散歩をすると各家々の花壇に花が咲いている。花をこよなく愛でる日本の人に感心させられる。いいですね〜。
あっと過ぎてしまった4月は路地に咲く花々で結びたい。
散歩をすると各家々の花壇に花が咲いている。花をこよなく愛でる日本の人に感心させられる。いいですね〜。
あっと過ぎてしまった4月は路地に咲く花々で結びたい。
昨日はるばる東京駅さ出かけ丸ビル6階にある山形料理を食べてきました。
12時から1時までほぼ満席、我々は1時の予約でした。お客はみな山形の人かと思いきやそうではないらしい。
山形出身の先輩は常客らしく、サービスしてくれた知り合いのウエートレスは小柄で可愛いネパール人でしたが、マスクをしていたため山形の人かと思ってしまった。
ランチコースで出て来たのは名物の芋煮で田舎風。驚いたのはテーブルに置いてあったご当地の「わんぱく」卵を、山形米「つや姫」にかけて食べるのがおすすめでした。盛り付けたご飯の中心を箸で穴を開けてそこに卵を入れ、お醤油かけて食べてケロ、なんともレトロなランチでした。
4000円コースもがこれかよと好意的に思いながら、卵の割る殻に硬い手応え、そして卵が旨い!
料理店で卵かけご飯とは驚きでしたが、考えれば我々はこうして大きくなって来たわけでした。その基本(ファンダメンタル)に気づかせていただいたことに感謝でした。
清々しい気持ちでお店を後にしました。
4月の産経ニュース画像から2枚の写真をログインしました。
岩手山をバックに凛とした桜樹です。この画像を今年の桜シーズンの締めとしました。
先の青森旅行の時、東北新幹線の左側の車窓に、突如として現れた荘厳の岩手山、私は不覚にもこの山を知らずにいました。
折よく車内にコーヒー売りの女性が来ましたので、「あの山の名前は?」と聞きましたら、あんたは正気かと呆れた顔で私を見て、東北訛り調で「いわてさん」だと教えてくれました。私は呆れた質問をしてしまい、周りの乗客にも肩身の狭い思いをしました。
そう、これが「いわてさん」です。
次の画像はセピア色のなんとも幻想的な画像です。
でもこれが4月〜5月に吹き荒れる黄砂で、今日も日本にまで飛来しています。私は目がかやく、一日中くしゃみの連続でした。
PM2.5の含む黄砂になんの対策も立てず、人民の健康も顧みずの黄砂独裁帝国は、武漢ウイルスとともに埋没して行くことだろう。
自然環境の変化と武漢ウイルスパンデミックで、一つの文明が滅びるのは歴史が証明している。嫌な隣国となってしまった。
この画像は中国そのものです。
4月5日(アメリカ時間、午前10時23分)、私が住んでいたニュージアジー州を震源とする、M4.8の地震が発生。140年ぶりという。
4月8日、アメリカ東部で99年ぶりに皆既日食、次回は20年後という。
これって台湾の花蓮地震を含め、太陽と月と地球が一直線に並ぶ事と関連がないのか、次回は20年後というが、やはりマークしておいたよいかも知れない。
これとは関係ないのだが、10日、11日と、俄かにマクドナルドの朝食を食べたくなり2日間続けて行って来ました。アメリカにいた時は週に1回ほど行っていましたが、やはりMacの朝食は美味しく、かつ懐かしいかったです。
ここにもアルバイトの求人広告がかけてありました。ただ募集内容が他社と違っていまして「1分単位の計算システムで給与を支給!!」ありました。
どうりでアルバイト人が店に入るやいなや、コンピューターに自分の時間をインプットしていたわけです。さすが世界NO.1のMacシステムです。
4月7日、上野公園の桜が満開。今年はおりよく入学シーズンの満開となった。
たくさんの花見客で賑わう人波のなかで桜狩りして来ました。
満開の木の下で花見客がシーツの上に座りこんで花見酒。花よりお酒、久しぶりに元気な日本を見させてもらいました。いいものですね〜
一昔前ですが、東京から大阪までの新幹線に乗った時、興味本位で両側の車窓の景色から桜が切れるかを数えたことがありました。切れたのは確か5回くらいでした。
それほど桜は日本の風景に定着していました。
まさに人生いたるところに国花ありです。
今日は世界遺産の富岡製糸場に「観桜会」があり出かけて来ました。
大きな古木の桜が3本ありましたが、まだ満開にならず色も映えず疲れた感じでした。桜まで世界遺産にしなくもいいわけで、匠な庭師による手入れが必要のようです。
ついでに数10年ぶり(帰国してはじめて)冨岡の街を散策して来ました。街全体が世界遺産のようですが、それでも皆さんが町おこしに頑張っていました。
帰りに鰻重を食べようと2軒回ったが、いずれも予約客オンリーで断られ、しまいにインド料理のランチとなり、ここでもすっかり異邦人。
台湾の地震発生直後に友人にお見舞いメールをしました。
すると石垣島の友人から直ぐに「ありがとうございます。今、職場を閉鎖して高台に避難しています」と消息が来ました。
台北の友人からは「地下鉄のエスカレータ降下中に1回目の大きな揺れが来て地下鉄が止まってしまい徒歩で帰宅。その間、体感余震8回ですが、無事です」。
また他の友人から「22日に東京に来ていて、いま空港に向かっていて台北に帰ります。家族に電話したらみな無事です。棚からたくさん物が落ちたそうです」
心配した標高1600の山荘に住む友人から「感恩、家族みな無事です」とありました。
それに被災者がスマホで地震の状況を撮った画像が、ユーチューブを通じて伝えてくれ、同時に台湾の人たちの強靱さを伝えていました。 台湾加油 !
昨日、台湾に住む日本人の友人が、新北市「老梅石槽」の朝日の写真を送ってくれました。
美しく撮られましたが、なんとなく雲が不気味な感じでした。いま思うとあれが地震雲なのかも知れない。
台湾も日本も環太平洋火山帯に位置し、さらに島の西側がフィリピン海プレートとユーラシアプレートの収束により頻繁に地震が発生しています。でもこんな大きい地震は25年ぶりとのこと。
地政学的に台湾も日本も地震国運命共同体を、宿命として受け入れ共に助け合って行かねばならない。
お見舞い申し上げます。合掌
赤城山麓から降りて4月を始めました。
行修会が「国立赤城青少年交流の家」という会場でしたので、この日は少年野球チームや小学低学年の女子生徒が300人ほど合宿していました。
更には、朝と夕に体育館に全員集合があり、子供達に混ざって国旗の掲揚とラジオ体操がありました。
我々おじさんやおばさん一行には、初めから場違いのところで浮き上がってしまった。食事もバイキングで子供向けでした。
にも関わらず我々の行修のモットーは、いまを活きている我に感謝、何事にも「感謝、感謝」で、「不平不満の厳禁」ですので、誰も一言も文句を言わず、いい修行になりました。それにしてもお粗ま、、ボソ、いや感謝、感謝でした。
習得したのは「信念とは宿願達成の原動力」、「運命を拓く原動力は信念」という事でした。
それと高村光太郎の「道程」のくだり、
『歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ』
でした。ですから「4月の標語」を、「光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ」にしました。
かくして、何事にも感謝、感謝で、4月をはじめました。