私は司馬遼太郎史観で日本史を学んだので、日本に何か出来事があるとついつい司馬さんならこれをどう観るかという問いかけが習性になっています。
先日も百田尚樹著「日本国紀」を読むにつけ、なぜか無性に司馬さんがこいしくなってしまった。そして今回も御世代わりを司馬さんならどう観ただろうかと想い巡らしました。
私の記憶でたしか2つほどかつての皇太子、皇太子妃にふれたエッセイがあると探してみたが見つからず、友人に頼み3日がかりで見つけ出してくれました。
司馬さんが草莽の士として若き日のお二人をやさしく見守る眼差しをそのまま書き出してみました;
『無題(皇太子さまと小和田雅子さん)』
皇太子さまには2度お目にかかりましたが、素晴らしい青年で、私の周りにもあんなに礼節と知性をそなえた人は見当たりません。雅子さんはすてきなお婿さんを選ばれたと思います。四、五年前にことをゴシップ風な記事として読みましたとき、この人が未来の皇太子妃になってくださればわれわれ草莽の者はうれしいんだけどな、と思いました。せっかくお仕事がおもしろくなったときに、それをお辞めになるのはお気の毒ですが、しかし皇太子妃になられれば日本国がもっとおもしろい角度から見えてきて、知的にも十分ご充足なさると思います。 (産経新聞朝刊、平成5年1月)」
『お手洗い』
いまの陛下(上皇天皇)が皇太子時代のことです。
三浦朱門さんが文化長官で、「何か話をしろ」といわれて、赤坂の東宮御所に行きました。皇太子ご夫妻とお話をしているとき、浩宮さんは入り口近くに控えておられました。
一時間ほど経って、私は手洗いが近い者ですから、浩宮さんに、
「お手洗いはどこでしょうか」
と、おたずねしたところ、浩宮さんは廊下の奥のやや歩きごたえのあるところまで、案内してくださった記憶があります。
普通の家庭でもお客に対するこういう作法は、若い人には疎いんじゃないでしょうか。
三浦さんが後で、「あの人は将来皇太子になる人で、おまえ、失礼だよ」と、笑わずにいったのが、おかしかったですね。 (アサヒグラフ、平成5年1月)」
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