日本で細やかなおもてなしに満喫し、当地に戻って来たらすっかり中秋。紅葉と落葉が始まっていた。
中共ウイルス禍の状況も相変わらずのままで、早くも第2波が心配されてスパーの棚からハンドペーパー類が消えています。また都市部の治安も悪くなってきています。
そんななか1ヶ月後に控えた大統領選が加熱をおびてきて、今日は第1回目の大統領候補者討論会です。10月のアメリカはこの2つの騒ぎで静かな晩秋を迎えそうにない。
一方、8月か9月に中共内部で政変が起き、習独裁が退場することを期待してニュースを追っていたが、すでに変革できぬほど動脈硬化となり延命治療しているようだ。さて10月にどうなることか「中共の夢は人類の悪夢」この機に潰さねばならないと、毎日それを思い詰めてたら、その見返りでこちらが帯状疱疹(退場方針)になってしまった。
中共の狂気で台湾海峡波高し一刻の目も離せない緊張が続いている。
こうした9月が過ぎ10月を迎えます。世界は激動しています。我々も変化に対応して前進する覚悟が必要になっています。
「名月を 取ってくれろと 泣く子かな」(一茶)
明日は中秋の名月です、いい月を取りましょう。
2020年9月アーカイブ
明日28日から仕事を再開するので、今回の旅路を締め括りたい。
JALに登乗するとスチュワーデスが、私を待っていたかのように「○○様、今日は6時間半後にオーロラが見えるかと思いますが、窓際のお席はいかがでしょうか」と案内されました。私はいつも中間のアイル席を予約していますが、オーロラを見るのもいいかと窓際にしました。
離陸の滑走が始まると、JAL機の整備士が旅の平安を願って手を振って送り出してくれます。毎度の見慣れた光景ですが、中共ウイルスの余波で、次回の帰国がいつになるか予測もつかぬため、心なしセンチメンタルな離陸となってしまった。
果たして6時半後、左横遠くに白夜の帯が見え、時折オーロラを放射していました。その後は雲海の上を飛行し、斜め前方に「宵の明星」が輝き、やがてそれが「明けの明星」となり、徐々に輝きを失うとともに、朝焼けの光景へと変わり朝陽が顔を出してきました。
実に壮大な素晴らしい暗夜光路でした。これまで300万キロほど飛行したのに、これほど美しい光景に知らずにいました。これからは窓際を予約しようと思う。
護国寺で天風師のお墓参りをすませてから、そのまま靖国神社に直行し参拝しました。数年ぶりの参拝でした。
お彼岸のこの日、参拝者は少数でしたが、拝殿でみな三密を守って並び厳粛に拝礼していました。
靖国神社は実際に御霊を前にして合掌しなければ感じられないものがある。参拝の時、日頃つい意識していなかった「日本人」に立ち返らしてくれる原点があります。理屈ではなく新鮮でいい感じでした。
拝殿の左側に立て札に;「新型コロナウイルス、皆の力で打ち克ちましょう。一日も早い終息を心から祈ります」と、ありました。
参拝の後、大鳥居の右前にある八千代食堂で、「知覧より直送する本物の味。特攻隊の母とされた鳥濱トメさんが特攻隊員のみなさんに振舞った玉子丼」をいただきました。ぶっかけ玉子だけでさしたるご馳走ではないことが、逆に当時の彼らを偲ばせてくれました。
もし、日本人であることを忘れかけたら、靖国を参拝するといい。
2週間ふる里での自粛を終え、9月21日に東京に出ました。
翌、秋分の彼岸(アメリカ時間21日午後11時)に、天風師のお墓参りをしてきました。今回はお墓の左側にある墓碑を、再見したく思いました。
天風師85歳、61年間連れ添った妻ヨシ子の帰霊に贈った墓碑で;
「先天の一気、すなわち霊源は、作為なくして大自然を行う。
人生もまたこの疇中、一切は還元して大霊に帰す。」
天風師は妻を亡くした49日の間、側から声をかけられぬほど憔悴をきたしという。後日この墓碑を色紙に書いてくれるよう頼まれても、妻に捧げたものとして誰にも書き贈ることはなかった。
24日にアメリカに戻ってきました。
19日間の日本滞在でしたが、今回ほど辛い旅もありませんでした。
先ず羽田飛行場での唾液によるPCR検査のため、構内を端から端まで連れ回されて2時間の結果待ちでした。さいわい「陰性」で、入国となった際にピンクの紙切れを渡され、そこには赤字で;
「*公共交通機関の使用は不可です。
*指定場所から14日間外出せず。人との接触を可能な限り控えてください。」
有り難いことに友人が迎えにきてくれて第1難関は順調にパスして帰省できました。第2の難所「14日間外出せず」が、思っていたよりたいへんでした。
当初より14日間は散歩三昧を決めていまして、最初の1週間はふる里をほぼ快走でしたが、2週間目の9月15日から不覚にも急性の帯状疱疹になり失走しました。上州米の稲穂の写真を撮った後、ひたすら静養に努めました。
旅人にとり2週間の拘束は、無理筋な通達でした。それにもう2週間の畳生活が馴れませんでした。
そんなかでもよかったのは、静養中に安倍首相の辞任と菅新政権を、テレビで見られた事でした。
今朝の散策は上野国一の宮「貫前神社」の参拝で4000歩。
歩数としては少ないのだが、表参道の急な坂を登り、さらに72の石段を登りきり、総門をくぐってまた石段を下りた所に社殿が祀られている稀有な神社を参拝です。
高校の時に部活で72石段を、一気に駆け上がり何往復もしたものだが、今回は40段目でガス欠、しばらく立ち止まり深呼吸する始末でした。
社殿の左側に手水舎があるのだが、中共ウイルスの煽りで蓋がされて、代わりに消毒液が置かれていた。当然な処置なのだが思わず苦笑。神を冒涜する中共ウイルスは、厳粛な神社の参拝にまで迷惑をかけていた。
さて、今日で帰省1週間、明朝は川沿いに城山の麓を散歩してからデニーズで締める予定。
6日に帰省して1週間、何もすることなく散歩三昧。
翌7日、8日に7000歩、9日に9000歩、10日、11日、12日に各5000歩のペースです。散歩の仕上げはデニーで朝食となっています。
古い街のためお寺さんが多いことに今更ながら気がつきました。欧米の古い街に教会が多いのと同じなのだろう。
しかもどのお寺さんも命銘が良いことに感心してしまった。光明院、海源寺、龍光寺、永心寺と、仏教文化の奥深さを感じます。
樹齢四百年の銀杏樹の前の立て札に「坂村真民」の述がありました。
この高い銀杏の一線上の路地を挟んで富岡製糸場の高い煙突がそびえています。そして工女の墓がこの寺に眠っています。
今朝も散歩から始めた。
故郷の山並み妙義山、浅間山、近場の城山を眺めながら、小学生の頃に魚取りした堰沿いに1500歩の歩いた所にデニーズが、バイパス道を挟んだ向側にマックとスタバが在ります。
今日はデニーズで朝食、アメリカのデニーズは料理が粗く不味いのだが、ここはやさしく美味しい。もうこれだけで幸せを感じてしまう。
デニーズのパーキング場の奥にセブンイレブンが在り、数十年ぶりに週刊誌を購入。そこに親父が創業した建設会社のダンプカーが駐車していた。
山並み以外は情景が大きく変わったが、今朝の故郷は出来過ぎの新舞台で迎えてくれた。
明日もテファニーでなく「デニースで朝食を」です。
JFK―羽田間の国際線でファーストクラスのない機材に初めて乗りました。したがい私の座席が一番前となり、しかも両側席に誰もいません。中共ウイルスの影響とはいえJALさん誠にお気の毒。JFKも羽田飛行場も機内もガラガラで、いつも聞こえてくる中国語がまったく耳に入ってきませんでした。
羽田では唾液によるPCR検査となり2時間の結果の待ちで、陰性を確認して入国になりました。それでもやはり不用不急のほかは14日間の自宅待機です。唾液によるPCR検査の正確度は90%ですので、ここで自宅待機させずに開放すべき思うのだが。
まぁ、天から「たまには古里でゆっくり休め」と賜った癒しの旅に感謝し、もっぱら散歩三昧を決めています。さっそく今日は朝から1日で8000歩でした。
散歩の帰り道にマック店に入り、朝なのに「月見マフィン」で、「月を見る、心が上を向く」朝食、ランチはデニーズで和食セット。6ヶ月ぶりにレストランの中に座っての食事、もうこれだけて幸せ。
明朝も同じコースを散歩した後、マックで月見マフィンと今回はコーヒー2杯です。
前ブログに続き今日も中共崩壊の兆しについて続編です。
世界遺産に登録されている四川省峨眉山にある「楽山大仏」が、大洪水で足を洗ったという。大仏が足を洗うと天下が乱れると言われています。前回足を洗ったのは1949年で、中共が政権を奪ったとき以来。道理で中共幹部たちが足を洗って国外逃亡を始めたわけだ。
私も中共は宗教を弾圧し、信仰心の無さで驚いたというか呆れたことが2つあります。私が神を恐れぬ中共を忌避し始めた理由です。
2012年に世界一高い大仏のある観光地「霊山寺」を訪ねた時に、大仏足下へ行く途中に印を組んだ仏の坐像がありました。その仏の前で観光客が小銭を投げてうまく左の掌に乗るか外れるか、ゲーム感覚でキャキャ騒いでいたのです。これほど仏を侮辱することもないのに全くの無神経でした。
もう一つは、各地に「中国の夢」の標号が貼られた同時期に、上海の賑やかなクリスマスデコレーションが、習近平の「西洋かぶれするな」の一言で、クリスマスライトが街から消えてしまったことです。そしてここに来て、楽しい食事に監視つきの節約令、、、いやはや。
それ以来、私は上海に無沙汰です。神を怖れぬ国、信仰のない国を信用していません。
中共ウイルス騒ぎで途絶えていた日本からの郵送物が半年ぶりに届いた。40数年定期購読している情報誌「選択」4月号が配送されてきました。5ヶ月前の雑誌など今さら読めるかと思いきや、古さを感じさせない面白い内容だった。中共ウイルスの情報はこの頃が一番核心を得ていたようです。
さて、中共は9月に入ってまたやってくれました。少数民族チベット、ウイグル人の人権弾圧についで、今度は誇り高きジンギスカンの末裔である内モンゴル族への文化弾圧です。さらにはインド国境へまた派兵、ブータンにも手を出している、ここには高価な漢方薬がある。
中国の周辺少数民族をテーマにした司馬遼太郎さんが、今を活きていれば悲痛の思いに歯ぎしりをしたことでしょう。なぜ中共は今になって四方八方で緊張を煽るのか。たぶん崩壊へ向かう焦りの現れなのだろう。どう考えても、どこをとって見てもすでに詰んでいて崩壊に向かっている。もう何もかも腐り切っている。崩壊がいつになるのか、日本は今から混乱に備えておくことが必要になっています。
日本は安倍退任から9月16日に問題なく新首相に引き継がれる。これが民主政治というもので、独裁政権は死闘の内部闘争に明け暮れ最後まで権力にしがみつく。「騎狼難下」哀れ習近平。
早くも8月が過ぎ行きます。
今月中に中国が大きな変化の山場を迎えると予測したが、結局さしたることもなく硬直したゾンビのまま終わった。しかし、アメリカによる中共潰しの緊迫した状況がまだまだ続き予断を許さない。
今回、集中して中国問題を探究して得た結論だが、地理的要素とそこに住む民族の特性は切り離せないという事でした。地球の表層に数十億年と繰り返し繰り返し刷り込まれてきた風土と、そこで生活する民族の遺伝子を見ると、中国はやはり大陸国家であり、韓国と北朝鮮は半島国家で、日本や台湾は海洋国家という地政学的な特質が鮮明に浮き彫りになっています。
日本は海洋国家として未来を築いて行く事が、日本を実践することになり、中国にはユーラシア大陸国家の覇権の夢を見させておけばいいし、半島とは是々非々で対応して行けばいい。地政学的に人類の文明を俯瞰すれば、古代ローマ帝国が支配した地中海時代、近代ヨーロッパが世界の中心となした大西洋時代。そして今、日本とアメリカを基軸としたインド太平洋時代が形成されつつあります。
日本は9月に新しい首相に代わりますが、海洋国家の未来を見据えたリーダーに繋いでもらいたい。
それでは平原綾香の名曲「ジュピター」を聴きながら9月を迎えることにします。よい月にして行きましょう!