山路来て なにやらゆかし すみれ草 (芭蕉)
神谷美恵子著「こころの旅」(日本評論社刊)を、取り寄せて拝読しました。ダイジェスト版を読んで、これはと思いオリジナル本を読んだわけですが、評判通りの名著でした。久しぶりに味わいのある本に出逢いました。
心理学の学術論文なのですが、難しさを感じさせないきれいな文章でした。うっとりする気品のある文体は、そのまま著者の人柄なのだと思います。
こころがヒトの誕生から臨終まで旅するわけですが、一貫して人間愛にあふれたものとなっています。
天風先生はご自分の哲理のなかで、「神とは宇宙法則でとらえた方がわかりやすい」、「宇宙霊との一体、これは立派な心理学ですよ」と言われてましたが、今回「こころの旅」を読むことで、なるほどなと思う記載が多々ありました。
以下は、私が「こころの旅の終り」で感銘を受けた箇所を、そのまま抜粋したものです。神谷女史の愛のしずくを楽しんでください;
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永遠の時間は自分の生まれる前にあったように、自分が死んだ後にもあるのだろう。人類が死にたえても、地球がなくなっても、宇宙的時間はつづくのだろう。自分はもともとその「宇宙的時間」に属していたのだ。
人は一生のうち、その「永遠の今」を瞬間的にでも味わう恵みを与えられている。すべてはその永遠の時間に合一するための歩みと感じられてくるだろう。宇宙にかえり、これと合一するのだ。生が自然のものなら死もまた自然なものである。死をいたずらに恐れるよりも現在の一日一日を大切に生きて行こう。現在なお人生の美しいものにふれうるよろこび、孤独の深まりゆくなかで、静かに人生の味をかみしめつつ、最後の旅の道のりを歩んで行こう。その旅の行きつく先は宇宙を支配する法そのものとの合体にほかならない。
からだにとって空気や水や食物が必要なのと同様に、こころには生きるよろこびが必要である。
こころのよろこびがどんなものかは、愛し愛されること、あそび、美しい物に接すること、学ぶこと、考えること、生み出すこと。こうしたよろこびが宇宙のなかでどれほどの意味をもつかわからない。
大海原を航海する船と船とがすれちがうとき、お互いに挨拶のしらべを交わすように、人間も生きているあいだ、さまざまな人と出会い、お互いにこころのよろこびをわかち合い、しかもあとから来る者にこれを伝えて行くように出来ているのではなかろうか。じつはこのことこそ真の「愛」というもので、それがこころの旅のゆたかさにとっていちばん大切な要素だと思うのだが、あまりに大切なことは、ことばで多くを語るべきことではないように思われる。それでこれはヒトのこころの旅がかなでる音楽の余韻のようなものにとどめておくことにしたい。