今日は上州の空っ風がおさまり気温も14度と上がったので、甘楽郡小幡の散歩コースを歩いてきました。ブログに何度も登場した公園で、よく企画管理されています。
先日はNHK紅白に初出場したシンガー ソング ライターの藤井風が、CDのビデオロケに来ていました。
2月のブログは、私の本来の趣旨に反しほとんど自分の事しか書いてきませんでしたが、個人的に書き留めておきたく思っての事でした。
また、日本の生活に順応するまで、3月、4月のブログもこんな調子が続くと思います。
5月からブログ内容の方針を、維新させて行きたく考えていますのでご了承のほどを。
2023年2月アーカイブ
上毛かるた「雷と空風 義理人情」を、地で行く上棟式でした。
ニューヨークより寒く、空っ風と義理人情の洗礼を受けました。
午前6時にクレーン車が木材を運び上げ、7名の職人が一斉に柱を建てはじめ、午後5時には棟梁が屋根に登り雷神を崇め、東西南北の4隅に塩を巻いて清めた上棟でした。この速さに驚きです。
本来、上棟式の予定は1月下旬でしたが、建設認可の遅れで2月25日になったわけですが、結果として施主としてこの日に参列できました。
4月下旬に完成を予定しています。
アメリカ生活の終わりがカウントダウンを始めて2月19日にゼロとなり、20日から日本生活のカウントアップが始まり、そして今日は2日目です。
ふるさとの山並みを眺め、これから始まるカウントアップに心までUP UP しています。UPついでに25日はお棟上げ。
玉手箱 開けてびっくり 高貴高齢
昨日は姪の家族とポーランド料理でした。
私はポーランドにたいへん良い印象を持ってまして、個人的には料理もフレンチやイタリアンよりも美味しいと思っています。
彼らはソビエト時代からウクライナと同じ苦しみを味わっていますので、ウクライナ戦争でも自分の事のように支援しています。ワルシャワの旧市街地は、第二次世界大戦で崩壊した街並みをそのままに復元しています。そこに彼らの意地と民族の魂がみられます。
今回はウクライナを支援するつもりでポーランド料理を選択してみましが、味がしょっぱ過ぎて期待外れでした。でも、デザートのアップルパイはポーランドでした。
何の料理でもアメリカに来ると量ばかり多くなり質が落ちてしまう典型でした。まあ、これがアメリカなのですが、私もそうなってしまってないかといい反省の機会になりました。
最後の晩餐は姪家族と寿司で、お世話になった友人の店からテイクアウトでした。我が地域にたくさんある日本料理店の中で、正統な寿司を食べれるのはここしかない。やはり美味しい。
姪家族を置いてアメリカを離れるのは、少々すまなさを覚えるが、私自身はもうやり切りましたので未練はない。さて、明日は Back to the future !です。
「999」は中国語で「ジウジウジウ(久久久)」と発音し永遠を意味します。一方で人差し指を「9」の字に曲げることで「死」を意味します。また迷信で「9」を厄とすることから29歳や39歳などの時に1歳繰り上げ30歳、40歳としています。
昨日はこれまで夫婦ともにお世話になった中国系SPAマッサージに行きお礼の挨拶をしてきました。セラピーの時に、私が乾燥した気候が続いているため鼻腔をやられ鼻水を2度ほどかみましたら「999」の風邪薬を持ってきました。銀河鉄道999です。
日本の葛根湯のような薬でしたが、中国製なので躊躇しながら飲んだが、翌朝に効果てきめんで鼻水がピタリ止まりました。
そこでネットで調べてみたら中国で有名な三九製薬の家庭常備薬でした。説明にウイルスに抵抗する解熱剤「風邪が引き起こす頭痛、発熱、鼻詰まり、鼻水、喉の痛み等」とありました。
中国は先日ゼロコロナ政策から全員コロナ感染政策なった際、市民が欠品のためにこれを求めて長い列をつくったという品物でした。そのような貴重品なので他の人に回すようにもらうのを遠慮しだが、帰国するまで飲めと3服もらってきました。有り難いことです。
でも、今の中国は「999」を越えて、人差し指を「9」の字に曲げるまでになっています。
2人の友人から画像が送られてきた。
一つは湯島の白梅、一つは台北天母からの桜だよりでした。
かつて正月に遊んだ花札で、母が赤短を揃える時の常套句、「梅は咲いたか桜はまだかいな」の小唄を思い出してしまった。
母は花札が大好きな影響で正月の遊びとして孫に至る3代まで続いています。これって私が梅の咲く頃に帰宅を予定したそのままで、今年は上野の桜が見られます。
台北の桜を見ましたら急に台湾に行きたくなり即刻4月1日から予約を入れました。一つには4月5日の清明節(お盆)に合わせてのことです。
そのあと台中の日月潭に宿泊し、その近くに友人が建てる山荘の民宿施設の視察で、年末に完成を予定しています。山荘の周りには各2月、3月、4月に咲く桜の花を、200本植樹します。
この山荘民宿が、私の台湾での仮の家となり今回はその下見です。
昨日は帰国の挨拶を兼ねてベトナムのホーでした。
もう長年お世話になっているが、このウエートレスは全くの無愛想で注文以外は言葉を交わしたことがない。
背筋のピントした素朴な服を着たベトナム女性で、30歳くらいかと思う。母親が厨房で料理を作り、彼女がウエイトレス。無愛想だがそれなりの恥じらいがあり気にはならなかった。ただ常連客が突然来なくなるのも失礼かと思っての挨拶でした。
料理を運んできた時にこれまでのお礼をいうと、初めて口を聞き「どこに帰るのか、日本は東京ですか」と返事を返してきた。それだけでしたが、それでいい。
いまベトナムは、中国からの工場移転ですごい経済成長を続けている。アメリカにもベトナム人移民が年々増加している。
彼女も近いうちに自信を持って愛想がよくなることだろう。
いよいよアメリカ生活も1週間となった。
残る仕事はスバル車の移譲だけとなる。当地は車がないと動けないので、先に移譲のサインを済ませ明け渡しは出発の前日になっています。2016年からスバル車を2台乗り換えているが、飽きのこないいい車でした。
そんなわけで今日はダイアモンド級という洗車をしてきたが、なるほど新車のように輝いて出てきた。
以前のブログにも書いたが、車のプレイトが「Uは74に群馬県」とゲンを担ぐと昨日来た友人は「Uは74で元気」と読んでいた。なるほどこれは名訳と感心。
ともあれ日本では車の運転をしないので、これが私の最後の愛車となりました。
私は行く 心の命ずるままに
私は行く さらばスバルよ〜♪
今日はコリアンタウンに行き、お世話になった人に挨拶まわり。
1軒目をお礼の挨拶をし、2軒目は腕のいいおばさんの理髪店。3年前に私が丸坊主を希望したら、彼女の職人的美意識なのか、英語が通じないふりをして頑固に前髪を切らずに残した。それ以来おばさんに今の髪型を任せていた。
散髪が済んでから来週に帰国するので「テーダイニ、カムサハムニダ(ほんとにありがとう)」と告げると、スッと私の両肩を抱いて「ほんとに帰るのか、もう来ないのか」と、悲しそうに送り出してくれた。
3軒目は、私の好きな名称「我孫子(Abiko)」店で、いつもの定番席に座り、ニンニクたっぶりの中辛茄子入りカレーとコロッケのランチ(中辛でも私には大辛)。あいにく店主が不在でしたのでメッセージだけ残してきた。
私は韓国人の社会にも大変お世話になりました。彼らはみな真面目で手抜きがない。
勉学のため17歳の時にこの線路を通り高崎経由で上京した。私にとり大きな出来事でした。そして、そのまま台湾に留学、さらにアメリカで起業。
私は自分の直感で自己の運命を決めてきたつもりでいましたが、今になるとどこまで自分の意志で、どこまでが運命の采配によるものか、活きて生かされてきた不思議さを感じる。
そして今、この線路傍の出発点に帰還すると、2月25日に母が住み、私が生まれた家を改築した上棟式が待っている。屋根の一番高い位置に棟木の横架材を取り付けた上に立ち帰還報告をすることになった。なんとも出来過ぎたタイミングですが、やはり不思議さを感じざるを得ない。
中国の知人も私の帰国を喜んでくれメールで「落葉帰根」の諺を贈ってくれた。私はすかさず確かに帰えるが落ち葉ではなく「紅葉帰根」と返事を返した。
今日の夕食はキューバ料理でした。
南米ではペルー料理が代表ですが、その次くらいになります。
アメリカがキューバへの渡航禁止の頃、禁を犯しバハマ島経由で秘密入国した思い入れがあり、それ以来ときおりキューバ料理を楽しんでいます。
先方は覚えていませんが、今日も愛想のいいウエイトレスでした。昨日のインドレストランに続きここにも来ることはないと思うので、静かにお別れしてきました。
明日は私がハマった「敦煌」の手打ち牛肉麺とキャベツの油炒め。
来週は「ベトナム料理」のホーと金目鯛と考えています。この2軒は私が隔週で交互に通った店なので、お礼の挨拶をしてきます。
かくしてあと残り12日となりました。
昨晩はインド料理を満喫しました。
2日前の事、ドライブしながら「帰国する前にもう一度あのレストランでインド料理を食べたいな〜、でも一人ではだめか」と思いながら帰宅しました。このレストランとは3年間ご無沙汰でした。
翌日ニュージャージーの南部に住む姪家族からメールで、夕食にインド料理でも食べないかと誘いが来ました。姪がインド料理とは意外でしたが、もちろん私は即答でOKをしました。「どこで」と聞きますと、このレストランがナビ付きで指定されてきました。
テレパシーとでもいうものなのか、こんな偶然ってあるのですね驚きました、私の思いが完全に読まれていました。
衰退する中国を横目に、これから始まるインドの時代を象徴するかの如く、インド街のネオンは煌びやかで、外気マイナス5度の中でもレストランは満席でした。
私は地球一周飛行までムンバイからドバイ間の3時間飛行がまだになっています。これは今年にでも連結させたく思っています。
立春の朝は零下15度という今シーズ一番の冷え込みでした。
私3年半の一人生活の修行を経て、今日からまた喜びと感謝に満ちた「黄金の日々」を始めます。
私はふたつのライフワークのテーマを、スーツケースに入れて帰還します。
一つは、天風哲理のさらなる研鑽です。天風哲学の宇宙霊という「見えざる実在」を探求したい。
次に「ポスト中共の中国」の模索です。台湾でベストセラーになった范疇著「後中共的中國」(うまいタイトルですがまだ未読)。
中共は2027年までに台湾統一を、核心中の核心的事項としています。そのために台湾海峡は緊迫した危機状態が続いています。果たしてそれまで中共体制が持つのか、習独裁が続くのか。
ともあれ、そうはさせじと「積極的現状維持」の下で、平和裏に危機を回避する道を模索して行きたい。これは日本の有事でもあるからです。
かくして帰還後もシルバーでなく黄金の日々となります。
節分とともに冬将軍がやってきた。
私にとり節分と立春はセットになっています。節分で過去1年の納め、立春は新たな出発の日です。私人生の歳時期をとても大切にしています。
今日はアメリカの家での感謝の豆まきですが、新家主のために豆を部屋に撒き散らかさぬようにし、外にたくさん撒くようにしました。「鬼は外」の豆を、リスと小鳥たちが喜んでいます。
今日の良き日に自宅明け渡しのサインをしました。先方が7日にサインして完了です。いよいよ残りは17日に車の移譲だけとなります。
明日は立春、いい日旅立ちの荷造りを開始します。
いい日旅立ち〜私を〜待ってる人たちがいる〜♪
高野山水(天然鉱水)を、ブログに載せるのは二回目になります。
ほんと久しぶりに日系スパーの中にある「おむすび権米衛」で、高野山水を買いました。一口飲むと口当たりがまろやかで本当に美味しい。いまさらに水にも鉱水、硬水、軟水と個性があることを知らされる。私は軟水と鉱水を飲んで育ったことを、私の舌が覚えていたようです。こんな美味しい水の国に帰れるかと思うと嬉しくなる。
これも本当久しぶりに月刊「文藝春秋」創刊100周年、2月特大号を買いました。書棚にあった本を大整理し残りを日本に送ってしまい、帰りの飛行機の中で読む本が手元にないことに気づいての購入でした。
見出し目次に「目覚めよ!日本、101の提言」とあるので、帰還の機上に丁度いいかなと、今から拝読を楽しみにしている。
またこれも久しぶりで、毎日の天気が6度から10度くらいの暖冬が続いている。まだ雪も降らず、私の50年のアメリカ生活の記憶では、1回だけだったかも知れない。
日本語に設定したスマホによると、今日は「にわか雪」ということですが、「にわか」にもなっていません。「にわか雨」は知っていましたが、「にわか雪」=(Snow Shower)という美しい日本語表現を忘れていました。忘れついでに2月もこのまま暖冬の日々であればいい。