(2015年も暮れてゆきます)
「天風哲人新箴言注釈」に「安定打坐法は正当なる思慮と断定とを生み出す絶対的密法であるから其心して践行に努力すべし」とある。
長いこと安定打坐を践行し最近なりやっとこの箴言に近づいてきたように思います。これまで己の経験と理性で物事をあれこれ思案し、悩んだり迷ったりして判断してきましたが、そうした努力と別に、打坐をしている間に浮かんでくる思慮と断定を素直に践行するようにしました。そしてそれが結果的にみてより正確で効果的な判断でした。
天風哲人の「安定打坐」箴言を続けますと;
「安定打坐の密法の真諦は、心耳を澄まし 空の声きく」
人の生命は宇宙霊と一体であり、打坐をして宇宙霊と心を冥合することで;
「宇宙霊は私に何を為すべきかを教えたまうに決まっている」
「さすれば宇宙真理の当然の帰結として、必ずや完全なる人生が作為される」
「安定打坐はいかに忙しい時でも、また仕事をしながらでも、話しながらでも、容易に錯雑に動乱する精神葛藤を収束させ純一無雑の三昧の心境に入り得る点で、心に与える瞬間活法なり」。
この法により、
「天命に従い天命に処し、天命に安んずべし。安定打坐以外に真に安心立命の境地に導くものがない」となります。
「心耳を澄まし、空の声きく」は、論語で言う「耳順」に通じていまました。孔子は人生の節目を「十五にして学に志し(志学)、三十にして立つ(而立)、四十にして不惑はず(不惑)、五十にして天命を知り(知命)、六十にして耳順ひ(耳順)、七十にして心の欲する所に従ひて矩をこえず(従心)」とあります。孔子の天からの声に「耳順」は、宇宙霊の空の声きく「心耳」でした。
私も遅ればせながらもどうにから「耳順」まで来られたようです。そして「知命」から「耳順」、その先にある「従心」が見えてきました。
かの孔子でも今世の長寿社会まで考えが及ばなかったようで、八十にして本命に還り「終活」、九十にして「天寿」、百にして「余生」かも知れません。
2016年も「打坐一番」を践行して、空の声に「耳順」を心がけてさらに「従心」まで深化させて行きたく考えています。
打坐一番「耳順」
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