ハッピーハロウイン!今年1番に怖いコスプレ。
今日は富士山を遠くに見ながら東川口駅まで「中村天風の歴史」の著者、松本光政先生のお見舞いに出かけてきました。
ご本人が運営する「老人ホームサンシャイン東川口」で、過労により右脳出血し倒れました。一時は回復したとのことでしたので仲間3人で出掛けたのですが、数日前に今度は左脳出血で寝たままになってしまい、お会いすることが叶いませんでした。
介護で疲れたご様子の奥様が対応してくれましたので、私のメッセージだけをお伝えして来ました。夫婦生活長いとお互いに似てくるのでしょうか、奥さんと話していますと松本先生と話している錯覚を覚えました。
東川口駅で幼稚園児がハロウインコスプレで駅員さんと記念写真を撮っていました。
可愛い園児に癒されて東川口を後にしました。
有り難う。
2024年10月アーカイブ
比叡山(848m)開創千二百年、甘い香のかおりがする「延暦寺」に参拝して来ました。
比叡山から見下ろす琵琶湖と京都は絶景でした。
「不滅の法灯」根本中堂での朝の勤行は厳粛なものでした。この地で法然上人は得度し、小乗の戒律を捨て、大乗を宣布し仏教を日本に土着化させました。
千二百年の「不滅の法灯」は、不滅の宇宙霊なのでしょう。
根本中堂を勤行後、肌寒い朝靄のなかで心身統一体操は爽快そのものでした。
体操の終わりに太陽に向かい光をいただく時、この時だけ太陽が雲間から俄かに顔を出し、またすぐに隠れてしまう神秘的な現象でした。
延暦寺天台宗が全国に発信する標語「一隅を照らす」は、私の好きな言葉となっています。
おおきに。有り難う。
昨日はアメリカから92歳になる50年来の知人が訪日し、急遽上野に行き懐かしい会食でした。本人これが最後の訪日と杖をつきながら来ました。
11月10日にまた私と会食し12日にアメリカに戻ります。彼はアメリカ人としてかの地に骨を埋めると言ってました。えらい気力です。
今日はこれから大阪に向かい2人の知人と会食です。そして翌日から京都から比叡山に登ってきます。延暦寺会館に宿泊し、朝の勤行と瞑想行修をしてきます。
延暦寺は母方の墓が在る天台宗の総本山ですのでご挨拶してきます。これで6月に参拝した父方の空海の高野山と両山に参拝したことになります。
さて、延暦寺はどんなものか。楽しみです。おおきに。
昨日はお祭り日和の快晴、山車の音に連られ9500歩も歩いてしまった。
母親が赤子を抱っこして一緒に太鼓を叩いていました。母親は強い、そしてこの赤子らは次世代の文化継承者に育って行くことになる。
それに国際交流団体の外国労働者が、楽しそうにおどり流しの仲間に入っていたし、中国人家族もハッピ着て参加していました。こうした人達も新しい冨岡文化の構成して行くことになります。
富岡市も少子高齢化が問題になっていますが、それなり頑張っているようで、皆さん本当に元気がいい。まだまだ行けそうです。
山車の締めは隣保地区を巡行し、子供達が代わる変わる太鼓を叩いていました。もうすでに2年後のどんとまつりが待ち遠しいようでした。
今夜は太鼓の音が消えて静寂さのなか名月が輝いでいます。元気を有り難う!
今日は正式には6年ぶりという「冨岡どんとまつり」―笑顔で先進!―を堪能した。
やはり太鼓囃子の祭りはいいものですね。
市役所の広場に山車(屋台)が21台出揃うと見事なものです。
山車の前を1000人によるおどり流しもあり。かつて冨岡製糸場で栄えた町文化が偲ばれます。
普段はおとなしい人たちが祭りで解放されると別人のようだし、山車を引く子供たちのはしゃぎぶりを見ていると目が潤んで来てしまう。
囃子笛に合わせた太鼓の音が、幼き頃の想い出と響鳴し、若返る元気をもらいました。有り難う。
冨岡バイパスシルキーライン(国道254)は、一般国道として24年前に開通しました。
いわば冨岡絹の道で、すでにバイパスに沿って大手商業チエーン店が軒を並べており、市民の流れも旧道から変わりました。
私の家はバイパスを少し入ったところにあり、今朝はバイパス沿いのマクドナルドで朝食でした。月に1回ほどマクドの朝食が食べたくなるのです。
マクドナルドの斜向かいにバイパスを挟んでデニーズがあり、私は冨岡にいる限りほぼ毎日ここで朝食を取っています。
最近バイパスの隣町に大手スパーマーケットが出店して来ました。と、同時に近くに在った老舗スーパーが閉店となりました。また、近く子供服と玩具屋が進出して来ますので、既存の玩具屋も厳しくなります。
こんな小さな街なのですから静かにしてやればいいのに、「足るを知る」などしていれば、時の流れと生存競争は待ってくれないようです。厳しい現実ですが、世の中はこうして変わって行くのでしょう。
まあ変化の中で「今」を楽しみましょう。有り難う!
今年最大の満月「スーパームーン」
今日、衆院選投票所から入場券が送られてきた。
20歳の学生の時に、新宿区から初めて投票券が送られてきました。水道橋まで石原慎太郎の初出馬の講演を聴きに行き、熱く燃え彼に投票しました。
それ以来、日本に選挙権がなく在外投票になりました。私はアメリカの市民でないため選挙権がありませんでしたので、こうして56年ぶりに日本で投票権が配布されくると感慨深いものがありました。
でも、せっかくの選挙券なのですが、日本政治のあまりの劣化を目にしたため今回は棄権することにしました。私の「清き一票」を、汚したくないため、私の心中に保管しました。有り難う。7
補記:私が愛読している執行草舟氏(75歳)は、これまで1度も選挙投票していないそうです。世俗を離れ孤高に生きています。新宿の歌舞伎町を通過する時など、顔を反対側に背けて通ると言います。私はここまで次いていけませんが。
10月4日にトルコ航空でイスタンブールから成田に向かう飛行で、初めて中東諸国と中国の上空を飛行しました。
トルコのアンカラ、アルメニア、アルゼバイバイジャン、イランのテヘラン、アフガニスタン、イスラマバード、タジキスタンの上を飛行しチベット高原から北京に頭上を飛んで、黄海から成田に入る10時間の飛行でした。この間、北京を含め地上は、砂漠、砂漠の荒野でその合間に密集した街が見られただけでした。
日本の豊な自然を思うと地球て案外不公平なものだと感じてしまう。これは私にとり大きな衝撃でしたので、帰宅してすぐに友人の元駐アフガニスタン大使に電話して、砂漠と荒野だけというのでは酷過ぎるが本当なのかと聞いてみました、元大使は笑いながら「事実です。砂漠というより土漠です。水の確保が命です」と返って来ました。この著書の第7章に「潰えた戦略と中村医師の夢」がありました。
こんな土漠でも紛争があるのだから、いや〜まいりました。日本は自然環境にめぐまれ過ぎるから強い政治家が育たんのだろう。
付記:今日からブログの結びは、何があっても今ここに生きているのだから、何はともあれ「有り難う」で結ぶことにしました。有り難う!
今年は異常な暑さが続き9月のお彼岸時期に咲くはずの曼珠沙華が、10月6日に日本に戻ったら華やかに咲いていた。お彼岸にこの花を見ないとどうもしっくりしないが、今頃になって咲いていました。
花言葉は彼岸に咲くことから「悲しい思い出」、「想うはあなたひとり」、「再会」、「また会う日を楽しみに」などがありますが、そんなことを想わせる花です。
でも、今年は彼岸花でなく曼珠沙華(サンスクリット語の天界に咲く花)と呼ぶのがふさわしい。
16年ぶりにイスタンブールを観光。
今回はトルキッシュ航空を利用しましたが、トルコのイスタンブール飛行場は綺麗に刷新されて行き交う人でお祭りのような賑わいでした。
国営のターキッシュ航空はどの国よりも多くの国に運行し、国際的評価も1番となっています。さすがに西洋と東洋をつなぐハブ空港です。
ただ、トルコの名所アヤソフィア、スルタンモスクなどは入場に長い列ができ、観光客が多過ぎて落ち着いて見ることができない騒がしさでした。すでに観光対象だけで神不在の宗教施設となっていたのが残念でした。
その分、世界3大料理と言われるトルコ料理を満喫して来ました。
10月2日、チューリッヒ空港からイスタンブールに向かう時、飛行案内掲示板を見ますとイスラエルに向かう飛行機が赤い字でキャンセルフライトになっていました。
この日にイランによるイスラエルのテルアビブが大規模なミサイル攻撃を受けたことを知りました。いったいこの報復合戦はいつまで続くのだろう。
ウクライナ戦争といい世界各地で戦争が絶えない。中国では大陸弾道弾を試射している、国連安保理が機能していない。日本も危機に対処しないといけない。さなえあれば憂いなし!
「ヨーロッパで一番高い標高」(3,571m)と称する「ユングフラヨッホ」に登っていたら9月が過ぎてしまった。 ユングフラヨッホは2年3ヶ月ぶりですが、前回は時間がなくインド料理を食べれなかったので今回は団体行動を離れ一人で満喫してきました。
ヨーロッパ大陸の頂上の雪山を眺めながらインド料理、思っただけでも痛快。今回はこれが一つ目的でした。
それにしてもインド系と韓国人の観光客が多いのにいまさらの驚き。日本人の姿はほんの数名で、元気なさがここでも伺える。
ここに置かれた郵便ポストも淋しそうでじき取り外されてしまうかも。頼むぜ高市さん。
さて10月をはじめます。
明日はトルコ、イスタンブールに向かいます。
付記:日本人海外旅行者が2019年から2023年で半減しているという。