サイト「宇宙の心」の開設日にあたり、天風哲理の原点を書いてみたい。
1919年6月8日、妻に向かって、
「おい、今朝からはじめるんだ」
「なんで今日からお始めなさいますの」
「お釈迦様は7月8日にはじめたというから、俺は6月8日だ。にぎり飯をこさえてくれ、にぎり飯を」
かくして朝9時、上野公園にある精養軒のはす向かい、青葉しげる樹下の台石に、草鞋に脚絆姿の男が立ち、「道行く人よ、来たれいざ」、10人ほどの人に向かって辻説法を始めた。
中村天風42歳、天風会がここ樹下石上で産声をあげた日であった。
「なんで6月8日なのか?」
天風先生は粋な人ですから口にこそださなかったが、そこには心に秘めた「己の甦らせたこの日に」という熱き想いがあったのではないか。思うに8年前のこの日が、エジプトのカイロでヨーガの大聖者・カリアッパ師との運命的な邂逅の日ではなかったかと推測します。
天風先生が講義の時に、いつも万感に胸を詰まらせて涙ながらに、「巡り会いを想うと、何とも言えない、私は無量の感慨に胸打たれる」と話される、カリアッパ師との出逢いの日です。
1911年5月25日に小雨そぼふるマルセーユのほのかに暗い港を、求めても救われぬ我が身に、絶望の唾を吐くようにして離れ、同じ死ぬなら「桜の咲く国、富士山の見える国で」と、死に行く帰国の船上にあった。
それこそ絶望のどん底、いつ死んでしまうかもわからない息をしているだけの屍、病み疲れた男に、、カイロのホテルの食堂で、偶然に出会ったカリアッパ師に;
「俺と一緒においで、お前はまだ死ぬ運命じゃない、お前はまだ救われる道を知らないでいるから、俺と一緒においで」と、差し出された一筋の光。天の采配としか表現できない運命的な邂逅の日であります。
このカリアッパ師との邂逅と、その後ヒマラヤ山麓ヨーガの里での厳しい修行と大悟の日々は、文字通り「起死回生」の人生ドラマでした。
もし、この運命的な出逢いがなかったら、「私の今日もある道理がなく、あなた方も私と一緒に喜びの人生を味わうことができずに終わったでしょう。因縁ですよ。どう考えてみても、事実は小説より奇なりであります」と、言われているように、この邂逅がその後の半生を大きく決定つける人生の一大事でした。そうであればこそ己を甦らせてくれた6月8日を、大道説法の門出に選ばれたのではないかと思う。
今年も上野公園の樹々は青葉にしげり蓮台に似た台石の前を、道行く人が通り過ぎて行きます。なんでもない台石ですが、今なお92年前に、草鞋に脚絆姿で立った天風の「世の為、人の為」の初志を、そのままに偲ばせています。
「人生の道行く人よ、来たれいざ」