上野不忍池の片隅に西条八十の歌碑があります。
あまり目立たない場所で、日頃ホームレスが常住して異臭を放ち、そのためか長らく立ち入り禁止になったりで、八十の歌碑があると知りながらも敬遠していました。
先日、散歩の時に通りかかると、ホームレスもいなくきれいに清掃されていましたので寄ってみました。
歌碑は「歌を忘れたカナリヤ」の最終節が、西条八十の直筆で記されていました。
《うたをわすれた かなりやは ぞうげのふねに ぎんのかい
つきよのうみに うかべれば わすれたうたを おもいだす》
西条八十が不忍池の付近にアパート住まいしていた時、創作活動にゆき詰まり、詩を捨てるべきか、それとも詩作を続けるかと悩みながら、生まれて数ヶ月の娘を抱いて上野公園を散歩していた頃を思い起こして作詩したとされています。
同じように歌を忘れた人たちに希望を与えようと、自分の本心を見つけることで忘れた歌を思い出すとしました。八十は各地で揮毫を頼まれると、必ずこの最終節を書いていたとのことです。
そしていま歌碑の付近に歌を忘れたホームレスがたむろするとは、、上野の山にすてましょか、いえいえそれはなりませぬ、暗夜な海に浮かべれば、世相のカナリヤになりまする。
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