27日に暖冬のアメリカに戻って来ました。
日本を長らく無沙汰したため、今回はいろいろやる事が多く、毎日が実に生産的な出張でした。
日本で来年の干支が描かれたヘレンドのコーヒーカップをいただきました。北欧の「ねずみの王女」の童話から飛び出たネズミが立ち上がり、悩んでいる我々を見上げて「なにも心配することないから」と、告げている瞬間を描いたそうです。
そう言えば、干支飾りのねずみはみな上を向いている。そんなねずみたちが、明日「なにも心配することないから」と、2020年を運んできます。
ゆく年、くる年、みなさまよいお年をお迎えください。
2019年12月アーカイブ
冬至は1年で最も陽が短い日、この日を境に太陽が来復してきます。
天照が天の岩戸から出て来た日であり。キリストの生誕降臨の日であることから光の子になったとされています。中国では納骨の開眼供養日になっています。
私は今年ほど真冬の一陽来復、光の復活の願ったこともありません。
「この光こそは、わが命と宇宙霊とを、確実に結びつくくろがねの鎖である」(天風)
「花の雲 鐘は上野か 浅草か」(芭蕉)
毎朝6時になると私が常泊しているホテルに、何処からか鐘の音が聴こえてきます。あの鐘の音は上野か浅草か、芭蕉の前期の句でノリよく詠んだ秀作とされています。
今朝は散歩がてら芭蕉が詠んだというこの鐘を突き止めました。芭蕉はここで「時の鐘」を聴いたことになります。そして、ここから数十歩離れた所に、天風師が百年前に辻説法をはじめた樹下石上が在ります。
芭蕉が聴き、天風が聴き、いま私が聴いています。そしてまた誰かが聴くとことになります。代わる者と不易なものと、時の流れもいいものだな〜としみじみ感じたしだい。
かつてミヤンマーに行った時、道路に面した家々の門前に通行人のために水壺が置いてあったのを見て、この仏教国に好印象を受けました。
スイスでは街角の小さな広場に水飲み場があり、そこで街人が水を飲んでいる姿を羨ましく眺めています。
スイスや日本を含め水道水をそのまま飲める国は世界でも少ないのですが、私は海外生活が長いため水当りを敬遠し飲むことができずにいます。スイスでもエビアンか沸かした白湯を飲んでいます。
そんな私が口コミに乗せられて、3日前から浄水器を蛇口につけるだけで衛生的な素粒水ができるということで取り付けました。「素粒水」というネーミングが気に入りました。
これが体にいいのかわからないが、水道水から浄水器経由の生水を飲み始めました。私にとり念願の蛇口からでる生水を飲むとい画期的なことになりました。
週末に馬渕睦夫著「2020年世界の真実」を読んでみた。こういう憂国の著者がいることは有り難いことです。
表題にもあるが「百年に一度の大変革期が始まっている」ことは直接肌で感じています。世界の動向と為替の動きを見て、いったいどこへ進んで行くのか全く読めなくなってきています。まさにカオスです。
馬渕氏は例によってアメリカのグローバリズム+ディープステイトVS ナショナリズム+自国ファーストの相克で、2020年に前者が敗退して勝負がつく分析しています。
しかし、事はそんな単純でなく百年に一度の大変革がたった1年で勝負がつくわけがなく、このまま30年は大激動期の中で日本がいかに生き抜いて行くかになります。
馬渕氏はいつもディープステート悪者説ですが、両者は織り成す縄のごとくで、いま日米両国と(ロシアではない)ディープステートが共闘して、中国とやがてその同盟国となるロシアの覇権に対峙しています。私はこれ以上中国の暴走と覇権を阻止するためにもこれを好機と捉えています。
やわらな初雪が昨夜から降り続き今朝は3センチほどの雪景色。昨年よりも3週間ほど早い雪となる。私がスイス連峰の雪をそのまま連れて帰ってきた感じです。
写真は2歳になる孫娘の小さな可愛いスキー具と靴が、もう積雪を待てぬように玄関に置いてあります。
スイスではこんな小さな頃からスキーを当り前のように楽しむのですから自然児が育つわけです。羨ましいかぎりです。
30日にスイスから帰ってきた。
Newark 飛行場のゲートの通路にアインシュタインの名言が飾ってあった。アインシュタインは戦後スイスから移民してニュージャジーのプリンストン大学に席を置いていた。
"Imagination is more important than knowledge.
Knowledge is limited.
Imagination encircles the world."
『想像は知識よりも重要だ。知識は有限であるが、想像力は世界を包み込む』
「かるが故に、能う限り可能的で高級なる想像の絵を心に描こう、ハッキリと明瞭に、、、」(天風)
12月はこの名言から始めることにする。