「積極一貫」、いつまでも若い気持ちで歳など関係ないと意気込んできましたが、時は川の流れのように、川上から中流へ、そして下流へと絶対時間として流れ、その時流に逆行はなく団塊の世代もシルバー・グループ入りしました。
そんなこともあって昨年12月のエッセーに書きましたが、天風先生の墓前で神戸からきた団塊世代の天風会員が、「天風先生に命を救っていただいたお礼に来ました、誠に有り難うございました」と、報告しながら「誓いの言葉」を誦句している姿が目に焼き付き離れなくなりました。容姿からみまして大病からの起死回生かと思います。
私は天風先生が還元されて半世紀が過ぎた今になっても、命を救っていただいたという人がいることに強い衝撃を受けました。これは偉大なことでして、これこそが天風哲理の本来の面目であります。この方の心中には天風先生がなおも活きており、一生を懸命にしたことで天風哲理の真髄をしっかり掴んだことになります。
その念波が私に伝わり、天風先生から「お前はいい歳をしていつまで自己啓発などと言ってるのだ。天風哲理は生命(いのち)を探究している。お前も少しは人の命を救えるように研鑽せよ」と、頭をぶんなぐられた気がしました。
天風哲理は生命原理を理論化したものですから、命を救うというのが心身統一法の原点でして、天風会はそこから出発しています。私はこれまで自己啓発の理論に偏り過ぎ、もっと真剣に取り組むべき生命原理の探究が欠落していました。欠落というよりさほど重用視していませんでした。生命あっての啓発なのに本末転倒です。
私も墓前を機に天風哲理の原点に回帰し、生命と健康法の探究を一からやりはじめました。具体的には朝の修練の時に、心の強化と身体の強化をバランスよく組み入れて(2014年度の本欄エッセー参照)行修をはじめました。できることなら団塊の世代を対象にした心身統一法を創意し、健康長寿のいのちを活き、やがてお迎えの時がきたら、さらりとピンコロ「お先に失礼」と、大宇宙に還元して逝けるように研鑽したく考えています。
「吉野山 ころんでもまた 花のなか」
今年は先ず、天風哲理を集大成し、かつ実践した杉山彦一先生の名著「いのちを活きる」の再読から入りました。