどころ」です。だから心は積極的に置かなければならないということです。

 第二に、声なき声を聴くため。
 我々が耳で聞いている音の世界はわずか12サイクルから2万サイクル程度です。人によっては3万サイクルまで音として聞こえますがこれらは有声です。この中にピアノ、オルガン、雷、自動車の音もあり、我々はそれを肉耳で捉えています。犬は8万サイクルと言いますから我々より小さな音でも捉えます。我々は3万〜12サイクル以外の無限にある音や振動は聞こえません。これを音なき音、声なき声といいます。宇宙空間はこれです。現象界は有声の世界で本体界は無声の世界です。
 それではこの無声の声を聴く体験はいかにすべきか。無声の声はこれ肉耳をもって聞くにあらずして、心耳をもってこれを聴くべしです。心耳は心の感覚で捉えるもので、この心がいわゆる本心です。本心のもつ純粋直感で体験的に捉えていくと聴こえてきます。
「安定の打坐密法の真諦は 心耳を澄まし 空の声きく」です。 

第三に「絶対真」の確立のため。
 天風先生はこの本心を先生らしい表現で「絶対積極」と言っております。しかし、この絶対積極というものは大変に内容が深いのでもう少し内容を分析してみると、本心は「絶対真」を捉えて行くものです。
「心に塵をつもらざれば、森羅万象おのずから見ゆ」、鏡にほこりがついているとはっきりは映らない。心がきれいならば素敵な姿が映ってきます。その素敵な心で、宇宙、人間、人生を貫いているところの真理、原理というものを捉えることができます。
 その真理、原理を懸命に捉えようとしているのが科学であります。科学者は純真さがなければならないし、本心が煥発していなければ一流の科学者にはなれません。哲学者もまた懸命に原理を捉えようとしています。これも真であります。
 哲学者は思索と純心直感で原理をとらえます。哲学者も本心が煥発した人でなければならず、その本心で捉えて一流の哲学ができあがります。
「絶対真」にもう一つあるものは、自己の本質を捉えて行くのが本心です。宇宙の本質を捉えて行くのが本心でして、これを捉えた時の感動的な体験を悟りといいます。
「悟り」とは「心」偏に「吾」で、吾の心の働きであります。この働きが本心です。
 この本心で捉えた時に「あ、そうだ!」という、感動的な悟りとなります。これは理屈ではなく本心から湧き出て来るものなんです。これが本当の意味での宗教となってくるものなんです。
 宗教というものは、神に「お願いします」、「祈ります」なんてものではなく生命の実体験であります。科学、哲学、宗教というものは、いずれもこの「絶対真」なるものです。
 そういうものを打ち立てる根本が本心であり、それを「絶対真」「絶対積極」と、言います。

 第四に、「絶対愛」の確立のため。
 彼氏が彼女を好きだというのは、恋であって愛でありません。恋と愛とを間違ってはいけません。恋だったら春になれば猫だってできるんだから難しくない。愛は普通の人にはできないんです。種を蒔き、芽が出て、葉が伸びて、花が咲き、実を結び、一切を育て繁栄させ、進化向上させようとする大生命の心が愛です。母親も心と同じですよ。
 本心は愛です。神の心は愛であります。仏の心も慈悲であり同じことです。愛、慈悲、それが思いやり、いたわりということになります。これは本心のところから発動してくるのであります。こ
 
れが具体的には、正直、親切と言う行動に出てくると、これを倫理あるいは実践性を強めて行くと道徳になります。倫理というのは論理的研究ですから倫理学で道徳は実践的です。ですから一流の思想の中には、愛があり、慈悲があり、思いやりがあり、いたわりがあります。それらは宇宙の心であるからです。

 第五に、「絶対調和」の確立のため。
 本心の働きで最高のものは「絶対調和」です。
 これを人間の営みでみて行きますと、まず絶対調和をめざしているのは芸術であります。美とは調和でありバランスであります。その美というものを捉える心が本心です。きれいな心が、野に咲く花を見て「あ〜美しい」と感動し、その美を捉える心が本心です。

 ですから芸術家の心は清らかでなければ一流の芸術家にはなれません。感動的に捉えた美を表現するのが芸術であり、色彩で表現するのが絵画、音で表現したのが音楽、型で表現したのが彫刻、体で表現したのがバレーや日本舞踊、また、文字を使って表現したのが、俳句、短歌、詩、小説、総合的にこれを表現したのが、映画、演劇であります。
 人間は美を追求して行きます。このような高度な営みの本源は本心であります。だから本心を煥発できた人間は、一流の芸術家、一流の哲学者、一流の科学者、一流の宗教家になれるのです。天風哲理で指導しています「安定打坐」というものは、真に人間文化の根本的な資格をみな様に与えているのであります。
 本心の煥発これはすごい感動となって煥発してきますが、日常生活においてこの心の状態を無心といいます。とらわれのない心、こだわりのない心、邪念妄念のない心が無心です。日常生活のなかで無心の状態になっている時に最高の働きができます。
 剣の世界の極意もこの無念無想を理想とし、禅からの無念の境地と、剣からの無想の境地を「禅剣一如」として追求しました。現代は剣の時代ではないが、我々の仕事上でも無心で行った場合は最高の働きをします。
 何時でも無念無想になれる人というのは強いですね。ですから技のトレーニングとともに、心の安定をはかろうということはとても大切なことなのです。

 以上みてきたように。安定打坐は本心の煥発をもって、科学、哲学、宗教、倫理、道徳、芸術につながっているのと同時に、日常生活をすばらしいものにしてくれるものです。無心の状態になった時に、我々は素晴らしい生活をやってのけることが出来るのであります。
 ですから安定打坐というのは、ただここで15分だけ目をつぶり坐ればいいというわけのものでなく、目をつぶって何時でもどこでも10秒、20秒でもいいからおやんなさい。心の曇りがさ〜と取れてくるし、心をリフレッシュしてきます。そしてまた本心を煥発してきます。
 いわば、悟りへの直達法が安定打坐であります。
 しかし、いくら解説がわかっていても、実践しなければ理解だけで終わってしまいます。
 「安定打坐法は、正当なる思量と断定とを生み出す絶対的蜜法であるから、それを心して践行と努力をすべし」です。
 しばし、姿勢を整えて、安定打坐を行ってください。

      *         *          *
『補習』

 『山田務名先生の安定打坐法』  

 安定打坐とはなにかを、具体的に開示しています。
 私はすでに諳んじているほど聴いているのに、迂闊にも書き起すことに思いつきませんでした。
 理由はこのテープに、鐘の音、ブザーの音の他、小川のせせらぎや鳥の声、潮騒など自然界の音が収録を書き表せないことによります。しかし、こうした自然界の音を差し引いても、たいへんに優れた補導になっていますので、新たに書き起すことにしました。

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山田務名先生の安定打坐補導

それでは心静かに安定打坐法をいたしましょう
まず長続きのする姿勢で、肩の力を抜き、背筋をのばし、顎を引く
手は双輪の印を組んで、下腹の前におきます
目をとじて、これから聴こえて来る、小川にせせらぎや
うぐいす、カッコウの声など、自然の音に耳を傾けましょう
しだいにあなたの雑念は整理され、諸々の感覚が制御されてゆきます

(小川のせせらぎ、うぐいす、とり、カッコウの声、自然の音)

(潮騒の音)

寄せては返し、寄せてはくだける波の音、いまやあなたの心は 
この潮騒の響きだけにしぼられ多心から一心へと誘いこまれてゆきます

(潮騒の音)

(鐘の音)

(ブザーの音)

鐘の音、ブザーの音が消えて行くのに合わせ
ス〜と、一心から無心の境に入って行く
もう、なにも思わない、なんのこだわりもない無我無念の境であります
心をば 虚空の外に置き換えて 五感気にすな、打坐の妙法

(鐘の音)

なにも思わぬは、仏の稽古なり
なにも思わぬところから、なにもかもするがよい
たとえば医者の診断、野球やゴルフなどのスポーツ、絵画、
音楽などの芸術、その他あらゆる分野にわたって
先ず無心になって行えば、最高の技量が発揮されるようになります
そしてさらに、テレパシーなどのいわゆる超能力も
無心の働きによって生まれるのです

(ブザーの音)

ブザーの音、鐘の音の消えたあとの静寂
たとえ外界からの人の声、車の音などが、肉体の耳に入ってきても、
無心となった心の耳にはとどきません
心の耳は、声なき声、空の声だけを聴くのであります

安定の打坐密法の真諦は、心耳を澄まし空の声きく
心をば、静かに澄ます 空の空

(鐘の音)

心耳とは、本心の耳であり、そこに聴こえるのは直感、閃きであります
心耳に空の声が聞こえたとき、あなたの心眼には
あらゆるものの、本当の姿が映ってきます
心に塵をとどめざれば、森羅万象おのずから見ゆ
そして、我は宇宙霊と一体なりという感動的な悟りが
あなたの本心を貫くでありましょう

(ブザーの音)

本心が、宇宙霊との一体感を把握したとき
大きな不思議な力が、あなたの体内に湧き起こってきます
そして、重い難病がいつのまにか治ったり
危機一髪の生死の境から助かったり
奇跡的な現象が、起きることにもなるのです
これは創始者の天風先生をはじめ
多くの会員たちの実例によって証明されております
さぁ、後はただブザーの音、鐘の音にまかせて一心から無心の境へ
さらに本心の煥発へと、ひたすら修練に努めましょう
確固たる信念と、ゆるがぬ真剣さをもって、、、

(鐘の音)

(ブザーの音)

のテープを聴いています。

音源 平成元年夏期修練会 山田務名先生の安定打坐補導 (1/4)

音源 平成元年夏期修練会 山田務名先生の安定打坐補導 (2/4)

音源 平成元年夏期修練会 山田務名先生の安定打坐補導 (3/4)

音源 平成元年夏期修練会 山田務名先生の安定打坐補導 (4/4)

 ここで安定打坐とはなにかを、具体的に開示しています。私はすでに諳んじているほど聴いているのに、迂闊にも書き起すことに思いつきませんでした。
 一つの理由はこのテープに、鐘の音、ブザーの音の他、小川のせせらぎや鳥の声、潮騒など自然界の音が収録されていることによります。しかし、こうした自然界の音を差し引いても、たいへんに優れた補導になっていますので、新たに書き起すことにしました。
 (私の場合20分ほどの収録を聴きながら、同時並行させて「ひとりマッサージ」と「真向法」を実行しています。時にブザー音のあとの静寂さに、そのまま打坐をしていたい気持ちになりますが、時間の制約もあり打ち切っています)

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