07. 宇宙の根源主体
(不動明王)
宇宙の根源主体
宇宙の究極的な根源を探求している物理科学と宗教哲学はしだいに接近してきています。
宇宙の根源的なエネルギーを西洋思想では、愛、結合力、親和力などと称し、超越、実存、存在などと呼んでいます。そして宇宙エネルギーをニュートン物理学にみられるように、時間と空間の枠組みのなかで認識してきました。
一方、東洋思想では、天、無、空、実相、宇宙霊などと称し、宇宙エネルギーを生成から発展しやがて消滅して行くという、宇宙生命の自己回転と認識してきました。
科学方面でみて行きますと、例えば1977年に打ち上げられた宇宙探査機ボイジャー2号は、宇宙空間の遥かかなたから、木星、土星、天王星、海王星を通過して鮮明な画像を送ってきています。現在も太陽から約138億万キロメートル離れた空間を飛行しています。
また、2010年6月13日に「はやぶさ」が、宇宙空間を7年間60億キロメートルの飛行を続けて、地球上に無いイトカワ微粒子を採集して奇跡的な帰還を果たしました。この感動的なニュースは映画にもなり、私たちの新鮮な記憶となっています。
こうしたマクロの世界とは逆にミクロの素粒子物理学では、原子核の探求を続けてつぎつぎとクォーク粒子を発見しています。宇宙の根源を知ろうとすると素粒子の探求は宇宙のマクロの世界とミクロの世界が、両極端にありながらも切っても切れない密接な関係になっています。科学はこのように大宇宙と小宇宙の統一原理の探求を続けています。
アメリカの物理学者フリッチョフ・カプラは、人間の宗教や芸術の創造と宇宙の根源エネルギーとが密接な相関関係にあるとして、「宇宙から流れ落ちる高エネルギー粒子の滝と、その中でリズミックに脈打ちながら生成・消滅する粒子、さまざまな元素の原子。それと私の体の原子がともにエネルギーのコスミック・ダンスを舞うのを観た。そのリズムを感じ、音を聴いた」と、述べています。
その他にも多くの物理学者が現代物理学と東洋の宗教やギリシアの宗教思想との間にある種の類似関係を指摘しています。
桜井邦朋元NASA主任研究員は著書「宇宙には意思がある」のかで「宇宙には『宇宙の意思』のようなものが存在している。こんなことを書くと人間を超越した創造主の存在を認めるようで、不本意なのだが、そうとでも思いたくなるようなところが、この宇宙には数多くある。もちろん、物理学はあくまでも科学であって、宗教とは一線を引かなければならない。しかし、物理学の発展は、もう『宇宙原理』そのものに肉薄するところまで来ているのも事実である」と、記しています。
一方、人間と神との仲介に立つ宗教界は、永遠に生成してやむことのない宇宙の諸現象の背後にある究極の霊的実在を探求しています。宗教は人間の知性では判断できない宇宙の根源エネルギーを、神、仏と称しました。神とは宇宙創世の太初から活動し永遠の生成化育を繰り返している宇宙の根源主体であり、宇宙の一切を司る神秘な力を形容するために尊敬と驚嘆の念から人間が作った言葉です。
世界の諸宗教は各国、各民族がそれぞれ違った地理的環境や違った風土、歴史文化の背景のなかで、それぞれ人間の存在と宇宙の根源的主体との統一性と調和を探求し、永遠に生成してやむことのない宇宙エネルギーの背後にある霊的実在を求めています。そしてそこに共通しているのは、神とは宇宙の根源的エネルギーを象徴したものに他ならないという「万教帰一」の同位性で結ばれていることです。
ヒンズー教の大覚者・ラーマクリシュナは「不滅の言葉」のなかで、諸宗教の地球的同位性について「信者たちは、神のことをいろいろな名前で呼んでいるが、ひとりのお方を呼んでいるんだよ。一つの貯水池に、いくつもの水汲場がある。ヒンズー教ではこちらの水汲場で水を汲んでジョルといい、イスラム教徒はあちらの水汲場から水を汲んでパーニーと呼び、キリスト教徒はまた水汲場から汲んでウォーターとよんでいる。また違う水汲み場から汲んでアグアと呼んでいる人たちもいる。一つの神にいろいろな名前がついているんだよ」と語っています。
こうした意識は神道の「天神(あまつかみ)」の宇宙構成にもみられます。「ひらけば、一神は万神を象徴し(一神は万神に展開し)、捲けば、万神は一神に帰する」と、多神教でありながらもつねに一神への回帰を潜在的に秘めていています。万神への信仰はすなわち一神への信仰という「万神帰一」の信仰形態を秘めています。
このように世界の諸宗教はだいたい同じような教義をもっています。これは宗教がもっているのでなく宇宙の真理がそうだから教義もそのようになっています。
この宇宙の根源主体を、仏教では仏が一切を生かす根源であり「南無阿弥陀仏」、「南無妙法連華経」、密教では宇宙からの光を「大日如来」と唱え、宇宙の根源主体へ帰依することを念じています。
インドではヨーガとその流れをくむヒンズー教では、「梵(ぼん)」が、宇宙の根源的エネルギーの現れであるとして「宇宙霊」と呼んでいます。「梵」は宇宙の大生命を意味し、そこから放射された「我」を小生命と認識し、宇宙霊と我とを一体化せしめることをヨーガの究極な悟りとしました。「梵我一如」この二つを一体化させて宇宙の実相を悟った人を、ブッダ(覚者)と称して最高に讃美を与え理想の人としました。
かつて中国では「先天の一気」と称し、目に見えない気の働きから万物が産みだされるとしていました。「天」を中心とした自然信仰は宇宙の法則を「天道」とみなし「天道」に従って生きることを「人道」としました。「天道即人道」これをバランスよく「中庸」させた人を「聖人」として讃えました。
日本の神道では「天地(あめつち)の初め」に、宇宙創成の初発に働いた根源エネルギーを「天之御中柱神(あまのみなかぬしのかみ)」と称し、目に見えない「隠れ身」の生成化育の元で総べての生命が産まれるとしています。神霊は宇宙根源エネルギーそのもので宇宙創成の時に働いた神霊の創造力が、いまも、どこにでも、誰にでも「中今」に働いていると捉えています。
ユダヤ教では「旧約聖書」の初めにある「創世記」で、宇宙の根源力として天地創造の絶対神ヤハウェに対する讃美と信仰が中心になっています。
イスラム教では「旧約聖書」を起源にする絶対神アラーへの無条件的信仰です。旧約の宗教意識とギリシアの星座信仰の宇宙観を融合させ宇宙の永遠の生命を感得した「コーラン」が中心思想となっています。
「神は愛なり」と説いたキリスト教は、ユダヤ教の一分派でしたが、ユダヤの地を離れギリシアの星座信仰と融合してローマに入城して普遍的な世界宗教へと発展して行きました。「天にまします、われらの父よ」の祈りは「天にまします父」ヤアフェ神が宇宙の根源主体の象徴で、イエス・ キリストはその光の子として闇夜に輝く聖なる「永遠の星」とされました。
天風哲理は、宇宙の巨大なエネルギーが有する計り知れない叡智と絶妙な創造活動を、大宇宙の根源的主体として尊び「宇宙霊」と称しています。英語でいうところの "The spirit of Universe" です。宇宙霊とは霊妙な働きをする大宇宙の根源主体のことでして、万物の一切を創り、産み、生成させ、繁殖させることから、宇宙大生命とも称しています。その宇宙大生命の本源中枢が「宇宙霊」と認識しています。
こうして、神の愛、仏の慈悲は、ダイナミックな力で働き生成と消滅を続け、いずれも宇宙、地球、物質、生物、有機物、無機物などと成って満ち満ちています。形式や象徴は異なっていても世界のあらゆる宗教の本質は、宇宙こ根源主体を説いた宗教意識に向かっています。
さらに芸術の領域でも、レオナルド・ダビンチの絵画、ミケランジェロの彫刻、モーツアルトやベートーヴエンの音楽、ゲーテの詩、日本では伊勢神宮、那智の滝、能、詩歌などに、宇宙的宗教感情の表現とみられるものが少なくありません。これら科学、宗教、哲学、芸術などを通して、人間と宇宙の根源主体との調和をめざした人間精神の表現であります。
そしてこうした精神の働きから産み出された小生命の中枢が霊魂となります。この小生命の霊魂は宇宙霊の分派と同質のものですから、小生命の霊魂には宇宙霊と同質の働きが付与されていることになります。宇宙根源主体を大海の水とすれば、霊魂はその一滴の水となります。ですから私たちは宇宙霊の分流という尊い存在になるわけです。
トラックバック(0)
トラックバックURL: https://www.tempu-online.com/mt/mt-tb.cgi/11
コメントする