ひさびさに当サイト「天風の精神遍歴」のコロンビア大学時代を更新しました。
天風が学んだ名門コロンビア大学の設立は古く英国の植民地だった1754年でした。その後1896年に大学院設置とともに現住所に移転し、天風は1911年に孫逸郎の名で入学しました。キャンパスに行きますと天風師が学舎の向こうから歩いてくるような気がします。
ただ、下記の更新した年譜にみられるように修学期間が短いため、そんなに簡単に入学でき博士課程を卒業できるのかと質問を受けました。当地では博士課程は通常「Phd」と称し、医師の資格は「Dr.」 ドクター(日本語で博士)となりますので、このあたりに誤解が生じるのかと思い再整理しました。
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1911年(明治44年)35歳。
・生活費と旅費を稼ぐため吉沢公使(後に大使)の紹介で、広東省の富豪の華僑で、愛人3人を連れて豪華ホテルで暮らしていた留学生の李宗順(後に香港で開業)の通訳とコロンビア大学の耳鼻咽喉科の授業を代行して医師免許を取得する。このアルバイトを8ヶ月ほどして8千ドルと謝礼8千ドルをもらいヨーロッパ渡航の旅費にあてる。
・同時に孫逸郎の名でニューヨークのコロンビア大学の基礎医学部で免疫系と自律神経系統の短期講習を受講。
・医学の知識は習得できたが、先進医学のアメリカでも結核に対して治療方法がなく、また哲学的にも得るものがなく絶望の縁に突き落とされる。
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以上。
ですからコロンビア大学の在籍名簿に中村三郎の名前はありません。ドクターの医師免許があるとしたら李宗順の名前となり、短期講習の入学は孫逸郎になります。
天風師は調べれば大学に李宗順の名があるとのことですが、天風哲理にとり大学で医学知識を習得した以外、あとはどちらでもいい事なので、更新はこれだけにしました。