今月、天風師五十回忌によせて著書「天風式ヨーガと瞑想のすすめ」を出版します。
本書は1919年6月8日に天風師が上野恩賜公園の中にある精養軒のはす向かい、青葉茂る樹下石台に、草鞋に脚絆姿で仁王立ちになり、右手に持った鐘を鳴らし「道行く人よ、来たれいざ」と、第一声を上げた大道説法から書きはじめました。天風哲理の原石と考えたからです。
そんなことで出版を前に精養軒のはす向かいある十数の青葉茂る樹下石上に一台一台と立ちもう一度検証してみました。百年前の人の流れと空間を考えながら、ここではない、ここでもないと消却して行き最後に2つの石台が残りました。この2つの前を何度も歩いては立ち止まり石上に立ってみました。街灯柱の奥にありそれが邪魔をしていましたが、やはり私が最初にここだと思った台石でした。
百年前には無かった街灯柱を無視して再度この石台に立ちますと、人の流れが左右と正面から、後方左右の登り坂とで五っの道筋の要に位置していました。天風師が本郷の自宅から忍ばずの池端を歩かれ五條天神社と花園稲荷神社の坂を上った所でした。わかりやすいために精養軒のはす向かいと言ったと思いますが、むしろ花園稲荷神社の鳥居の斜め前でした。石台は街灯番号「東京都LA-2-1」の奥になりますが、これが目印になります。上野公園にお出かけの折りに寄ってみてください。
6月の上野恩賜公園と言えば、青葉が茂り今日も道行く人が石台の前を通り過ぎて行きます。なんでもない台石ですが、草鞋に脚絆姿で仁王立ちした天風哲人の初志をそのままに当時を偲ばせています。
生前、天風師は当時を思い「寒風吹きすさぶ暮れ迫る街頭で、60歳を越えたたった一人の老婆のために人の道を説いたこともあった」と懐述し、「ときどきあそこへ行ってあの石台を見ちゃあ、思わず熱い胸にせきくるものを感じながら帰ってくるんです」と、語っていました。
出来得ればこの石台の前に、天風哲理発祥の石台と記念碑が建てばいいのですが、未だ私の信念の及ばぬところになっています。
上野公園の樹下石台
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