当地のハロウインは子供のお祭りで、1ヶ月前から妖怪、幽霊、骸骨、お墓などを庭いっぱいに飾ってこの日を待ちます。
昨年はコロナの影響で玄関前にテーブルを出してお菓子を置きました。今年も同じく子供達との接触がありません。子供が何人来るのかわかりませんが、ポッキーを30箱用意しました。
今年は温暖のためか、例年ですと飾ったカボチャはリスの餌となり、ハロウインを待たずに中身を食べ尽くすのですが、それがまったない。
我が家だけかと思いましたらどこの家も同じでした。リスが少なくなったのかと心配したが、昨日からカボチャ表面に数カ所かじった跡があり、いよいよリスのハロウイン登場です。
ハロウインで10月も終わり、晩秋から冬に向かいます。元気に冬を過ごしましょう !
2021年10月アーカイブ
松本光正著「中村天風の歴史」を拝読。実に面白く貴重な資料になりました。
愛弟子だった大井満氏が遺した「ヨーガの里」、「戦場と瞑想」とすれば、本著書は天風晩年の直弟子が残しておかねばならぬ仕事でした。
私はこれまで著者の「呆けずに長生き」、「君子医者近寄らず」を読んでましたが、まさかこれほどまで「天風おたく」(自称)を、実践していた方と知りませんでした。実に痛快です。
天風の経歴をできる限り正すための「時代考証」と「ありばい」の検証だけで1冊の著書になって出版されたとは、松本氏の強い信念の賜物です。果たして今この本を手にする「天風おたく」がどれほどいるのか興味がつきません。
著者は後書きで、「私の生活信条は天風おたくを通すこと」とあり、私もそれには大賛成です。著者はコロナ感染のなかノーマスクを通し診療中もそうしているとあります。天風師がマスクはするな「口に褌してどうするのか」を実践しています。天風師はスペイン風邪の猛威の中で辻説法を始めていました。
「待ってました天風おたく!」これぞ直弟子です。でも一方で天風師は人に迷惑をかけないことを前提としていました。いま「天風おたく」が、絶滅危惧種にならぬよう、「天風哲理2.0」のバージョンアップが必要になっています。
倉庫の整理が一段落したので、週末から自宅の本の整理をはじめ、まず200冊ほどを整理した。
中国関連本だけで500冊ほどになるが、今週中に10数冊だけを残して整理予定。時が流れ大半が古い情報になってしまっている。中国ウオッチャーとはいえよくこれだけ読んだものと思うのだが、タイトルの趣旨だけしか憶えていない。最近うんざりしている中国問題と距離をおきたく考えているので丁度いい機会です。
健康管理関連やノーハウ本は、今ではユーチューブの動画で、最新の情報が得られるので未練なく捨てられる。また後で読みたくなったら、その時点で新たに購入するつもりでいます。
こうなると残る本も書棚6段くらいとなり、司馬遼太郎氏、曽野綾子女史とこんまり本は、最後の最後に整理予定ですので最終的には3段くらいになります(と言いながら昨日もまたアマゾンで2冊購入)。
娘にこれから家を留守がちにするから貴重品は銀行のボックスにでも預けるように言われ、「はて?何があるかな」と考えたら、本と神棚と仏壇以外に何もなかった(><)。
喜びの声を発すれば、喜びの人となり
悲しみの声を発すれば、悲しみの人となる
群馬の上毛カルタに「心の灯台 内村鑑三」とあり、小学生の時に何も知らずに憶えた名前でした。
あの人生に厳しい執行草舟氏が私淑する人物で、ともに無教会キリスト教徒で武士道が基盤になっています。
比べる必要はないのですが、その人が生まれ持った愛の量が違うのか、文明勃興期と衰退期の違いなのか、明治人と昭和人の時代なのか、「みんな違ってみんないい」です。
http://grandraid-reunion-oxybol.livetrail.run/coureur.php?rech=225
東アフリカのマダガスカル島をさらに西に少し離れた米粒のようなフランス領リユニオン島があります。そこで160キロマラソンレースが開催されています。
家の婿殿が21日午後9時に背番号225を付けてスタートし、今この時点に40キロメートル、海抜1900メートルを走っている。今夜は徹夜で走り続けどこまで行くか、、美しい海を見ながら山あり谷あり、、
娘と孫が応援に行ってます。私も応援に行きたかったが、何せアメリカから遠く未知に島なので断念した。せめてもとサイトで走行地点を確認しながら見ています。もちろん私は爆睡予定、明朝のお楽しみ!
*現地時間22日午後7時時点;婿殿は100km近くまで来た。後一山を越えると小さな山となるが、今が一番きつく棄権するかしないか、自己との戦いになる。
*現地時間24日午前4時の時点:婿殿120km付近を走行中!残り40kmは300m級の小山2つだけ、スタートから29時間経過、もう迷いはない。どうやら完走が見えてきました。
*完走!43時間26分。スタート前にマイペースでのゴール時間をあらかた定めておいて、後は自己コントロールです。婿殿の前世は飛脚だったかも。
5年ほど前からぼちぼち始めた倉庫の整理が、予定より1ヶ月遅れましたが、今日すべての出荷が終わりました。
46年間続けた最後の出荷先が、なんと「ハートランドアメリカ社(Heartland America)」でした。なんか出来過ぎですが感慨深いものでした。
先週末に新陰流を修練している知人が折よく「これで素振りをしたら」と木刀を持ってきてくれました。そうもう留学時代以来50年も素振りをしていませんでした。
倉庫で素振りをひと振りすると、ビジネスマンから素浪人に里帰りです。そうか、これが私の本来の姿だった。
これからまた素浪人として活きて行こう。
立川志の輔の創作落語に「親の顔が見たい」という十八番がある。
落ちが演題通り「親の顔が見たい」です。
いま世間を騒がせている某婚姻問題がある。こんな些細なことで将来に禍根を残すであろう娘のことを、3年もかけても処理できぬ「親の顔が見たい」。
9月の日本帰省のさい一番いやだったのは、「2週間、自宅待機し、他者と接触しない」という、私にできない「誓約書」を書かされたことだった。
所詮こんな事は無理でして、私は毎日他者と接触し、近くのレストランで食事をして注意を受けていました。それでも従前に決めていた東京での会食はすべてキャンセルしました。
2件のみ、14日の諏訪大社の参拝と16日に東京の墓参りで県外に出たことで、AIから「至急に自宅に戻るよう」にと警告を受けました。
諏訪大社を参拝してから、標高2000メートルの美ケ原高原に行き、駐車場から「美しの塔」まで歩きました。そこで驚いた事は、前のブログにも書きましたが、コロナ感染の騒ぎから解放されたいがための「美し川原」だと思うのだが、空気の薄い気温16度の中を、みなマスクを着用していて歩いていました。マスクを着けてないのは私と牛と馬だけだった。人様への迷惑を配慮する忍耐強い律儀さ、日本人の美徳であり、これが日本の強さなのだろう。
また、自宅待機で幸運なこともあった、友人の法事で9月10日に予定していた会食を、急遽22日に延期してもらった。当日、4名のワクチン接種済みのうち1人が欠席でした。理由を聞きますと、デルタコロナに感染し24日まで自宅療養とのことでした。もし延期していなかったら、、、、誓約違反でとんだスキャンダルになり、しばらくアメリカに戻れなくなっていた。
時差と体調の調整をしていたら10月も6日になってしまった。
日本で上野駅からホテルに向かう途中で、5段の階段を左に折り返して15段ほどの階段があります。
トラベルキャリーケースを持って先ず5段を上った所で、手が滑り下まで転がり落としてしまった。そこえすれ違った白ワイシャツに黒ズボン高校生がすかさず拾い上げてくれた。
その後で私を正視し、ハッキリした声で「上までお持ちしましょうか?」と、キャリーケースを軽々と持ち上げて上まで運んでくれた。
私が「どうも有り難う」と、お礼を言う間もなく下に駆け下りて行った。その爽やかな後ろ姿に己の齢と日本の未来を感じてしまった。
日本の高校生もまんざら捨てたものでない。我々はこうした若者のために夢のある明日にしなければならないことを痛感した一瞬でした。
「この世の中を、私の生まれたときよりは少しなりともよくして逝こうじゃないか」(内村鑑三)