東日本大震災の被災地のみな様、心よりお見舞いを申し上げます。
ニューヨーク総領事館で、東日本大震災の記帳と義援金の受け付けを始めたので行ってきました。
白菊が置かれた記帳台を前にして、「積極一貫」と記そうとしたが、被災者に対して非情かなと躊躇してしまった。帰宅してからも記帳のことが頭から離れず、やはり書くべきだったという思いが残った。
天風の言葉は有事の際に、実にきびしく、そっけなく、薄情にさえ思えます。
「元気だせ」、「がんばれ」、
「同情しても相手に同調せずに励ましと善導を」、
「取り越し苦労は厳禁、今やるべきことに集中」、
「心一つのおきどころ、よい方面に考えを振り替えろ」、
「積極一貫」と、けして弱音の言葉を吐きません。
私もこの様な言葉を心がけていますが、家内からは「不幸な有事の時に、偉そうに非情識なことを言うと、人から薄情な馬鹿と思われるだけだからやめなさい」と諌められています。確かに家内の言う通りで、非常識で非情識かも知れない。記帳の時にそのことが頭をよぎり書くのを止めてしまった。
でもやはり被災者に哀悼の意を表すとともに、これからも生きてゆく人に「積極一貫」と記帳すればよかった。
そんな思いからここに後智慧の補記として、私が天風オンラインに書きましたことを記帳としたく思います;
何かあるのが人生でして、なにもない人生などありません。地震も来る時には来るだろうし、台風も来る、煩悩も生じるし、病気にもなる、それに時が来ればあの世に逝きます。たとえどんなに神様に祈り、神社で無病息災を祈願しようと、天災や不幸が、自分だけを避けて通るわけではありません。天災も、不幸も、煩悩も、来る時には来ます。ですから、そうしたいざという有事の時に、慌てずに人生の軌道をはずすことなく、いつにも増して毅然と難関を乗り超えて行くためにも積極的な強い心が必要になります。
人生が順調で健康な時は、誰でも積極的な心を維持していられますが、本当に積極的な心を必要とするのは、不運や病気がきた時なのです。そうした不遇の時にこそ、それを克服し不運を好転させるためには、積極心を盾にして中央突破して行くしかないのです。(地の巻より)
宇宙の法則にプラスとマイナスの二極作用があるように、人生も山あり谷ありのプラスとマイナス作用があります。何かあるのが人生でして、一生を通して無病息災、平安無事だけとも行きません。晴れた日もあれば、雨の日もあるし、風の日もあり、台風もきます。景気の変動もあるし、仕事に行きづまる事もあります。時には病にもなるし、愛する人との辛い別れもあるし、それに誰もが一度はあの世に逝かなければなりません。
道理からみればプラスの数だけマイナスがあるわけですから、たとえ天風哲理を習得したからといって、無病息災が避けて通るわけでもないし、永遠に活きられるわけでもありません。「生」の働きがあれば、「滅」の働きもあります。
天風哲人はこうした有事の変化の時にあっても、いちいちそれによって、自分の心を煩わせることなく、何事にもめげず、うろたえることなく「積極一貫」で、人生の諸問題に立ち向かい、それを克服し、毅然と乗り超えて行く積極的な「強い心」の習得を教えているところです。現象世界の変化の中にあって、いかにして悪いマイナスの変化ではなく、良いプラスの変化を掴んで行くかを教授しているところです。(3つのオンリーより)。