8月はアマゾンから配送した著書のダメージがひどく、手元に届く前に自動返却されてしまい、結局「夏の騎士」を読んだだけで、早くも秋風が吹きはじめてしまった。
もっとも今月の日々は、自分の時間が取れず落ち着いて読書していられなかったので、ちょうどいい按配でした。
そうしますと、月の終わりになってやっと「オンリーラブ」ー愛だけがー(変動する世界を霊的に生きる)が、再配送されてきました。これはたぶん9月になって読めというメッセージなのでしょう。9月も自分の時間が取れずこの1冊だけになると思う。
そこでふと「自分の時間がない」という時間もまた「自分の時間」だということに気がつきました。自分の時間があってもなくても時は同じに流れるわけですから、取れない時間も貴重に過ごそうと今頃になって悟ったしだい。
9月も霊的なよい月にして行きましょう。
2019年8月アーカイブ
(韓国の国花ムクゲ)
8月17日付けブログで「外交関係も人間関係も同じ」と言及しましたが、外交も人間がやることですから結局そうなるのでしょう。
朝鮮民族の統一は彼らの悲願(彼岸)で、民族主義の錦の御旗になっている。ここまでは理解できるが、日本の統治時代を除いて、一体この半島にいつ統一朝鮮があったのか。半島国家の地政学的宿命で、韓国の国旗を見れば今でも陰陽の二つに別れ、日米、中露の八卦に引き裂かれて見果てぬ夢になっている。
側から見て北がなんぼの者か知らぬが、「恋は盲目、痘痕も笑窪」で、文政権のやっている強引さはいじらしいほどである。日本は彼らの恋の病が冷めるまで距離を置いて静観するしかない。
平成のおじさんこと小渕恵三元首相を、「ニューヨークタイムズ」紙が「冷めたピザ」と揶揄しました。
冷えて食べられない「冷めたピザ」、日本ではさしずめ「のびたラーメン」か「気の抜けたビール」となるわけで、一国の首相に対して失礼な揶揄だが、日本でも受けしました。
その「冷めたピザ」が、令和のおじさんとして再生しました。熱く焼いたピザを冷蔵庫で30分ほど冷やしたあと、ご当地名産の新鮮なトマトとタマネギをたっぷりのせオリーブオイルをかけてでき上がり。
これがたいへん美味く夏場に大受けし、今シーズン4回目のランチピザになっています。ピザを冷やして食べる発想の展開、「冷和のビザ」もすてたものでない。
上のロゴは、ロシアの日本レストランの看板だというが美味いね〜。国旗をバックに鶴と箸を持つ雅な女性をいい感じに描いている。JALも顔負け、デザイナーは誰だろう。
さて、鶴に乗っての脱亜ですが、日本は危険水域に達した極東情勢を冷静に分析し距離を置いて独自の道を行けばいい。決して鬼門の朝鮮半島や大陸国家に引きずり込まれることなく、日本の未来は海洋国家として「インド太平洋」へ脱亞です。
「外交関係も人間関係と同じ」というのが青山繁晴参議員の持論だが、私も同じ考えです。約束を勝手に破り自らの非を認めることなく、すべての責任と反省を他者に押しつけ、恨み、嫉み、怒りでしか国民をリードすることができない指導者は国を滅ぼす。恨み、嫉み、怒りは非建設的であるから、こうしたネガティブな心情で始めた事は決してうまく行かないのが宇宙神理の因果応報です。
人間関係でもこういう人に出会ったら相手にせず、批判もせず、采配は天に任せ毅然と距離を置く事に尽きる。
朝目が覚めると電子音のノイズが聞こえるので、どこからかと耳を傾けたら外から聞こえてくる虫の音でした。
「え、もう虫の音かいな」と思いカレンダーを見ると立秋でした。自然は正直なものです。庭のホウズキも赤みを帯びていました。
我が家に26年間働いてくれたお手伝いさんが今月で辞めることになりました。ニューヨークの自宅から3時間かけて来てくれ、日曜日の夜から金曜(最近は木曜)までお手伝いしてくれていましたが、さすがに齢には勝てず両足の痛みで通えなくなり、これからは旦那さんと息子夫婦と余生を過ごすことになりました。
26年間も住み込んでくれたのに、私は台南から移民した彼女の英語名だけで、漢字名も住所も履歴もプライベートな事をほとんど知らずに今日まで過ごしました。お互いに信用しながらも距離を置いたことが、長く続いた要因だったと思う。ただ私の力量不足で、律儀ないい人でしたが最後まで心配性、取り越し苦労の性分を治せなかったことです。彼女の前に3年ほど働いてくれた実の姉さんは、台湾へ帰国する引き継ぎの時に、我が家に来て「何にでも感謝すること」を学びました言ってくれましたが、今回はどうかな。私らと一緒に歳をとった彼女に感謝を持って退職を祝福します。
「浅間の悪戯 鬼の押し出し」(上毛カルタの歌はじめ)
昨晩10時過ぎに浅間山で噴火が発生し、噴煙は火口縁上1800mを超えたとのこと。
群馬の我が家の窓から浅間山が遠望でき、ド〜ンという地響きを聞くと2階に駆け上がり吹き上げる噴煙を眺めたものです。10歳の時には火山灰がふった記憶もあり、浅間の噴火には特別の思いがあります。
私にとり故郷の山は妙義山とその背後にそびえる浅間山でした。日本を離れてからはいつしか富士山にとって代わりましたが、今でも私の脳裏には浅間山と富士山が二重に映しになっています。もっとも古語で「あさま」とは火山でして、富士山の神を祀り鎮めるのが浅間神社でしたからこの成り行きは自然だったのかと思う。
吹き飛ばす 石も浅間の 野分かな (芭蕉)
週末に百田尚樹著「夏の騎士」を読了。
百田さんの小説は「永遠のゼロ」と「海賊と呼ばれたら男」「カエルの楽園」だけでいいかなと思っていましたが、これが氏の最後の小説で最高傑作という押し売りに根負けしての読了。考えたら氏の著書をあらかた読んでましたので、私も世に言う「百田現象」の影響をもろに受けていました。
さて「夏の騎士」ですが、百田さんの最高傑作ではありませんでしたが、なんとも現実離れした早熟な小学6年生の物語だと思いながら面白く読みました。これなら小学生6年でなく中学3年生の物語としでも十分に通用する。ちょとした推理小説風なのでネタばれせぬようにし、横帯にある「勇気ーーそれは人生を切り拓く剣だ」で結んで置くことにした。
百田さん本当に小説家を辞めるとしたら、果たして「百田現象」はどこに向かうのか、ブロガーとして本格的にネット社会に入り憲法改正に立ち向かう夏の熱き騎士になるのか。ならば私も剣を持つ。今後がさらに楽しみな人です。
「人間の心の力は、勇気というもので圧力を高めるのが、人の生命に与えられた真理である。(天風)」
8月1日、朝起きていつもの様に裏庭を覗くと2匹の子鹿が休んでいた。早速ベランダに出て写真を撮ったが、こちらを見上げてポーズをとり立ち去る気配もなかった。最近この2匹の子鹿は親鹿に連れられてよく我が家に出かけてくる。たぶん私の家は犬を飼っていないので安心して休息できるからだと思う。それを2匹のリスが木の上から自分らの縄張りだと警戒して興奮気味に尾を立てて震えている。
前の庭にはホオズキが赤みを帯び、もうすぐお盆だと知らせ、朝に蝉しぐれ、夕方には蛍が飛び交い、我が家の夏の風物詩を醸し出している。なにもないことの有り難さです。
涼しさを わが宿にして ねまるなり (芭蕉)