7月の読書はすべてパラマハンサ ヨガナンダ著「あるヨギの自叙伝」「人間の永遠の探求」「メタフィジカル瞑想」「科学的な癒しのアファメーション」「神と話をする方」の著作につぎ込みました。
6月8日に天風師が上野恩賜公園の樹下石上で辻説法をはじめた百周年記念を祝い、これで私も一段落と思いきや、急に石上の奥深くに潜むヒマラヤのヨガの里が恋しくなってしまいこれらの著書を読み始めた次第。
著書には多くにヨガの大師、覚者、聖者の哲理が述べられています。ヨガの哲理と天風哲理の出自が共通していることもあり、ヨギの叡智と天風哲理の多くが重なり合っていたことでした。読み進めるにつけ一体どちらの哲理なのかと錯覚するほどでした。天風師は私が考えていた以上にヨガ思想の影響を受けていました。
大きな違いとしてヨガナンダはインドヨガの叡智を宗教に持って行き、天風はヨガを日本化して現実の世俗社会に留めたことでした。
「人生はどこまで行っても現実の世界なんだから、それを忘れちゃいけないんだよ。死んでから後が人生じゃないんだから。死んでから後のことまで考えようとするのは宗教なんだ(天風)」。
我々は霊界でなく現実の世俗に生きているからで、ここらあたりがヨガナンダとの岐路になります。
天風哲理は霊峰富士を日本の心象とし、インドヨガはヒマラヤ連峰を心象とした霊感(インスピレーション)を根源としています。霊峰富士は水平の裾野の調和美を、インドのヨガはヒマラヤの空を垂直に突き抜けています。
ヨガナンダの著書を読みながら2つのことに納得が行きました。
1、天風はなぜ天風会を宗教とせず立派な科学として財団法人にしたこと。そして既存の宗教を超えたところで人類への普遍性を持たせました。
2、もし天風がロックフェラーの要請で渡米していたら、ヨガナンダのように或いはそれ以上に著名になった事が視覚化できました。
アップル創業者のスチィーブ ジョブズは「あるヨギの自叙伝」を、葬儀後に参列者に渡すように遺言したそうですが、もしジョブスが天風哲理に巡り合っていれば、これほど彼にピタリとはまる思想もなかったと推察できます。さらには彼は早逝することもなかったと思う。人との邂逅もいなものです。