篠田桃紅美術家伝「百歳の力」を読み終えた。自伝ですが聞き書き方式でしたのでさらりと読了。
篠田桃紅の人生は"Cool(クール)"の一言。クールな自然体です。本人も「類のない珍種、悪く言えばできそこないない。でもまがいものではない」と語っています。その姿のバックにはフランクシナトラのマイウエー(I did it my way)の曲が静かに流れている。見事な人生を貫き通しました。
やがて私もこの世を去るだろう
長い歳月 私はしあわせに
この旅路を今日まで生きてきた
いつもの私のやり方で
ひとはみないつか この世を去るだろ
誰でも自由な心で暮らそう
私は私の道を行く (岩谷時子訳)
I did it my way
自伝とはかけ離れるが、篠田美術家はニューヨークから帰国して山中湖畔に居を構え、富士山に魅せられている。著書の第五話、第六話で、なにしろ富士山は美しいと語っています。
富士との出逢いは「朝早く起きたら、すぐ目の前に大きく真っ赤な山があって、なんだろうと思ったらそれが富士山だった」。
「忍野八海という富士山が見える絶景地だった。当時の絵葉書は、全部、忍野村から撮影されていた(上記の写真)」、画伯は忍野村に藁葺きの屋根の家をつくっています。
私はこれまでこんなに美しく富士山を語れる人を知らない。画伯の抽象芸術のインスピレーション(霊感)は、霊峰富士山から出ているのだろう。
「富士山にはあらゆる光、あらゆる色、あらゆるかたち、すべてある」「だから富士山は、絵具では表現できない。世にある絵の具では数が足りない」「墨は、道具としては富士山を表現しうるかもしれない。墨も一切を含んでいる。明るさも暗さも、強さも弱さも、火も水も一切が墨にはある。墨は、始まりの色で終わりの色と老子は言っている。墨の持っている力を、本当に引き出せる人がいたら、もしかしたら、富士山を表現できるかもしれない。でも私には無理です」「富士山は言葉にすべきものじゃない。歌にするとか、そんな必要もない。私も一枚も写真を撮りたくないし、絵にも描きたいと思っていません」。
この富士霊賛だけでも、この著書は光を放っています。
篠田桃紅著「百歳の力」
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