月末なにかと忙しく挨拶もせぬまま、日本、香港へ出張です。
JAL再建の稲盛和夫氏が残した鶴マーク復活のロゴ。日航よ世界を目ざした時の初心に還えれというところです。
9月から12月までは毎月出張となってまして、アジア、ヨーロッパと飛びまわります。
どうぞみなさんよい9月をお迎えください。
2017年8月アーカイブ
「月日は百代の過客にして、行かう年もまた論客也」
ほんの一昔前までは、私より若い人の著書を読むたびに「若僧に何にがわかる」かと抵抗を感じてましたが、今ではみな若い著者になってしまい、いつの間にか論客が世代交換していました。それに私自身も若僧の本を読むことに何の抵抗も感じなくなった、トホホ。
そんななか加瀬英明vs石平対談「日本の奇跡、中韓の悲劇」を読み終えました。加瀬氏は80歳になり、いぶし銀の日本文化論を展開して、氏の独壇場で石平氏は脇役のミスキャストで対談になっていない。
最近の出版物は目の前のギラギラした評論ばかりで、こうした悠長な文化論の語る論客がめっきり少なくなってしまった。定期購読していた月刊「文藝春秋」もつまらなくなり、ここ8月、9月、10月号は購読していない。
そして加瀬氏の時を超えたスローペースのズレにつられて、読みはじめては寝てしまい、読んでは寝てわずか200ページの対談本を、悠長に味わいながら1週間かけて読み終えました。
「日本は物事を美しいか、美しくないかの感性で決めます。理屈ではなく、美が大切なのです。論理は危険な刃です」と、言っていますが、これは最近の脳科学でも、美意識と善悪の判断は脳の後ろ側の同じ場所で働くとしています。美のあるところに調和あり。こうした著者を、お爺すて山に捨てることなく熟年の叡智を参考にしたいものです。
8月21日ニューヨークの皆既日食と地球人の写真2枚を、借用して貼りました。
やはり地球人が面白い。
太陽も顔負け、、、
(皆既日食でアマテラスが天の岩戸に隠れてしまい写真掲載がありません)
今日は朝から38年ぶりとなる皆既日食の話しでもち切りです。アメリカ大陸横断の皆既日食は99年ぶりという。
幸いニューヨークは日本晴れでして、午後の1時23分から部分日蝕がはじまり2時44分に75%までカバー予定です。
今日は2つの素晴らしいニュースをいただきました。天風大阪賛助者の方から日本実業家のリーダーである稲盛和夫氏の動画と、スイスに住む私の娘に来年2月に女の子がさずかるとのニュースでした。
皆既日食を機に、私も「いよいよ」と言うか「ついに」齢を覚悟せねばならぬようです(>_<)
中村天風のコロンビア大学時を考証をするため、司馬遼太郎著「街道をゆく、ニューヨーク散歩」を読み返して、またして司馬さんと散歩でした。
この著書は1992年3月に日本文学に大きな貢献した、ドナルド・キーン教授の定年退官を祝う式典に合わせて訪米した時のご祝儀出版。そのため大半がコロンビア大学に関係する内容で、ニューヨークというよりコロンビア大学での日本学の散歩でした。司馬が歩けば本になる、毎度の秀作で時代考証の参考になりました。
もう一つ思わぬ収穫は、司馬さんこの時に当大学で講演をしました。 講演の主題は当初は「明治期における文明の転換」だったが、ちょうど日米貿易摩擦の緊張を敏感に察して日和み、急遽「日本仏教小論」と変えての講演でした。
私の司馬講演を知りながら痛恨のミスをして拝聴できず、後々まで悔やみました。しかし、「ニューヨーク散歩」を読み返すことで無念が尽きやっと溜飲が下がりました。縁なき衆生でもう悔やみません。これでまた司馬さんと司馬氏ご無沙汰です。
米朝関係が緊迫するなか(日本の問題でもある)、中国の民主運動家でアメリカに亡命した陳破空著「米中激突」--戦争か取引かーを読んでみました。著者の名前をカタカナ読みするとえらい響きになるので、Mr.Po-Kong Chen でゆきます。
中国人が見た中国分析は参考になります。彼の著書はこれで2冊目になるが、いずれも母国の民主化のため米中衝突に集点を置いている。「米ロ同盟」に怯える中国共産党よる対トランプ切り崩とし工作と取引が手にとるように書かれています。親中派の大御所だった ヘンリー・キッシンジャーが、いつの間にか「米ロ同盟」に転向していたとのことで、さすが老獪な現実主義者です。
第10章「米中激突と朝鮮半島の動乱」で、米朝の問題はつまるところ中国問題の前哨戦に過ぎず、著者は中国を「西朝鮮」と巧い表現していました。アメリカはすでに対中戦略外交を見据えていて、対北朝鮮はその通過戦術に過ぎない。「米中の激突」はポスト北朝鮮問題と分析しています。極東の問題の根源は中国共産党独裁の覇権主義にあると言い切ってます。
北朝鮮は金王朝の存続だけが全てで、中国共産党は党の生存だけが全て、いまだ19世紀の王朝感覚で民衆のことなど考えていない。中国共産党=中国ではなく、共産党軍=国軍ではないことを、切り離しを認識しておく必要がある指摘していました。これでは著者の陳破空が宦官ばかりの今の中国に住めるわけがない。
8月15日、靖国参拝。
この日はお盆と重なるので、私は仏壇にお線香をあげてご先祖様を通して靖国を参拝をしています。
「お国のために犠牲になった」という表現は、英霊にたいして失礼と思い「お国のために命を捧げた」ことに感謝して合掌しています。そして英霊が「後に続ク者在ルヲ信ズ」として散華した意志を引き継ぐ約束をしています。
特攻隊は日本の民族精神のみが生み得た国民史の根源と深く結びついていた精神で、アメリカ、中国、朝鮮が最も恐れるものでした。そのためアメリカはけして日本に核武装させません。たぶん国是として各大統領の引き継ぎ要項になっているのかと思う。中国、朝鮮の反日感情も、「日本人はいざとなれば怖い」という潜在恐怖から出ていると思う。
日本の平和は戦後の憲法で守られてきたのでなく、この国民精神の御霊によって守られてきました。我々はその「後に続く者」として靖国参拝となります。 合掌
お盆ということで、週末を静に過ごしています。
百田さんの「今こそ、韓国に謝ろう」を読みました。読む前に何が書いてあるのかわかりますし、私自身もう韓国に冷めて相手にしていませんので、強いて読まなくもいいかと思いましたが、百田さんということで強いて読みました。
この本に韓国人が激怒したということですが、こう本音で謝られるとさもありなんです。ただ、この本にあるように逆恨みする人がいますので、百田さん身辺に気をつけられるといい。
韓国はさらに百多くらい謝罪を要求してきますので、その時は百田方式で謝罪すればいい。その意味ではいい認定教科書です。
次の著書は同じアプローチで、戦後72年の間に恥ずかしいほど劣化が進む日本民族向けにアメリカ発信「今こそ、戦後の日本に謝ろう」を書いてもらいたいです。その時に日本人は激怒しないで、素直に受け入れると思う。そこが民族の違いです。
ユングが民族には累積されてきた集団的DNAがあると分析してます。21世紀の国際社会で各民族が生き残りをかけている時に、優性遺伝のなかで埋もれて行く民族も出てきます。劣化しつつある大和(ヤマト)民族もしっかりせねばならない。反日朝日新聞に煽動されたまま、隣国の王朝DNAによる朝鮮自治区、大和自治区にならぬように、、
司馬さんが本郷界隈に住んでいた樋口一葉を、自分は愛読者ではなとしながら紹介していたので読みたくなりました。
明治の「坂の上の雲」を書いた司馬さんにとり、一葉の出口ない底辺の悲劇、貧困ニヒリズムは、たしかに司馬さん好みではない。貧困が生みだす悲劇、私もかつての台湾といまの中国農村の貧困が重ね合って読むのが辛くなる。太宰治のような甘辛でなく激辛です。高校時代に一葉読んだと思うのだが全く記憶にない、読んでたとしても理解できなかったと思う。読むのが辛くなるのは、その分だけ大人になったからなのだろう。
今回読んだ理由は、中村天風も一葉と同じ本郷の丸山福山町に住み、同じ悪性の莽馬性結核を患い、一葉は死に天風は起死回生したこの時代の雰囲気を感じてみたかったわけで、その意味では収穫がありました。
ふろくとして数十年ぶりに新潮文庫の紐に触れて懐かしかった。表紙のデザインもいい。今では文庫本の紐つきは新潮文庫だけのこだわりだそうです。便利でいいものですが、コストカットがその理由だとのことで「一葉落ちて天下の秋を知る」で、知の貧困はこんな小さなところから始まるのかと思う。
(今年も庭のほおずきがお盆を来るのを知らせています)
司馬さんとは神田界隈で別れ、私一人で神保町から15分ほど歩いて九段坂下に向かい、靖国神社の大鳥居をくぐり本殿で参拝です。
学生時代の4年間、大鳥居と本殿の間にある大村益次郎銅像の前を横切って石鳥居くぐって通学していました。白百合学園の女子小学生がランドセルを背負って横切る時に、いつも本殿に向かい一礼していたことに感心して、私もそうするようになりました。
本殿裏の上池庭園とこの近くにある千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、昼弁当を食べた後の散歩コースでした。よくお世話になり、参拝というより私のキャンパスとして生活の中に入っていました。
ある日など慰霊の泉の所で弁当を食べていたら、見知らぬ男が近づいてきて某有名男優のホストにスカウトされそうになり、もしそうすれば日活の映画スターになれるかもと、一瞬グラッとしたこともある。どんだ違例の泉だった。
ある日は千鳥ヶ淵戦没庭苑の芝生に座り、弁当を食べ終えてそのまま仰向けに寝そべり、ふと横を向くと3センチほどの草が、小さな葉をつけ薄ピンク色の花一輪を咲かせていました。「え、神はこんな小さな草にまで花を咲かせているのか」と、全身に感動が走りました。生まれて初めて神を見た瞬間でした。
この頃までは、靖国参拝に問題などなく「東京だょおっかさん」が、なんの抵抗なく大ヒットして唄われていました、、
やさしかった 兄さんが
田舎の話を ききたいと
桜の下でさぞかし 待つだろ
おっ母さん あれが あれが九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも
これが靖国神社参拝の真心なのに、その後NHKは紅白歌合戦で島倉千代子にこの癒しの名曲を唄わせず国民から取り上げてしまった。英霊に対し全く罰当りです。
もういちど静かに参拝できる靖国をとりもどそう。
(1930年頃の古本街)
日曜日も司馬さんの話し上手についつい神田界隈を、ベッドに寝そべりながら散歩してしまった。
ここでも夏目漱石と正岡子規はレギラー出演していましたが、やはり神田神保町の本屋(出版社)と世界一いわれる古本屋街が主役でした。古本屋の目利きの話しは佳境です。それにここでも「火事と喧嘩は江戸の華」で、やはり大火の話しでした。
私は今でこそ本郷界隈ですが、学生時代は神田界隈でした。ですから読んでいてこの辺りは立体的によく呑み込めました。ここで靖国神社と靖国通り周囲の数大学を言及しているのに「靖」の字も出てきませんでした。予想はしていたことですが、見事にスルーしています。このあたり司馬さんの世渡りの巧さですが、まぁいいか。
私は司馬さんが「街道をゆく」シリーズを執筆していた頃、もう芝枯れと思っていましたので、折角ニューヨークのコロンビア大学に来て、ドナル・キーン退職記念講演に、今更と思い聴講に行きませんでした。後でわかったことで、司馬さんはこの頃、日本の土地バブルの廃頽と闘っていたことを知り、司馬ガレの思い込みのため行かなかったことを、私の人生の悔いとしています。惜しいことをしました。
靖国神社と言えば、今年も閣僚が参拝するのかしないのか鬱陶しい日になりました。今日、インドタウンに食事に行ったら、街並にインドの国旗がたくさん架けてあるので、何の日か聞いたら8月15日が独立記念日でした。思わずこの日は日本の敗戦の日だと返してしまった。そうか、日本の敗戦はアジアの解放の日でもありました。
司馬さんの案内で本所深川を散策しています。
朝日新聞社刊行なのであまり気乗りでなかったが、司馬さんから、私が執筆を終えて脳閑期だから付き合ってもいいだろうと言うので、週末は本所深川を散歩することにしました。まぁ隅田川に向かって関東の連れ○ョ○ってところです。
本郷界隈は明治時代の文学者の登場と坂が多かったが、本所深川は江戸時代の落語話しと橋が多く出てきます。川上から言問、吾妻、駒形、厩、蔵前、両国、新大橋、清洲、永代、桐生の十橋とよい名前が続きます。これらはスカイツリーから江戸と明治の橋が一望できます。ここにスカイツリーを建てたのは正解だった。次回に時間があれば相撲発揚の富岡八幡宮に参拝でもしたいものです。
本郷といい本所といいどちらも門前町に岡場所が多く、江戸と明治の治安よさと、国の安定はこんなところにあるかも知れない。岡場所の復活を考えてもいいかな、ともあれ一つの文化が滅び、前川のような新宿の貧困調査となっている。彼の心が貧困なのだ。
江戸時代でも牢獄があるのだから罪人はいました。江戸の大火で伝馬町の牢が火にかこまれた時、牢奉行の石出帯刀は失態時の切腹を覚悟して囚人を解き放し「ただし、火がしずまれば下谷のれんけい寺に戻って来い」とおふれを出した。
その結果、火がしずまると一人をのぞき数百人がすべて戻ってきた。帯刀は囚人たちの義を感じ、老中に命乞いしてすべての囚人を釈免したとのこと。逃げた一人は故郷に潜伏したが、村人の説得で後日に自首したが、帯刀はこの男だけは釈免しなかったという。
司馬さんここで「文化は人をつくる」、本所には義侠がいくらでもいた。「型が文化である」と、久々に文化論を展開していました。
そろそろ本所深川の散策を終ります。これから神田界隈に足が向くのですが、どうしようかと考えている。
今日は一人の友人を紹介したい。
彼はこれまでに献血数100回の目標を達成して、つい先日70歳を迎えました。なんでも献血の上限は70歳未満とのことです。ここまで来ると趣味としか言えないのだが、もう血も涙も出ないのではと心配になる。
私の好奇心がやまずメールにて、なぜ、どのようにして、どういうペースで100回になるのか、若い頃あまりに悪戯した贖罪なのか、、と冷やかしてみた。
直接の動機は高校生のとき母親が心臓弁膜症で毎日輸血を必要とし、親戚をはじめたくさんの人が鮮血をくださったことだそうです。学校に献血車がきてクラスの人に呼びかけて率先して献血したのが、第一回とのこと。この頃は献血ではなく預血で、親族や身内に輸血がいるときは献血手帳で輸血ができたそうです。
その後は献血車を見ると献血するようになり1回に200ccの献血ができ、年に5回ぐらいのペースで献血したといいます。40歳のときに60回ほどになり100回を目標にしたそうです。
本人曰く「献血前に血圧、比重、医師の診断があり、健康体でないと献血できませんのでそのために健康管理してた気がします。90回を過ぎた頃に血液の比重が厳しくなり、時々献血できないときもあり、よけい健康に気を付けて無事100回を達成する事ができました。ですから社会貢献ではなく、自分の健康のために献血していたのが真相かも知れません」と、もうこうなると献血道です。
彼の母親はとてもやさしい人でしたから、そのトラウマもあったと思うが、まさに自他利の陰徳です。人は何を思い、何を言ったかだけでなく、何をしたかで人生の価値が決まります。「情は人の為ならず」で、彼は献血した分だけ長生きすると思う。
司馬さんとの「本郷界隈」の散策を、1日で終えてしまった。もっとゆっくりすればいいのに、話し上手に乗せられてついつい1日観光でした。でも本郷のどこを見たいかがわかったので、次回の散歩を楽しみにしている。それに樋口一葉の「たけくらべ」と「にごりえ」を、熟年の目で読み返そうと思っています。
さて、いよいよ現実の世界に回帰して津上俊哉著「米中経済戦争の内実を読み解く」から入ることにした。私は津上氏の中国分析をいつも参考にしています。
トランプ登場以降、金基地外の乱心、中国経済の状況、安倍内閣が政局となり、不安定要素が多過ぎて、世界がどうなって行くのか読めなくなくなってしまった。もういちど基本から勉強のやりなおしです。
北朝鮮の大陸間弾道実験が、奥尻島沖の日本海に落下したとありました。私は学生時代、奥尻島に僻地教育とウニ収穫の奉仕活動で2週間滞在したので、どこら辺りに落下したか地理的感覚でわかります。実に危険な餓鬼の火遊びです。核戦争を回避するため、残された道は内部による軍事クーデターで、金豚を捕獲するしかないと思う。さて、いつになるか秒読みに入りました。
日本はいま政局ではなく、国防の踏ん張りどころですが、世論がはなはだ心もとない。青山繁晴参議員がよく健闘していますし、世界分析が参考になりますが、いつまでも彼だけに任せておけません。
今日から8月に入り司馬遼太郎と「本郷界隈」を、散策しています。
執筆中に中村天風が13歳まで育った王子と本郷界隈を調べていたら、無性に本郷が懐かしくなり、この本を読みたくなったが、今日まで我慢していました。執筆完了直後だったので、読みはじめて司馬さんの厖大な博識と巧みな文章に圧倒されてしまった。
本郷の東京大学辺りは、元加賀前田藩の屋敷跡だったので、私がふる里の七日市藩は前田利家の五男利孝の支藩であったが、司馬さんは他の二つの前田支藩に言及してたが、そこまで書いていなかった(残念)。1万石では取るに足らぬと思ってのことなのでしょうが、もしその頃に富岡製糸場が世界遺産になっていれば言及したかと思う。まぁそれはいいとして、私の母方の安井がこの付近に居を構えていたことに納得が行きました。
本郷界隈は、夏目漱石、森鴎外、正岡子規、樋口一葉、坪内逍遥、岡倉天心、横山大観ら明治文化が発揚したところで散策していて心が落ち着きます。なにせ不忍池、見返り坂、薮下の道、無縁坂、傘谷坂、真砂町、菊坂町、根津、地名がなんともいい。いま湯島を歩いています。
9月には三四郎になり散歩かたがたこの辺りの史跡を訪ねたく思っています。