公園を散歩中に蝉にでも化けたつもりの小狸が樹にしがみついたまま、登ることも、降りることも、近づいても逃げることもできずにいた。狸の木登りとはいきなもんです。公園で鹿、兎、リスはよく見かけますが、狸は初めてでした。
小狸はサングラスをかけた私を、同類の狸オヤジと勘違いしてか、「僕どうしたらいいの」とジ〜と私の顔を見ているしぐさ、まるで落語の世界で苦笑い。
先ずドジな小狸をスマホで撮らえてから、「しばらくそのまま貼り付いて狸寝していろ」と、触らぬ狸に祟りなしと通り過ぎました。
小狸はきっと「狸オヤジめ、スマホで撮っておきながら僕を化かしやがった」と思ったことだろう。
6月の終わりに小狸と一期一会でした。
2019年6月アーカイブ
今日から30度越えの日々に入りました。いよいよ夏本番!
6月は道筋に咲くラベンダーを観賞しながらの出勤でした。控えめな美しさが心を落ち着かせてくれました。
初夏になぜ紫の花が多いのか、紫外線の投影なのか、いつも不思議に思っています。5月のアヤメと藤の紫にはじまり、エゾムラサキ、ラベンダー、6月の締めは梅雨期の紫陽花へ続き、真夏の朝顔となります。
齢を重ねたためか、ここ数年ますます薄紫の花に魅せられています。
笑ふべし 泣くべし
わが朝顔の しぼむ時(芭蕉)
朝顔の花びらに朝露のえくぼ、夜露にしぼむ時の泣き顔のしわ。
いよいよ28日から大阪G20です。
どうぞよい夏をお過ごしください。
参議院の選挙も近いことですので久しぶりに政界関連の本、田村重信著「秘録*自民党政務調査会」を読みました。秘録というのでここでは内容を書きませんが、表題ほどの深さはありませんでした。野党のレベルの低さや、党を裏切り離党した者の末路は参考になりましたが、俺はここまでやっぞという一自民党職員の自伝でしたので買って読むまでもありませんでした。
人間は弱い者でして秘録を黒子のまま墓場まで持って行けないのでしょう。それもむべなるかな、よくわかります。誠にご苦労様でした。
退職後は妻への慰労を兼ねて「飛鳥」に乗って世界一周のクルーズが夢、これにはホロリとさせられた。私は地球一周までトルコからニューデリーの距離がまだ未踏になっていますので、それを済ませたらゆっくり海からクルーズしたくなりました。いつのことやら、、、
それにもう一つ、著書中に憲法9条改正に関する委員会に、友人の参議員が出てきたので、この著書はこの二点だけでよしとしました。
6月16日、今日も香港抗議200万人デモが続いている。すごい!
香港の「反送中」抗議デモの推移を検索していましたら、ふるまいよしこ女史のレポート「逃亡犯条例改訂が巻き起こした衝撃と市民の怒り」がみつかりました。相変わらず活動をされていてなによりでした。
私はかつて女史のメルマガ「大陸の風」と「中国万華鏡」の愛読者でしたが、2005年の中国反日暴動のレポートが気に入らず、事実をレポートしてもスタンスがズレていると思い、もっと抗議すべきと煽りのメールを投稿したら、慌てたように「私が好きかってやっているブログですので、余計なお世話です」と突き放されて以来、北京在住の女史に迷惑がかかることを考慮し14年間も無沙汰していました。今回も気になっていましたが、正直もう亡くなっているかと思っていましたので、女史の活躍はうれしいかぎりでした。なにか中国風見鶏便りを「ニュースウイーク」誌に投稿していたようでした。
女史は北九州大学で中国語科を卒業し、1987年から香港中文大学で広東語を学び、香港に14年、北京に14年暮らすフリーランサーで、著書に「香港玉手箱」などがあり、名うての香港、中国通になっています。福島香織さんの先輩格になるのでしょう。
海外生活が長いからか個性の強さが鼻につくが、今回の香港抗議デモレポートも説得力がありました。なにせ女史は天安門事件30周年抗議集会に参加するために北京から香港に来ていたくらいです(抗議デモに参加したとは書いていません)。北京に住んでいて大丈夫なのかなと、こちらが心配になってきますが、健闘と健勝を祈りたい。
香港の最大規模デモの時に、折よく福島香織著「習近平の敗北」を読んでしました。
第4章「宗教と異民族が引き起こす分裂」と第5章「台湾有事と香港スキャンダル」は、NYハドソン川を挟んでマンハッタンの摩天楼が一望できる木陰のベンチに座り、心地よい初夏の風に吹かれながらの読書でした。
福島香織女史はいま私が一番参考にしている中国通でして、彼女のメルマガも定期購読しています。この著書だけで現状の中国と習近平を理解できる秀作でした。彼女のすばらしいところは口先だけの中国評論家でなく、中国のなかに入りペンをもって戦っている姿勢です。今回は参加していませんが心情的には香港に駆けつけてデモの隊列の中にいるような人です。彼女は;
「中国の人類創生神話は、女かという女神が泥人形を作るところから始まります。最初は丁寧に一体一体作っていたのが、途中から面倒くさくなり、縄を泥に浸して振り回し、飛び散った泥の滴が人間になりました。なので、中華世界では丁寧に作られた選ばれし人間と泥の滴に過ぎないレベルの低いどうでもいい人間と、生まれながらに差があるのです」と、共産党人と泥の滴民とを対峙させて泥の滴側に立っています。しっかりした日本人ですが、中国が好き所以なのでしょう。
(船上から香港、マカオに降り立ち革命に向かう孫文)
6月4日のブログに「天安門事件」を書いた折、地政学的に「近代中国の革命は南から火の手が起こり北上して燃え広がっています」と香港魂を讃えた時には、香港の自治権剥奪の「逃亡条例(送中)改正案」の反対デモが、返還後最大規模103万人になるなど想像もしていませんでした。香港の人がここまで自由、民主を守る為に必死なことが、世界に伝わったと思う。
今日12日にこの法案が審議され通過されるので、多くのデモ隊が政府庁舎を取り囲んで結集しています。なかにはハンガーストライキに入っています。これでも中国共産党は強行採決するのか審議延期なのか、さてどうなるか。中共とその傀儡はなんでここまでやるのだろう。
私にとり香港は中国出張の往き帰りに立ち寄るオアシスでした。いつもここでホット一息つけました。自由とはいいな〜と、この開放感はなんとも言えないものでした。香港の自由なオアシスを維持したいものです。同時に日本も中国共産党の一握りの傀儡を使う文化工作の狡猾さをよく見ておくことです。
補記:中国で12日、NHK海外放送が香港で起きた大規模デモに関するニュースを報じた際、例によって画面が真っ黒になり放映が中断された。
私の著書「天風式ヨーガと瞑想法」は、6月8日の天風哲理創建百周年で賞味期限となり、売れ行きもほぼ動かなくなりました。天風関連著書の最新出版は5月10日の「折れない心」の文庫本でしてご祝儀に購入しました。手持ちに初版がありながら、タイトルとイラストの面白さに釣られて買うのですから物好きです。本の内容は例によって天風の言葉が百近く列挙されて、その1ページの金言が「言葉でなく先ず実行」とあり、初っ端から心が折れた。
翌日9日は中国共産党による香港の自治権剥奪の「逃亡条例改正案」の反対デモに、返還後最大規模となる103万の香港人が参加した。折れない心を支持したい。
また、ワシントンDCでは天安門広場大虐殺30周年を鎮魂して、戦車の隊列している前に一人で立ちつくした、折れない心の「タンクマン」の英雄像が建てられた。
中国共産党が反米感情を煽る前に、アメリカは気勢を制し我々こそ民主化の味方だと、一般民衆と共産党の分離を計っている。アメリカの対中対策に感心してしまう。先ずは実行、何事も「折れない心」で行こう。
今日6月8日は天風師が上野恩賜公園の樹下石上に立ち大道講演をはじめてから百年になりました。
草鞋に脚絆姿で右手に持った鐘を鳴らし「道行く人よ、来たれいざ」と、第一声を上げてから百年になります。幸いドイツ系アメリカ人写真家「アーノルド ジェンスが残した百年前の日本」で、当時の画像で見られますので視覚化できます。この頃すでに世のため人のために幸福の道を、辻説法した天風師の先見性に敬意を表したい(6月の天風師の面影エッセー)。
私は本来の予定では、この日に上野恩賜公園で天風師の在りし日の面影を偲ぶことにしていましたが、諸事情で行けなくなり当地で過ごすことになりました。有り難いことに近くに住む知人が、私に代わり石上にお花を添えてくださいました。
天風師が92歳に帰霊された昭和43年に、天風会館が落成しその祝賀会の挨拶で会員たちの気持ちに感謝しながらも「法を説くのに殿堂はいらず」と、辻説法の初心の気迫を吐き;
『心身統一法という天風哲学を自分以上に熱心に実践した人間はいない。また、だからこそ自分以上に人の心に深く伝えられる人間もいない。従って天風の二代目はいないのだから、これから先は天風会館を、自ら一人ひとりが心身統一法を学ぶ教えの殿堂としていってほしい』と語りました。
今になって私は「天風の二代目はいない」という意味が、やっとわかりました。無理からぬ事ですが、帰霊されてから二代目は出ませんでした。ですから私は令和元年6月8日を期に、卒業証書なしに天風賛助会を卒業することにしました。これからは「不孤」として宇宙霊と一体とりなり、「一人天風道」を志し、地球を我が家の殿堂として実践して行くことにしました。
64天安門事件の遠因になった文化大革命を、人類は決して忘れてはいけない。
中国共産党の最大のタブーの大悲劇で、これに比べれば天安門事件はまだ小さな事件なのです。毛沢東が発動した文化大革命1966年から10年間の権力闘争で、800万〜1千万人以上の死者犠牲者を出しました。毛沢東にとり権力掌握のために死者の1千万人などどこ吹く風なのです。
階級闘争「造反有理」の名の下に、文化と知識人が否定されことごとく粛清され、教会や寺院は壊され、仏像は溶かされ僧侶が迫害されました。司馬遼太郎の現地レポートでは「子供達に孔子のゴム人形を鉄砲で撃たしたりしました」。また地方では飢餓から人肉まで食らいました。
人心は荒れ果てまさに呪われたこの世の地獄でした。農村に下放した習近平は文革の落とし子で、そのトラウマから権力闘争に執着します。ただ文革で唯一の教訓は、もう2度とこのような大惨事を起こしてはならないという指導者の間に暗黙の了解があり、それがその後の経済発展に結びつきました。ただ半世紀も過ぎると文革の記憶も薄れ、歴史を隠蔽して学ぶ事もなく権力闘争の兆しが見えてきました。
天安門広場の毛沢東記念堂にはいまだに「偉大なる導師は永遠に朽ちない」と記された遺体が安置され、人民大会堂の正面に大きな肖像画を掲げています。
さらに、あれほど孔子を批判しておきながら、今では世界各地の大学に孔子学院を設置して文化工作を行い、ノーベル平和賞に対抗した孔子賞まで設けています(毛沢東賞でないだけまだまし)。ったく文革の地獄を知る者にとっては、ちゃんちゃら可笑しく臍が茶を沸かします。
私は毛沢東の肖像画が降ろされ、遺体がどこかに移転するまでは、天安門に行かないと密かに決めています。そしてでき得れば、近い将来の再訪を待ち望んでいます。
6月4日、天安門事件30周年。
中国共産党の人民解放軍が中央政権の司令を受けて、天安門広場に自由と民主化を求めた学生や人民の群衆に銃を向け、戦車で無差別に弾圧殺傷した事件です。中国共産党の隠しようもない歴史的汚点となり、脛に大きな傷を負いました。
死者数3千から3万人とも言われるが、いまだに公表されず何の謝罪も反省もなく葬りさられています。民主制度がない権力闘争の宿命として、いつの日かまたこのような事件が繰り返されることになる。
30年前のこの日、アメリカのラスベガスで国際電子見本市(CES)が開催されていまして、香港からたくさん会社が出展していました(当時は中国の出展は皆無)。彼らは天安門事件ニュースを見た同日に、すぐさま一斉に展示を取りやめ荷物をまとめ緊張した面持ちで帰国して行きました。彼らはついに政変が起きたと判断したのでしょう。近代中国の革命は南から火の手が起こり北上して燃え広がっています。
私は香港人の政治に対する機敏な行動に唖然としました。普段は政治に無関心を装うっていますが、やはり動乱を生き抜いてきた民族の機敏さでした。帰国する彼らの後ろ姿を見て、これは大事件なのだと知らされました。
その後、香港では天安門広場に民主化を訴えて座り込んでいた学生たちに声援を送るため150万人が行進したとあるので、彼らのなかに合流した人もいたのだろう。
追記:香港6月9日に「逃亡条例改正案」反対デモ、中国共産党による香港自治権剥奪に、返還後最大規模の103万人が参加した。香港魂を支持したい。
さて、6月に入りました。
アメリカはここにきてナショナリストだけでなくグローバリストも米中貿易戦争(打倒共産体制)に参戦してきました。中国共産党はその両側から攻撃を受けることになります。ある意味でアメリカと中国は世俗的で拝金主義なところが似ていますので、グローバリストに近親憎悪の感情があるのでしょう。
経済も外交もわからず権力闘争しか知らない時代錯誤の指導者をもつと国を危うくします。日本もつい最近「民主党政権の悪夢」があったことだし、他山の石としたいものです。
自社も6月から鮮明に出中国に舵を取り生産体制を台湾に移します。移転プロジェクトは昨年から始めたことですが、私が今年になってアジアへ出張できないために遅れていましたが動き始めました。学者、評論家、コンサルタントは、中国現状を分析をしますが、経営者はそれらを参考にして行動しマネイジメントします。
そして、現在の状況を大きな商機にマネイジして行きます。40年前に仕方なしに台湾から大陸に工場を移転、そしていま再び台湾に出戻りです。台湾に基盤を残して置いたので、直ぐにこの潮流に乗り激動をチャンスにして行きます。何事もプラス思考で積極一貫です。