「創造する人間」
宇宙そのものが創造的であり、生命そのものが創造的であります。
大宇宙から生まれでた生命はすごい働きをし、その中でも人間は素晴らしい創造性を発揮します。宇宙が創造的、生命が創造的、そして人間がまた創造的です。
人間は他の動物には見ることのできない価値ある創造性を有しています。この人間の持っている素晴らしい創造性の中心に何が一番大きな役割をしているかと言いますと潜在意識であります。
しかし、この潜在意識を上手に使って行こうとするものは実在意識なのです。結局は心の働きですね。だから心をうまく使うと創造活動ができるわけです。その創造性の開発法には、いろいろなトレ ーニ ングがあるのですが、それはこの講義の一言では言い尽くせませんので後日また改めて講習の機会を持ちたく思います。
今日は科学と哲学の次ぎにある「実践」について講義をしておきたく思う。我々は日常生活の中で、価値というほどおおげさなものでは無いにしろ、絶えず創造というものを念頭にして、生活をしていかなければなりません。なぜならばそれは他の生物には無い人問だけに与えられている最も人間たらしめる営みであるからです。
今日は身近かな働くということについて、深い立場からお話をしそれを人間の創造性へと結んで行きたく考えています。日常生活のなかで、多くの人々が働いているわ けですけれども、これを価値高く評価しまた価値高く働いてもらうようにお話をしようと思う。
ただ動くのであるならば低気圧だって動きます。小川のせせらぎ 春のそよ風だって動きます。「動」という字は物理的、自然的ですね。この動に人問を表した行ニンベンの「人」がつきますと働くとなります。ですから「ニンベン」の人をつけるということは人間の作為ということです。人間が目的、価値、意義などを考えてながら動いた場合が、働くということになります。ですから働くということは人間的で、動というのは物理的、自然的ですね。競馬の馬は私よりもお金を稼いでいます。だが競馬の馬は働いているのではありません。このレースは幾らだとか菊花寅の配当金は幾らかなどとは考えずただ条件反射的に走っているだけです。私たちは馬や牛のように意義や価値を知らずに働きたくはない。歯車のように部分品で思考もなくただ条件反射的に働きたくはない。なぜ人間は働かなれればならないのか。働くという事が、人生生活においてどんな価値を持つのかを、堂々と理解した上で価値高く働きたいものです。こういう事を扱う領域が「職業観」となります。観とはということは見方ですね。一時間この温度の仕事場で働くとすると、どのくらい汗をかくかを考えるのは「働きの科学」「働きの生理学」です。どういう行動をしたらより合理的になるかを考えるのは「経営学」「人間工学」です。今日ここでお話するのは「なぜ人間は働かなければならないのか?」という、働くことに価値ずけをし、意義ずけをして行く哲学方面からのお話しです。
私は学生諸君や新入社員を対象にした研修講義の時に、働く意義について「私は何のために働くか」のアンケートを書かせています。10数年これをやっていますが、何時も決ったように全く同じ答えが帰ってきます。それらはだいたい4つの職業観に分類されます;
第一、自己保存的職業観。
生きているから食べなければ生きられないから、生きるため食うために働くというものです。しかし、これが出来たとしても別に偉いことでもないね。これは動物も植物もみんなやっている事だ。生物はみんな自分自身で生きています。
第二、種族保存的職業観。
家族を養うために働いている。子供の教育費のために働いているというものです。これも出来たからといって、そんなに偉らいこともないね。動物社会でもそれぞれがやっている事です。ツバメなども1匹の子供に対して1日に200回のエサを運び、しかもヒナの成長に応じてブヨからミミズなどへと食内容も変えてエサをやっているようです。
第三、欲望満足的職業観。
自己保存は「食的」で種族保存は「性的」ですね。動物はこの食と性の欲望で生きているといえます。人問も動物ですからこれと同じ欲望をもちます。しかし、同時に人間は進化した動物でもありますから、他の動物には見られない、高度の欲望を持ちます。しかも人間は社会集団のなかで生活していますから、さらに複雑な欲望を持ちます。家が欲しいの、土地、車、海外旅行、ダイヤ、いい着物が欲しいなどもみなこの範疇です。
しかしその中でもこうなりたいという希望もありま。希望は人間 らしい営みなんです。希望はどうしてもプライベ ートな感じがしまして多分に個人的な意味あいがありますが、それが完成された時に社会や福祉のためになれば理想となります。人類、社会、福祉に役に立つ希望ならそれは理想になります。みなさんも理想を持って欲しい。「杉山先生、理想など持てません」と言うのなら希望くらいは持って欲しい。それより以下は動物と同じレベルになってしまうから譲れません。
第四、金銭目的職業観。
なにをするにもすべて金。先立つものがなければ始まらない、一切がお金至上主義でお金が欲しいからです。学生諸君、新入社員のアンケートの回答は、ほとんど以上の4つに分類されます。さてお金というものは大変に大切なものです。いくらあっても 足りないもので、お金を欲しくない人はそんなにいません。お金は昔から何時でも、どこでも欲しいということは、誰でもが同じことです。それではお金を獲得することが働くという事の結論か。人間はお金さえ獲得巣ればそれでいいのか。お金さえ獲得すれば働くことは終ってしまうのか。
ここからが杉山先生の講演に入る。お金を乗り越えたところで、我々はもう一つの働き方をしなければならない。これが第五番目の職業観です。
第五、社会的職業観。
世のため、人のために役立つ働き。なぜ社会的に役立つ事を持ってきたかというと、私たちはこの社会生活のなかで99.99%までは、人様のご厄介になって生きているからです。みんなのお世話になっています。
1万円札の製造コストは20円、5千円札は13円だそうだ。しかし、一万円札そのものには価値はない。鼻紙にもなりません。1万円扎に1万円の価値を与えているのは品物です。人間お互いに品物を造っている。お互い様にその品物を使用して社会生活をしているわけです。日本民族は昔から、その社会性をよくわきまえていまして、「箱根山 籠にのる人か つぐ人 してまたワラジを作る人」という言葉があります。それぞれが、それぞれの仕事を分担して、お互い様でうまく行くのがこの世の中です。だったらあなたは何ができるのですか 。「これだ」という仕事を持っていますか。全てをお願いします、しかし一つだけは俺に任せてくれというものを持っことがこの職業観だ。すなわち社会の一員としてお世話になるのだから、一つぐらいはお前も分担しておやりなさいな」というものです。そして、これを一人前と言います。成人式で一人前でなく社会の責務を立派に果たした時にこそ初めて一人前です。
それでは社会の一人前になるためには、何をするのかと言いますと、先ず専門の「知識』を持っことです。そして、それをやり遂げるだけの「技術」と実践力を持っことです。社会はそんなに馬鹿ではない。見るものは見ています。価値のないものにお金など使いません。ですから社会に通用する知識とそれをやりとげる技術を持てと言うことです。しかも世の中はどんどん進んでいますから知識も技術でも停滞してしまえば退歩していることになりますから、たゆまぬ努力が必要です。そしてこの「知識」と「技術」にさらに「真心」を持てと言うことです。
「真心などと何をそんな古くさい事を言って」と言う人がいるが、そう言う人の感覚こそが古くさいわけです。真心こそは人類が社会生活をる限りにおいて最高の価値を持つものである。今の日本はこれを軽視する風潮があるが、はなはだ残念なことです。昔の日本人は「一河の流れ、一筋のもと、袖すり合うも多少の縁jとして、豊富な真心をもっていました。日本がどんなに繁栄しても、飽食で真心は養えませんし、どんなにいいものを着飾っても、真心は養いませんので、よくよく心すべきものてす。知識、技術、真心の3つが揃えば商売は繁盛しそして立派に社会の責務を果たす事ができます。そして社会的職業観を全うすることが出来ます。ここまでで私の話しは終ってもいいわけですが、みな様は高度な意識をもっていますからさらに高度な話しを続け、第六の職業観に入ります。ここでやっと今日のテーマにたどり着いたことになります:
第六.創造する喜びの職業観。
創り出す喜び、創造する喜び、やり遂げた喜び、これは最上の喜びであります。この喜びは宇宙の心と結び付くものだからこれは強いものです。どうせ仕事をするのでしたら喜んでやりたいものです。また働くとはこうありたいものです。 この創造する喜びを見っけるのはそんなに困難なことでもありません。少し工夫すれば身近なところに幾らでも創造の喜びはあります。人様のお役に立つ仕事も創造の仕事です。世の中にはいやだいやだと言いながら、奴隸のように仕事をするのを「苦動」といい、働くことは辛くていやだがお金のためと自分の労働力を切り売りして、金銭と引き替えるマルクスさんのブロレタリア的なものを「労働」いいます。創造の喜びを感じ、明るく、楽しく働くのを「喜動Jといいます。同じ仕事をするのでしたらこうありたいものです。
そうした「喜動Jの心で自分を創造し、家族を創造し、社会を創造し、 国家を創造し、世界を創造して行きたいものです。地球には53億人(1993年時点)になんなんとする人類が、これから3つの自覚と実践をして行かねばなりません。「人と時と場の自覚と実践」であります。世界の平和、人類の幸せ、世のため、人のためには「だれかが、いつか、どこかで、やるだろう」では駄目なのです。この御輿は「いつかは、だれかが、かつぐだろう」と言ってたら、何時までたっても誰もかつがない。「私が、今、ここで 、かつぐ」のでなければなりません。永遠の時を、ここに今、無限の場をここに限定して、人間であるあなたが今、実践したその時に、あなたは実存的な人間になるわけです。ただ口先だけ評論をやっているのではなく、「私がやらなければ、誰がやる」、「今やらなかったら、何時やる」、「ここでやらなかったら、どこでやる」、それを「私が、今、ここでやろう」とい事をふまえた時にこそ、あなたは最高の価値を捉えたわけでしよう 。
私たちはそれぞれの現場でそれを実践して行かなければなりません。プロは逃げてはいけません。プロは顔を背けては行けません。プロというものは現場から離れては行けないのです。火事なのに消防士が逃げていたら火は何時までも消えません。ですから「俺が、今、ここでやらなけ れば、誰がやる』。これが創造して行く喜びですよ。社会的にも効果のある価値と意義のある仕事です。そうしますと、そこから生き甲斐と喜び張り合いというものが湧き出てきます。
みなさんは、天風会員の中でも一番身近かな方々でしょう。どうぞ天風先生のお教えを確実にとらえて、実践して行ってもらいたい。仕事という日常の中にも創造ということは十分にできるものです。宇宙の創造と生命の創造が、誰の中にも流れているわけですから、我々人間も創造的に活 きて行くことが、生命を捉えた活き方であり、最も人間的な活き方になるわけです。世の人に役に立つよりよいものを創りあげて行く時に、社会性と創造性の二つが重なり合いまして、我々の喜びは何十倍のよろこびとなります。
「創造する宇宙」、「創造する生命」、「創造する人間」、「創造の人生」は、生命の喜びであり、宇宙の喜びてあります。
みなさま方が、これらを調和的に統一し、価値ある人生を、建設されます事を、心より祈って、私の講義を終えることにします。
(1993年2月18日、野口書き起こし)