10月31日はハロウィン。今年の我が家は地味な飾り付けですませてしまった。
月曜日で学校あるので、家のドアをたたく子供達も少ないと思うが、それでもポッキーを40箱用意してみました。
昨年は30箱で用意し、午後5時前に完売でしたが、今年は微妙なところです。なくなったら家の電気をぜんぶ消してし静かにしているつもりです。
本来ハロウィンは子供たちのお祭りなのですが、韓国も日本も何か履き違いしている様です。こんなことまでアメリカンナイズすることもないと思うが、挙句の果てに韓国では死者を多数出す惨事になりました。今年は"Happy Halloween"と言えなくなってしまった。
さて、ハロウィンが過ぎると晩秋、そして感謝祭を経てホリデーシーズンに突入です。
補記;ポッキーの結果は20箱でした、まぁ今年はこんなもんでしょう。
2022年10月アーカイブ
やはり10月中に記しおくことにした。
11月から自宅の物件を売却リストにのせる前に、すでに買い手が決まったようです。
古い知り合いの日本人夫婦とその娘夫婦が、買いたいと申し出がありました。先方の銀行ローンが順調に行けば、来年1月に明け渡しとなります。こう物事がすんなり行くのは、私の積極思考によるもと思う。
しかも、こんな不思議な偶然もあるもので、娘夫婦と顔合わせするために先方が指定したレストランは、なんと私のアメリカ生活の第一歩となった原点でした。
1975年8月、太陽の照りつけるなか、私と妻が大きな希望と不安と、両腕にスーツケース持って降り立ったクランフォード駅の真前に在る「Cranford Station House」というダイナーでした。あの時もここで味気のない食事をしました。
そんなことで、彼らとの話しの合間に、窓辺越しに見える駅の出口を眺めて思い出にふけってしまった。
「1日1分中村天風」=人生のすべてをつくる思考=を流し読み。
天風講演集から91の文章の切りとり本。1日1分 X 91なのですが、10分で読み流した。
青春文庫ですので若者向ですが、天風哲理を How to say と読むだけで、そのための実行方法 How to do がまったく欠落していました。多くの方が誤解していることは、理解と出来るは別のこと。ただ読むだけで人生が思い通りになるのなら、この世の中なんの苦労もない。
天風哲理を啓蒙してくれるのは有り難いのですが、理論だけで実行する方法が欠落していては元も子もない。天風哲理はあくまでも実践がともないますので、もし書くのでしたら How to do ! まで深掘りしてもらいたかった。
中村天風講演録「心を磨く」を再読。このタイトルは上手い、まさに心を磨く本でした。
この講演録は「中村天風講演録集」CD全7巻を、編集書籍化したものです。私は耳より眼から吸収するタイプなのでこちらを選択しました。
天風師が85歳から89歳の時に、京都、神戸、大阪の関西地区で行った講演録です。講演内容が円熟しきっており面白く拝読でき、何度読み返してもそのたびに新しい掘り起こしがあります。
今回は特に新鮮な気づきになったのは、第一章「人間の正体は気体である」と断じ、さらに「我とは霊魂という気体である」とし「我とは、心でもなく肉体でもなく、尊厳なる霊魂と称する気体なり」、そして「いかなるときも霊魂本意で生きろ」とありました。
心を磨く核心に霊魂がありました。「宇宙霊」と言わずに「霊魂」となっていました。天風師の説く「我とは霊魂という気体である」とは、なんとも刺激的な悟りです。
中共第20会党大会で愚帝習近平が3期続投となった。文化大革命の怨念の申し子の3選です。愚帝は中国共産党に勝利し独裁になることで自ら墓穴を掘った。
私は党大会の前から外野席の政治評論家やジャーナリストが、競馬の下馬評でもするかのようなはしゃぎぶりにウンザリしていました。彼らの予想は習以外はおおかた外れてしまい意気消沈している事と思う。
それにしてもこの愚帝を引き摺り下ろせなかった組織全体が硬直化しており、あたかも脳動脈瘤の愚帝とその左席に座っていたパーキンソン病に象徴されている。
厄介な面倒ですが、所詮は隣の国のこと、我々がとやかく批評してもはじまらない。我々は押し寄せてくる近所迷惑に毅然と対処して行くしかない。
あかあかと 日はつれなくも 秋の風
秋になるとどうしても芭蕉の句になってしまう。
当地の朝は2、3度に冷え込み日中は15度前後なので昼間のうちに公園を散歩している。公園といっても私の散歩は、もっぱら人がげの少ない雑木林のなかとなり、さらに寒くなるとショッピングモールでの散歩となる。
19日からインプラントの治療をはじめた。インプラントとは聞こえはいいが、なんてことはない入れ歯でして、これで4本目です。歯には少しばかり自信があり、小学生の頃には歯のコンテストに出たほどだが、長い間に渡り使用してきたので選手交代のリリーフとなる。
動物は自らの歯が衰え咀嚼できなくなるとじきに消えて逝くようですが、幸い人間はリリーフの当番で生きながらえる。
有り難いことです。
この道は 行く人なしに 秋の暮れ
この秋は 何で年寄る 雲に鳥 (芭蕉)
ボストンでショックな出来事があった。
そこそこ高級な海鮮レストランに行き、小用のため男性トイレに入ると、6月までは確かにあった3つの小便器が消えていた。
間違って女性のトイレに入ってしまったかと思い、慌てて外に出てドアを確認すると「MEN」あり、再度中に入ったが4つの座用器が並ぶだけでやはり小便器がない。信じられなく再度ドアを出て確認すると間違いなく「MEN」とある。これはいかにしてもやり過ぎで、これでは男が男を感じる男の特権を抹殺する逆差別になる。そのうちドアの「MEN」も取り下げるのかな。
「Oh,Shit」と思いながら用をたしてきた。
ボストンを離れるのにあたりマサチューセッツ州プリマスまで足を伸ばし、1620年にイギリスから新天地アメリカに渡った最初の移民団102名を乗せたメイフラワー号を参観してきた。よくこの小さな船で大西洋の荒波を渡ってきたものです。それこそ命懸けの移民ですが、神への信仰心とは偉いものです。
この移民団の中にブライアンスミスの名を見つけたが、そのオリジナル子孫が長い間私の会社にデザイナーとして働いてくれていた。そんな縁もあり会社の慰安旅行を含めこれで3回目の訪問でした。
私は移民の国アメリカで最後まで客人として通して来たが、この機に彼らにお礼の挨拶をしてきました。
10月12日、ボストンからニューハンプシャー州へ3時間半ドライブしてホワイトマンテンの大紅葉を鑑賞。
アメリカを離れるのにあたりもう一度このパノラマを見定めたく出かけてきた。
自然が織りなす芸術は人智を超えていて、スマホのカメラでは納められないジレンマを感じながら、一枚でもいいからの思いで撮りました。
秋の暮れ
道にしゃがんで
子が一人
(高浜虚子)
10月10日、台湾の国慶節が「日台友情50周年」にあたり、外国から初となる出演団体として京都橘高校吹奏部が招待され、素晴らしい演奏演技を披露し、すっかり台湾人の心を掴んでしまった。マスクを外し「元気いっぱい!笑顔いっぱい!夢いっぱい!」のマーチを、是非とも見てもらいたい。
https://www.youtube.com/watch?v=VeEXIS1LSI0
彼ら高校生には何らの政治的なしがらみなどなく、純な文化交流で新しい日台関係の友情なのです。日台「友好」というおかしな中国語でなく「友情」なのです。私はこの新しい世代の日台友情を、本にまとめたく思いながら力不足でいまだに果たせずにいます。
そんなことですから、国慶節でこの光景を視覚化でき、もう涙が止まりませんでした(加齢による涙腺がゆるくなった事にもよりますが)。
今回の国慶節のテーマは「宝島有光、土地之愛」(宝島に光あり、この地を愛す)でして、夜のイベントの最後に輝いた電光ネオンは「永遠存在台湾」(台湾は永遠に存在する)でした。
「日本人の真価」2020年10月時点の評論を書き出してみた。
「我が国は現在、荒れ狂うコロナ禍に直面し、医療崩壊に直面し、飲食店など中小企業が大量に倒産するという国難の真只中にある。今こそ望まれるのは信頼できる指導者の、国民の心を震わせる力強い決意の言葉だ。ところがそんな言葉を発することのできそうな、論理と情緒を兼ね備えた政治家が与野党のどこにも見当たらない。実はこれこそが真の国難なのである」とある。
今もその国難が続く。これは私が常に主張していたことでもある。
かくして今だに鬱陶しいマスク国となっている。しかも、そのマスクの大半は武漢ウイルスの中国製という屈辱です。
いったい何時までこの状況が続くのだろうか?
10月2日早朝、江ノ島のパワースポットのを巡り、富士を眺め、5日に晩秋へ向かうニューヨークに戻ってきた。
1ヶ月の滞在中、マスクだけで鬱陶しいのに国葬反対、統一教会ズブズブ論、五輪賄賂スキャンダル、その低俗さに拍車をかけるマスコミ、いったいこの国はどうなって行くのかと、もやもやした日々を過ごしました。
気分直しに藤原正彦著「日本人の真価」ーこの国は再生できるーを、帰りの機内に持ち込み、寝ずに拝読してきました。これがメンタル回復に大当たりでした。
久しぶりに藤原氏の本でしたが、やはり慧眼な内容でした。おかげさまで日本はまだ行けるという勇気をもらい、JFKに着陸した時にはすっかり心が秋晴れになっていました。名著としてお勧めしたい1冊です。
本論からは少し外れますが、8章、9章と終章に「ウクライナそして父の手拭い」は、涙を誘いマスクがべっとり濡れてしまった。
そして不要になったマスクとさよならをしてアメリカへ通関。