今回、私のスイス行きは偶然でしたが「ダボス会議」出席のトランプ大統領が、チューリッヒ飛行場に降り立った日になりました。トランプはここからヘリコプターで世界経済フォーラム「ダボス会議」に向かい演説をしました。
この演説の中で環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)について、これまで拒否の選挙公約を一転させて復帰する意図があることを明確にしました。
トランプ外交はアメリカ本来の海洋国家としてアメリカファーストの方向に舵を切りました。軌を一に安倍外交も日本本来の海洋国家としての方向性を明確にしました。この詰めの打合せが2月のペンス副大統領の訪日と五昌五輪に一緒に行くことになりました。日米で韓国の将来は海洋国家としての道か、大陸国家の道なのか選択を強いることになります。
これで海洋国家勢力と大陸国家勢力の対峙が明確になってきました。日本は海洋国家の道を歩むことで脱亜となります。戦前の日本は方向性を間違いユーラシア大陸で泥沼に足をとられ自滅の道をたどったが、その失敗を教訓として本来の海洋国家の方向性を明確にしてきました。
スイスから帰りの機上で、明治150年記念出版の渡辺利夫著「脱亞論」を読破しました。明治期の東亜の国際情勢が、そのまま今に延長されてきていることを思い知らされる目から鱗の名著でした。
さて、はやくも1月が終ります。2月のブログは「海洋国家・日本」から書きはじめます。
どうぞみなさんもよい月をお迎えください。
2018年1月アーカイブ
安倍首相の韓国五輪出席を支持したい。
安倍首相は大きな政治家に成長したものです。今回は世論の80%以上が訪韓反対の中で、大局からいろいろ総合判断をした上でリスクを承知の英断でした。ブログには何故の決断なのか言及しませんが、私はこれぞプロの政治家と首相を評価したい。
政治家は結果責任であり、志を持つ政治家と政治評論家との違いを、まざまざと見せつけられました。実践者と外野との違いです。経営者と経営コンサルタントの違い、実践プレーヤーと評論家との違いです。今回の決断は地政学的にみると入亜しながら海洋国家としてのインド太平洋時代への脱亞だと思う。このことは次回のブログに書きたく思っています。
ともあれ最近の何でも評論家タレントにうんざり気味の私にとって、よき清涼剤となりました。本来、政治は口先だけでなく、命がけの真剣勝負なのです。
スイス・チューリッヒまで初孫を抱きにきましたら、骨董品の乳母車のなかで寝ていました。
この乳母車に抱かれて曾祖父が育ち、祖父が使い、父が寝たもので、そしていま孫が寝ています。かれこれ95年の四世代の歴史を持っていました。よく保管してあったと感心するのですが、今ではこんな木製の乳母車は造れません。まさにヨーロッパ文化の象徴する乳母車です。このヨーロッパ文化が、子守唄を歌うようにして初孫を受けたようです。この孫はヨーロッパ人として生きて行くことになります。
昨日は、アメリカのユナイテッド・エアーラインに乗ってスイスに向かい、機上でイギリス映画「クマのプーさん」の作者と息子の実話、「グッバイ・クリストファー・ロビン」を、日本語の吹き替えで観賞してきました(名作でお薦め映画)。この一時だけでも、アメリカ、スイス、イギリス、日本が交差しています。こんな世界にこれから孫が育って行くわけです。
今日23日、わがふる里の白根山(2171m)が、水蒸気噴火したニュースでした。近くの草津国際スキー場で訓練をしていた陸上自隊員1人が噴石に当たって死亡したほか、他の隊員7人とスキー客ら4人の計11人が負傷し、山頂付近には約80人が一時取り残され自衛隊に救助されたといいます。気象庁は噴火警戒レベルを入山規制の3に引き上げ噴石などに警戒を呼びかけています。大事なきように祈ります。白根山は死火山とばかり思っていました。またそう習ってきました。
私はこの山には特別な想いがあります。小学1年の時に野外活動で、担任の先生に引率されて近くの城山に登り、ふる里の山を一望に収めました。先生から南方に稲含と秩父連峰、西方に妙義山、荒船、浅間山、北方に谷川連峰と説明を受けました。私が遠く北東方向の尖った山を指差して「あの山は」と質問し、先生は「白根山」と教えてくれました。私がすかさず「そんな山しらね〜さん」とガキレベルの駄洒落を放し、これに先生と生徒が大笑いでした。
これが私とわがふる里の山々との初顔合わせであり、同時に駄洒落の事始めでした。この時に受けた駄洒落が病み付きになり、いまだに小学1年程度のオヤジギャグを連発して周りを白根させています。
それでは、明日からまごまごとスイスへ出かけてきます。スイスはアルプスが連なるのに火山がないのが不思議です。
ネットでのニュースによると、19日午後1時40分ごろ、千葉県柏市のJR常磐線柏駅に停車した電車内で20代女性が女児を出産した。毎日のように人身事故のニュースのなかで、これは快挙です。
柏駅に停車した際、ホームの非常停止ボタンが押され、車掌が駆け付けると6号車で女性が出産していたという。駅員らは 車内放送で医療関係者に協力を呼びかけ、母子の周囲をブルーシートで覆うなどした。
現場に居合わせた乗客たちから「妊婦さんが女性に囲まれ、励まされたりして」、車内に「おぎゃー」という元気な声が響くと「よかった」と、拍手が起こったという。
JR東日本によると、列車内での出産は聞いたことがないという。こんなに簡単に産まれてしまうのか驚きですが、快挙のニュースでした。車内に「おぎゃー」という声が響くと、拍手が起こり「良かったね」と言う人もいた。
北朝鮮のならず者は金成日のイメージを摸倣し、西朝鮮は毛沢東の動作を摸倣し、南朝鮮はいまだに慰安婦を神とたてまつり、東亞は50年前にタイムスリップしたかのようで、なにかと近所付き合いがたいへん。
心情的にはいっそうのこと「脱亞論」したいのですが、地政学の宿命でそうも行かずにいます。それでも渡辺利夫著の新「脱亞論」を読みたくなりました。その前に先ず十九大会以後の西朝鮮の近況のおさらいとして矢板明夫著「習近平の悲劇」を読みました。各章が文化大革命の話しでしたが、この文化大革命をいま習さんが毛沢さん化のイメージアップのために歴史から封印しようとしているようです。これはもう悲劇ではなく喜劇です。
中国の指導者は、文化大革命の超ド級の大失政を経て、二度とこれを繰り返してはならないという共通認識が、それ以後の集団指導体制でこの国を発展させてきました。この悲惨な大失敗を封印させることはできないと思う、こんなことでは西朝鮮はやがて「中進国の罠」にはまり込むかと思う。まぁその方がこの国にとって悲劇にならずにすむかも知れない。(西朝鮮とは国内のネット規制を避ける隠語になっています)。さて「脱亞論」を読みはじめます。
今回は私用のため上海の東の端から西の端まで、タクシーを計300キロ、6時間、3万円で貸し切りました。
運転手は四川省のド田舎の貧農に生まれ、中学を終えると6年間軍隊に所属し、給料が安いため退役し(退役金1万7千円)。その後軍隊のつてで上海に出稼ぎにきたが、そこも安月給のため辞職して、車を一台買って個人タクシーを始めたとのことでした。現在は上海の街はずれにアパートを購入し、安徽省出身の妻と高校2年の娘と暮らしています。上海では今も外地人(よそ者)ではありますが、成功した小市民の典型と言えます。彼には国に有事あれば、ただちに近くの軍隊に帰還すること、治安を乱す者があればすぐに公安警察に報告することが義務づけられています。
狭い車内での6時間ですから、私は中国事情をあまり知らないふりをして、時おり思い出したように単発的にいろいろ聞いてみました。軍隊仕込みですから、かつてはすごい反日だったこと、南京事件のプロパガンダをそのまま信じていました。こうした議論は避けて、国内の情況を聞いてみましたら、驚いた事に私の中国現状分析とほぼ同じでした。
中央政府は不都合な情報は遮断して愚民政策を取っています。私も一方的に聞く側で何も話しませんでしたが、彼はこの国が置かれている問題と内情をほとんど知っていました。軍隊の汚職や極秘案件である要人暗殺未遂の件数まで知っていました。
彼は今も反日です(私と会って少し認識が変わったと御世辞を言ってました)が、中国人の公衆道徳、メンタル面で、日本から30年遅れていると認識していました。こうしたことを知りながらも自分の生活圏を脅かさない限りは愚民となってタクシーの運転手をしているわけです。このしたたかさと忍耐強さが、この国で生き残っていく生活の知恵なのでしょう。
(夢の簡体字が林に夕とはね〜)
昨日のブログ「支付宝」に続き今日は「微信支付」です。
中国ではグーグル、ライン、フェイスブック、ヤフーは使えません。しかたなく「バイド=百度」を検索して、そこから産経が繋がらぬため読売、日経のニュースサイトに接続しているのですが、規制がさらに厳しくなったためか、百度からでもなかなか接続できず、今回初めてネットを使用しませんでした。もちろん中国からのメールも先方に迷惑を考えて控えています。今どきまったく不通合です。
しかし、国内では「微信=ウエイシン」というSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のスマホメッセージ・アプリに8億人を越える利用者となっています。「アリペイ」と競合した「微信支付=ウィチャットペイ」の現金決済システムがあります。
こうしたSNSと現金決済システムが、新しいビジネスチャンスを産み出して大きな市場を形成してきました。政治的な政権批判の書き込み以外ならなんでもチャットできるのでSNSで商品販売をしています。その多くはネズミ講のような販売ですが、スマホを2台もって、1台は仕事用、1台は個人用に使い分けて、朝から夜中まで食事もろくに摂らずに商売をしています。これをスマホ中毒と言うのか、拝金主義というのかわかりませんが、富裕を目指しとにかく浅ましい限りです。これはもう環境汚染と同じようにスマホ汚染です。
この国に「上に政策あれば、下に対策あり」という言葉があるが、党のトップダウン政策でネットを監視規制し、その規制の網(ネット)をかいくぐり民衆の虚無的拝金主義からのボトムアップで、やがて上からの力と下からの力が衝突する臨界となる。所謂スマホ革命ですが、その時この国はどうなるのか、まだ誰も予測できない。
中国は広く人口も多いので、一つの都市を見ただけでは確かな分析はできませんが、私はいつも上海、珠海デルタ地区を参考にしています。特に上海は明日の中国を予測するのに欠かせない地区になっています。北京も参考になるのですが、私の肌に合わず敬遠しています。
政治的な事は街中に書かれた標語を見れば、いまこの国は何を目標にしているかおおよその見当がつきます。ただ、最近はさしたる理由もなく外国人を拘束するので、安全を考慮して標語の写真は撮らないようにしています。
1年半ぶりの上海で今回は4つの事を見たく思っていました:
1、クリスマスの情況、2、街中の景気、3、オンラインによる決済サービス、4、レンタル・シェアー自転車の情況の観察でした。
1、クリスマスの情況は昨日のブログに書きました。2、景気状況ですが、やはり不景気のため小規模レストランや個人経営のアパレル店、日本式スナッく店がたくさん姿を消し活気のない街でした。ただこれは不景気だけでなくサービス業と流通業界の構造変革がひとつの要因となっていると思う。
さて3つめのスマートホンによるオンライン決済(支付宝=アリペイ)が、一段と普及して社会に定着していました。アリペイは日本のスイカとネットのペイパルを足したようなもので、チャージ(預金)してある金額から支払われます。手数料は無料で銀行のATMやクレジットカードも必要なく、スマホで何でも決済できます。最高預金枠は10万元(170万円)まで、引き落としできます。しかもアリペイの預金には5.25%の金利がつきます。
現在1日の取引き数は1億600万件を越え、金額にして4000億円になると言いますからすごいことです。これでは銀行の存続が危うくなります。
彼らは現金しか信じませんし、これで偽札の心配もなくなり、預金があることで富裕層としての面子がたち、それらをアリペイが見事に代行しています。この決済システムほどこの国の実情に適合したサービスもありません。近い将来必ず各地でハッカーによる巧妙な引き落とし事件が頻発すると思うが、それでもこの決済サービスはそれを乗り越えて定着するでしょう。
4、レンタルシェアー自転車は12月8日のブログに書きましたが、上海は地方都市ほど使い捨て問題がひどくないようです。しかし、やはりまだハードシステムにソフトのメンタルが着いて行ってませんが、これはアリペイとともに都市風景になります。
上海社会は内面から変わりはじめています。この変化がどう明日の中国に影響して行くのか、これから注目してゆく課題となります。
(堅持、堅持、堅持、堅持といかに堅持してないかがわかる)
現在、中国のキリスト教徒は約1億人と推測され、内、政府公認が550万人で、隠れキリスタン(地下教徒)が3千5百万人だという。大半がプロテスタントで2025年には1億6千万人、2030年には2億5千万人と予測されています。
この人数は現状でも共産党員9千万人を遥かに越えています。党はこれを潜在的脅威としてキリスト教は、欧米風な思想と警告して規制を強めてきました。皮肉にもイエスの誕生が12月25日で毛沢東が翌26日なので、サンタクロースより毛の誕生を祝えとなるが、さすがにこれは毛沢さんです。
中国文化を高揚せよというが、いまの中国はお金儲け以外なにも無い「虚無的拝金主義」が街中を跋扈している。当然のこと食足りた民衆は虚無から信仰に走る。相変わらず目につく街中の標語は「中国夢我的夢」と、党が個人の夢まで強要し中国文化復興の文明都市建設となっている。ひどい標語になると文化大革命時の党に忠誠な「雷鋒に学べ」まで再登場です(いい加減にしてくれ)。
昨年の十九大会の精神「站、富、強」に邁進、「站起来」毛沢東で国が立ち上がり、「富起来」鄧小平で国が豊かになり、「強起来」習近平で世界の大強国になると、習さんを神格化させ共産独裁で行こうとしている。十九大会で習さんは後継者を指定しなかった(できなかった)が、これで習さんが最後の共産皇帝ということなのでしょう。
だが、習さんは毛沢東に成れないしまた越えられない。もし、越えるとしたら秦の始皇帝以来、毛沢東もなしえなかった中国統一です。それには習さん建国百年までに台湾を解放となり、いま台湾は大きな危機に晒されています。習さんそのために南シナ海の兵站、尖閣諸島しいては沖縄を占領して台湾解放となります。その後ついでにひ弱な日本解放かな、、。かつて李鵬首相がオーストラリアでのスピーチで、2020年までに日本はなくなるという放言が、まんざら暴言でなく現実味を帯びてきました。
ローマ法王の訪日が先か、台湾を切り捨てて訪中が先かと、神様まで政治外交の道具にしています。麻雀は一人ではできない。まぁ隣国がどう思おうと勝手だが、相変わらず近所迷惑な話しです。
もっと早くに書きたく思いながら、久しぶりに中国事情です。
昨年12月25日に、上海のクリスマスの様子を見たく無理して2泊3日で行ってきました。
中国共産党は、今になっても無神論で宗教を邪教としています。昨年はキリスト教の影響力を規制するための取り組みを強化し、党員にキリスト教は欧米風な思想と警告して抑制するよう通達しました。この通達がここ数年アメリカよりもド派手なクリスマス・イルミネーションが、どの程度に抑制されたかをみたく思い、わざわざ出かけました。
25日午後6時に浦東空港からホテルまで車で約1時間、高速道路両側のオフィスビルや住居ビルにイルミネーションはまったく見られず、街中に入っても通常の飾り付けで、クリスマス・イルミネーションがなく暗く淋しい街でした。翌日に外国人がよく行く新天地を観光したが、ここでもサンタクロースもクリスマスツリーも無かった。それに夜10時過ぎになると人出もなく、タクシー運転手がぼやいていた。
こうした情況は行く前から想像していた事で、どの程度ものかの確認でしたが、ここまで激変とは思っていなかった。不景気もあるとは思うが、党がここまで規制するとは、習さんやり過ぎですよ。
上海の魅力は国際都市でして、これを殺してしまったら単なるつまらん街になってしまう。それに上海を殺す事は自国の自殺行為にもなり、ますます何の魅力も無いつまらない国になってしまう。
翌朝は空気汚染空に夕陽のような太陽、機を見るに鈍感な日系のホテルだけが地味なクリスマスツリーを飾っていた。それでもこれを見ると救われた気持ちになってしまった。
(上野恩賜公園の五條天神社)
今朝はひさしぶりに暖かなマイナス8度の中を出勤。
本来なら今頃は新春恒例のラスベガスCES展示会に出張なのですが、40数年続けたラスベガスを、今年から取り止めました。これも林住期の事始め第一歩です。10年前からすでに我々商品の展示会でなくなっていましたので、もしその時に止めていれば見切り千両でしたが、今になっては見切り十両です。
ギャンブルができないことが少し心残りでしたが、それでも新年早々に大きな展示会がないので、のんびりした正月を過ごせました。
と、ここまで書き進めてきたら、スイスから電話があり予定より早く1月8日に孫(女児)出産のニュースでした。下旬にでもスイスに飛ぶことになり、いよいよ我が林住期が始まりました。
当地はここ10日間ほど毎朝零下14度の冷え込みが続いています。
昨日は大吹雪の非常事態宣言が出ました。飛行場は閉鎖、公共機関は休み、レストランは休業、自社のスタッフも休み、我々だけ通常出勤でした。こんな大寒の吹雪なのでスズメたちも休みかと思ったら、予想に反して私の出勤を待っていました。
気の毒に思い餌をいつもの3倍ほど播いてやりましたら、たちまち数十羽のスズメが餌にありつき、吹雪で遠くまで吹っ飛ばされながら、また舞い戻って地にはり付くようにして食べていました。寒さと餓えに闘っていますが、たぶん数羽が凍え死にするかと思う。それでもスズメは餌の奪い合いをしません。奪い合をすればともに死に直結することを、本能的に知っているのでしょう。
上の写真ははっきりしませんが、雪と氷のなか餌をついばむスズメたちです。厳しい自然界の中で必死に生きようとする小さなスズメたちに感動を覚えてしまう。冬至も過ぎ陽が長くなりはじめたし、寒さの後じき春が来る、スズメよ頑張れ!
迎春の元旦は日光菩薩と月光菩薩を拝めました。
元旦の御来光を拝むのは慣例になっていますが、月の御来光は記憶にありませんでした。
元旦のスーパームーンの御来光もいいものでした。零下14度の寒天に通常の30%UPの月光です。
今月は31日にもう一度スーパームーンが見られます。重力愛のなせる天体ショーです。
平成の終りになんでいま昭和なのかと思いながら、詞人・阿久悠のエッセー「昭和と歌謡曲と日本人」(2017年11月刊)を読み終えた。昭和はかくも気障なことを恥じらいもなく言えたものだ、昭和も遠くなりにけり、
「月は上りぬ」
膝小僧をかかえてひとり
月を見ている
ああ 月よ 月よ せめて
夜のふけぬ間に にっこりと
(阿久悠)
本年の元気ブログの干支は、ブータンの野狗(野良犬)にしました。
2011年7月31日のブログで記載した犬ですが、これしか思い浮かばなかったので再登場させました。
ブータンの標高3千メートルの断崖絶壁に建つタクツァン僧院を巡礼したあと、なんとも言えない清々しい心持ちで下山を始めました。この気持ちのよい実感を静かに噛みしめていたく、ガイドにお願いして一人でゆっくり下山させてもらうことにしました。
しばらく深山幽谷の中を歩いていると、私が山路で迷ったとでも思ったのか、どこからか野狗があらわれて先導をはじめました。1時間半ほどでしたが、私に寄り添い抜きつ抜かれつしながら中腹の休憩場まで案内してくれました。
それ以来これは私の秘め事なのですが、私はその時この野狗と話しができました。少なく双方が何を思念しているかがわかりました。野狗はこの山の守護犬だったのかも知れません。
2018年は幸せのブータン国の犬に先導してもらうことにします。
「門松や おもえば一夜 七十年」
2018年2月にこれまでの総括として「中村天風」の著書を出版します。また、同月にはスイス人の初孫が産まれることで人生劇場の舞台が一回転しまして眺める風景が変わって見えてきました。
古代インドでは、この風景を林住期と言いますが、なかなか味わいがあります。これからは単に若作りや不老を目指すのでなく、あるがままに齢を重ね、今ある新たな人生を受け入れて、新しい元気で、いぶし銀のように輝き続けていく所存です。
どうぞみな様よいお年をお迎えください。
2018年もよろしくお願い致します。
2018年元旦
野口 拝