02. How to do ?
How to do ?
天風教義は実践の書です。
先ずは実践ありきで、その哲理の裏ずけとして理論が補填されています。ですから哲理を繰り返し読んで理解しても実践がともなわねばさしたる意味もなく「宝のもち腐れ」になります。
宗教の教義は神を信じ戒律を定め、雑念妄念を取り払い、邪心を起すなかれ、嘘を言うなかれ、盗むなかれ、争うなかれと戒めています。どれもがごもっともで尊い教えなのですが「なかれ」と抑制し「するべからず」と戒めても、心の方が素直に「はい、わかりました」と、すぐさま改心できるほど人間の心は単純にできていません。
もし教義や戒律を聞いただけで即座に実行できるのでしたら、とうの昔に邪心も、人殺しも、盗みもなくなり、戦争もなくなり、この世は天国の花園になっているはずです。教義を聞いただけですぐに心が改まるのなら、心の問題はいとたやすく解決できますが、そうは問屋が卸さないのが現実です。
心はもっと複雑でして教義や戒律や祈りだけでは解決できません。「改心できないのは信仰が足りないからだ」と、言われてしまえばそれまでですが、それではあまりにも人間の潜在意識に関する洞察が欠落しています。多くの人は理性と本能の狭間で「わかっちゃいるけどやめられない」というのが現実です。また、心の問題を解決するために坐禅やヨーガで難行苦行をしても多くの修行者は悟ることができぬほど心の統御は難しいものです。
一方、神の拘束から解放された近代理性は、法律や倫理道徳をもとに「するなかれ」と抑制し、「するべからず」と本能心を統御しています。理性による心の飼い馴らしですが、それでもやはり多くの人は理性と本能の狭間で葛藤し、時には理性が本能や感情に打ち負かされ、やってはならない事をやってしまって後悔し、自分の心の弱さを歎くことを繰り返しています。こうしたことは世の中の犯罪をみれば一目瞭然でして、心の統御ができないから今日に至っても宗教が栄え、理性と法による社会規制が必要になっているわけです。
宗教や倫理道徳は心の問題を説いていますが、心をどのように使えばよいのかを教示していません。潜在意識の重要さを説いていますが、それをどう改善し活用してゆくか説示していません。心が本能や感情に打ち勝つための具体的な実践方法を教えていません。薬に例えれば効用の説明だけで使用法が書いてないわけです。
"How to say"の「教義」に比重を置き "How to do"の「実践」に重点を置いていません。"How to say"と「言うは易し」、されど "How to do"「行うは難し」で、これではいつまでたっても心の問題は解決しません。
しかし、私たちは観念の世界ではなく現実の世界に活きています。現実の問題は観念でなく現実の手段でしか解決できません。どんなに高尚な教義でも世界の名言集を暗記してみても、どんなに知性と教養を持っていようとも、それが現実の生活に役に立たなければ無用の長物でさしたる意味もありません。たとえどんなに文学的な美辞麗句を使って形容してみても、どんないい文章を読んで感激したところで、それが自分の現実の心に結びつかないのなら、知識だけで智慧にならずに、ただ感激し感動して喜んだだけで終わってしまい、
現代人の多くがあり余る知識を持ちながら煩悩し不幸になっているのは、知識や観念だけにとどまり智慧になっていないからです。なんの実ゆもなしに知識や観念だけを求めても智慧になりません。ここに今日たくさんの人が大きな誤解をしている事があります。知識でわかっている事と、それができるという事は別の次元です。口では何とでも言えますが、智慧の獲得には具体的な実践が極めて重要になります。
天風哲理は先ず "How to do"を実践し、その効果を実証してから "How to say"の教義を補填しています。実証が先で教義が後になっています。天風師は本人が体験して習得した事しか教示していません。どこまでも実証主義を貫いています。ですから長寿に関する教義は本人が80歳を越えてから始めています。これをみてもわかりますように実証のない観念だけの教義はしていませんので血の通った実証哲学になっています。先ほどの薬の話しに例えますと、効果と使用法の説明だけでなく保証書まで付いていることになります。
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