アメリカに住む姪に赤ちゃんが産まれ、今日が人生11日才です。
春分の日に生まれたので、私は「春子ちゃん」と呼んでいましたら「えみ里 Emiri 」と命名しました。「恵美」と「笑み」の音を込めたようですが、なかなかいい名前を付けたものです。よろしく。
海外で身よりが少ないので、私は毎日病院にお見舞いかねて赤抱きでした。2日目は病院の遠くに駐車して零下2度の寒さに震えなから病室に飛び込んで暖房代わりに赤抱きしました。赤ちゃんには迷惑だったかと思うが、抱いたときの暖かさは湯たんぽを抱いているようで、新生兒に早くもお世話になるとは、トホホ、、
新生兒の身体から伝わってくる命の暖かさに、宇宙誕生のビックバンの熱を感じてしまった。新生兒はまさにビックバンの最先端にいるわけで、その熱気をもらったことになります。有り難いことでした。
昨日は姪の家に赤抱きに行ってきました。ふと思うことがあり「赤抱き」の語意を、グーグルで検索してみたら、意外なことに何でもありのグーグルで見つかりませんでした。「赤抱き」は共同体に入る大切な絆の儀式でした。かつて子供が育つのが大変だった頃、赤抱きをすることで大人側に責任ができ、みんなで見守って育てて行こうという新生兒への通過儀礼でした。こうした風習は大切にしたいものです。
「出産で もう東大に やる話し」、えみ里は指がすごく長いので、名ピアニストになる話しで盛り上がり。
こんな騒ぎで3月が過ぎてしまいました。桜も4月もよい月にしてゆきましょう。
2017年3月アーカイブ
朝鮮半島情勢、朴槿恵前大統領が汚職で逮捕され、左胸に囚人番号が入った薄緑色の囚人服に着替えて独房に収監。
独房には折り畳み式マットレスと毛布、ロッカー、テレビ、机、洗面台、トイレ。食事1食が約140円、食事が終わると自分で食器を洗って返却。彼女の人生は朝鮮民族の悲劇の象徴に映る。彼女はこの屈辱に耐えられるのだろうか。フェミニストの私は惻隱の情を覚えてしまう。
かつて盧武鉉元大統領は逮捕されて特殊独房に収監された後に自殺。当時その秘書だった文在寅がいま次期大統領選の候補として独走している。悲劇の因縁輪廻なのか。
この同日に!!、北朝鮮の金正恩によりマレーシアで暗殺された異母兄の金正男の遺体が、無責任なチャイナの黙認のまま北京経由で北朝鮮に帰国移送された。
こうした呪われた不気味な同時生起、とても嫌な予感がします。いま朝鮮半島は要注意です。朝鮮半島は呪いを断ち切る厄払いの清めが必要になっていますが、彼らにはそれができない。彼らは自らが播いた種を、いまだに他者の所為にして内省の自覚がない。神道国家の日本が何らかの禊ぎをしてやれないものだろうか。
2015年5月にNHKスペシャルで放映された「天使か悪魔か」の番組が、羽生善治/NHK取材班著「人工知能の核心」の題名で、本になりましたので読んでみました。日本の知性を代表する天才棋士が人工知能をどう捉えているのか興味を持ちました。
人工知能は「諸刃の剣」実にするどい剣で、「天使か悪魔か」、20世紀は核のコントロールが人類のテーマでしたが、21世紀は人工知能に取って代わり、2045年に人工知能が、人類の知性を超える技術的特異点に到達すると予測されています。
現代社会はIQ100くらいを前提に構築されているが、外付けハードディスクやスマートホンなどIQ4000の人工知能を持ち歩ける近未来に人類はどう対応するのかという問題提起でした。
人工知能と羽生永世名人が対局したらどちらが勝つのかという問に;
人工知能は学習した通りに駒を進めるだけで恐れを知らないが、人間は恐れ迷う分だけ不利になるとし「人間の思考の死角や盲点のようなものは、防衛本能や生存本能に由来して、生き延びてゆくために危険な選択や考え方を、自然に知性から排除してしまう習性がある」と認識していました。
興味深いのは、著書のなかに「美意識」という言葉が何度も繰り返されていたことです。人工知能と対局しても美意識を感じられない。もとより共通理解すべきプラットホームが違い、機械の「記録」データと人間の「記憶」ソフトに違和感があり、勝ち負け自体に意味がないと相手にしていません。そして棋士が駒を進めるときの「直感」ー「読み」ー「大局観」ー「見切り」の流れのなかに勝ち負けを超越した「美意識」を希求していました。棋盤の局面は美しくあれとしていました。
人工知能はこれから飛躍的に向上してゆくなかで、人間は人間であるべきのみならず、人間も同様な知能の飛躍が求められてきます。羽生氏が奇しくも言われた、人間特有の「美意識」、「真(誠実)善(愛情)美(調和)」、ここらあたりに人工知能に対応するヒントがあるのかも知れません。
お釈迦さんは難行苦行だけでは救われないと、悟りの後に;
「琴の弦は強くても切れてしまうし、緩くてもいい音は出ない、
中道こそ美しい音楽となる。と、人生はバランスが必要。
恐れることなく 犀の角のように ただ独り歩め
世間すべてに背くことなく ただ独り歩め
この世は何と美しく
人間の命は何と甘美なものなのだろう。」
今日はそんな1日で過ごしたい。
積雪でひどく汚れたスバルを洗車してきた。そこで飼っているインコのつがい、いつもは喧嘩ばかりしているのに、今日はラブラブでした。もう春ですね。
この春21日、韓国のソウル市内全域がチャイナからの濃いPM2.5の空気汚染で、世界保健機構の基準4倍となり、世界で2番目の汚染都市になりました。ソウル市民はこれを「殺人者」と呼んでいて、多数の呼吸気管や肺疾患がでているようです。
これはチャイナのミサイルよりも怖いのに、なぜ火病の韓国人が批判もせずおとなしくしているのか不思議でならない。
この春の国内ニュースを見ない事にしました。いや、籠のなかの政界を見るに耐えない。「忖度(そんたく)」は早くも今年の流行語大賞。天風箴言に「人生に最も注意すべきことは、得意の時にひとしお心の備えを緩めぬよう心がけることである」とあります。
人は得意な時に魔が差すということなのでしょう。安倍昭恵さんもお気の毒ですし、張出し横綱・稀勢の里が12連勝で連続優勝を目前にして左肩を負傷して2連敗。
日本は兜の緒を締め直して心機一転が必要なようです。
天風箴言に、「人を憎んだり、恨んだり、或は中傷したりする人は、自分もまた必ず他人からそうされるということを、忘れてはならない」とあります。長いあいだ人間社会を観察しますと、なるほどなと納得が行くことばかりです。
私も生活の知恵として他国や他人を中傷するのを、なるべく控えるようにしています。ですからここは鶴田浩二「傷だらけの人生」の台詞を借りて、どうなっちゃったの朝鮮半島です;
生まれた土地は荒れ放題、今の半島
北も南も真暗闇じゃございませんか
すじの通らぬ ことばかり
北を向いても 南を見ても
莫迦と阿呆のからみあい
何から何まで 真暗闇よ
一国のリーダーの資質と能力がいかに重要かを物語っています。また地政学的にみて半島国家は、周辺国を戦争に巻き込むので要注意です。この道はいつか来た道、これまでもそうでしたし、先き行き見ても真暗闇じゃございませんか。日本はいかなる事態にも臨機応変に対処できるよう半島対策を立てておくことが急務になっています。
週末にまたまた曽野綾子さんの本を読んでしまった。というか読まされてしまった。司馬遼太郎氏の著書と同じように読みはじめると面白くついつい引き込まれてしまう。
やはり時には曽野さんの本で、人生の基本的な価値を確かめたいものです。村上なにがしかでなく、曽野さんにノーベル文学賞か平和賞をあげたいものです。
今回の著者は、ある月刊雑誌に連載した「その時、輝いていた人々」を、「出会いの幸福」のタイトルで再編集です。人それぞれの人生のなかで最も輝く旬があり、その一期一会をエッセー集にまとめています。
「或る大佐の死」の章で、「彼は資産家の息子だったので、一時的に私財をつぎ込んで部隊将兵の給与を支払っていた。私は金持ちの甘さがどうしても好きになれない。コンラット大佐が金持ちの息子であるだけで、いささか嫌悪さえ抱いたのだが、彼の戦死で初めて一つの見事な人生を見た思いだった」。
「人は自分が愛し、身を呈した信念と仕事のためになら、命を賭けるべきなのである。それは昔からの私のささやかな美学であった。人は自らの魂で、生きる道を選ぶほかはない」。
このくだりを読んだとき、暗殺を覚悟してまでも大統領選に出馬したトランプと再起した安倍首相なかに共通するものを感じてしまった。
「人は自分が愛し、身を呈した信念と仕事のためになら、命を賭けるべきなのである。人は自らの魂で、生きる道を選ぶほかはない」。
春の雪はご愛嬌。高速道路の脇の広告塔のコピーライトに、「雪だるまにも、雪の悩みがある(Snowman Snow Problem))とあります。どんな広報なのかよくわからないが、なんとなく面白くそこを通るたびに笑っている。
毎年、春先になると思うことなのだが、この根雪はいつまでも消えないだろうと錯覚してしまうが、知らぬ間に消えている。「雪がとけると何になる?」「春になる」。今日は気温が5度に上がると、公園の雪景色のなか春を待てない多くの人が散歩をはじめていました。
先日の積雪50センチで鳥たちも餌を見つけるのが大変かと思い、週末もわざわざオフィスに来て餌を播いてやり、最近すっかりバードウォチャーになっています。鳥たち餌さがしがたいへんなのか、いつもは見かけない鳥まで飛んできます。それにしても餌をまくとすぐに飛んできますが、どう情報伝達しているのだろうか。
スズメは群れてくるが、春を告げる赤い鳥(ショウジョウコウカンチョウ)は、近くの林から1羽で来ます。臆病なズズメは何かの気配ですぐに逃げ、赤い鳥だけ飛び立たずに残ります。このあたり餌と逃げを繰り返すスズメが生き残り、鈍のわりに目立つ赤い鳥は、絶滅危惧種になってしまうのだろう。鳥たちにも適者生存の厳しい現実があるようです。
(産経ニュース、3月16日掲載)
産経ニュースによると、秋田県男鹿市で北朝鮮のミサイルが、同県沖20キロの領海に着弾したと想定し、海に面した北陽小学校児童が初の避難訓練を実施したとのことです。子供たちが駆け足で体育館に非難する後ろ姿をみると胸が痛む。
子供たちにこうした恐怖感を植えつけるのはよくありませんが、実際に男鹿半島西250キロの排他的経済水域に着弾しているのですから、もしもに備えて避難訓練は必要なのでしょう。子供たちにこんな思いをさせてほんと気の毒、これは大人の責任です。
国を守り、国民を守り、国の安全の確保が、政治家の最優先責務なのに、同日の国会予算委員会で安全保障の論議がされたのだろうか。子供たちにこんな非難訓練をさせて申し訳ないと思わないのだろうか。これでは隣国のドタバタ劇と同じレベルで笑ってばかりいられない。
オストリッチ症候群とは「小さな頭かくして醜い大きな尻かくさず」です。ダチョウは敵に襲われると、砂の中に頭を突っ込んで、敵がいない平和だと思い込む習性です。隣国からの脅威が日ごとに緊迫してきているのに、砂の中に頭を突っ込んだオストリッチ国会となっています。
国家の安全保障問題を、しっかり論議してもらいたい。
(何でも飾り付けてる、メキシカン・レストラン)
当地は今日から夏時間。でも、ここ一週間は冷え込みマイナス気温。14日には積雪の予報がでています。日本との時差13時間。
先週末に続き今週末も多国籍エスニック料理で、金曜日の夜はメキシカン、この店のハウスメイドのナッチョスとソーサーは実に美味く、この前菜だけでメイン料理はいらないくらいです。土曜の朝食はギリシャ系ダイナーでエッグベネデクト、昼はペルー料理。夜はチャイナ朝鮮族が経営するSPAでマッサージしたあと、氷点下のなか中華の火鍋。日曜の朝はユダヤのベーグル、昼はベトナムのフォー、夜はインドのバイキングを予定してます。
難民のように各国料理を食べ歩いていますが、それでもチェーン店は避けオーナーいる小さな店にしています。自国の料理の味にこだわりを持っているオーナーの店です。味へのこだわりは文化でして、このプライドを失ったレストランに行かぬようにしています。マニュアル化されたアメリカのチェーン店にも美味しものが少なく、アメリカン(大衆)料理かエスニック(民族)料理かの選択になります。
私がいまでも信じられないのは、料理人はプロの職業なのに味になんの工夫も進歩なく、旧態依然と量ばかり多く不味くて食べられない店です。満腹でなく立腹し、こんな時さえチップを払う屈辱を味わいます。
エスニック料理は長年にわたりその民族が積み重ね、洗礼されてきた文化の智慧を背景にしています。これらを坩堝で混ぜたチャンポン料理など食べられたものでありません。多様なエスニック料理を包括、抱擁した寛容こそがアメリカの豊穣の味だと思う。これからもそうあってほしいものです。
以前ブログにチャイナのコンビニ(便利店)の店頭やレジの横にコンドームが堂々と売られていて、私はチョコレートと間違えたことを書きましたが、どうやらこの失態は私だけでないようでした。
チャイナの動画で、「なぜ中国のスーパーではガムと並んでコンドームがレジ前に置かれているのか」と題する動画が掲載され、ユーザーからさまざまなコメントが寄せられていて、これには笑ってしまった。
私は一人っ子政策廃止されるまで、国が店頭販売を奨励しているのかと思っていましたが、どうやらそうでもないらしい。いくつかのコメントを拾ってみます;
「中国人の性格は比較的内向的で考え方は保守的。コンドームを手に取ってレジまで歩かないといけないことを想像してほしい。店はまさに客のこうした心理を利用しているのである。すぐに手の届くところに置き代金を支払えばすぐにその場を去ることができる。便利な上に気まずくもない。スーパー側が気を利かせてレジ前に置いているのである」。これには一理あるが、私は彼らが内向的とは思わない。
別のコメントでは、「俺は逆にレジ前に人が多すぎるから恥ずかしくて買えない。そんなに店を持ち上げるなよ。箱が小さくてポケットに入れられたらそのまま盗まれるから防犯対策でレジ前に置いているだけだよ」。ん〜これ説得力あり。
極め付きは「18歳の時にレジ前でガムを買おうと思って適当に取ってかごに入れたら、レジのおばさんに『3箱も買うの』と聞かれ、後ろの男の人には『君に買わせるなんて彼氏もあんまりだな』と言われた。何のことかわからなかったけど、帰ってから間違えてコンドームを買っていたことに気付いた」、、むべなるかな。
さらには「このご時世コンドームなんてみんなネットで購入だよ。誰がスーパーで買うんだ」、でも「ネットショップでは穴あきや人体に有害な薬品が使用された偽物が出回っている」と、注意を喚起している。
ちなみにコンドームの中国語は「安全袋」で、飛行機のシートベルトは「安全帶」で、発音がほぼ同じのため、スチュワーデス(空中小姐)の「安全ベルトをしっかりお締めください。」のアナウンスに、いつもドキッさせられている。
東日本大震災から6年になりました。復興6年です。
私はこの日が来るとこの風景を思い浮かべてしまう。2012年3月のブログに掲載した絵画ですが、日本の若手芸術家がワシントンDCでの「東北震災展示会」に出品した絵画です。
大津波が過ぎ去ったさびしい色彩の野原に、それでも花を咲かせ1本の松を残し、犠牲者が帰霊した黒い山並の向こうに希望の虹を描いています。
今年もこの絵を思い浮かべながら黙祷を捧げます。 合掌
補記;この絵画の色調は何色なのか考えていまして、「菩薩色」が思いあたりました。
あるサイトを検索中に雪国の少女の写真を見つけ感動してしまった。寒さの中でも眼が澄んで輝いています。懐かしい天然力の輝きです。
この輝く瞳をみた時、司馬遼太郎が生前、戦後の日本は豊かさと平和の代償として若者から眼の輝き奪ったとして憂いていたことを想い出しました。こうした若者がいま国の中堅政治家になって不毛な国会討論を繰り返しています。
私も1990年代のチャイナの若者にこの目の輝きがみた時に、これでは日本は危ないと直感し戦慄を覚えたことがありました。
澄んだ瞳でもうひとつ小野田寛郎氏の眼を思い出しました。小野田氏は敗戦後フィリピン・ルパング島のジャングルに独り居残って29年間アメリカ軍と遊撃戦を継続して帰還した軍人でした。私は2度お会いする機会がありました。その時に氏の透明に澄んだ瞳をみて、もしや義眼ではと思うほど強烈な印象を受けました。戦後の日本を見ていない瞳でした。
我々もかつてはこの雪国の少女のように目を輝かしていました。もう一度これを取り戻す秋(とき)にきています。
(インド・レストラン)
古いコメディー映画に「いとこのビニー(My cousin Vinny)」という作品がありました。
弁護士見習いのビニーと婚約者が、アメリカ南部アラバマ州の田舎の食堂に入ってメニューを見ると、"Breakfast・Lunch・Dinner" (朝食・昼食・夕食)の3行しか無く、彼ら迷いながらランチを注文するシーンに笑いました。
ふと考えたら私の週末の食事もにたようなものでした。ただ、我々のメニューに並んでいるのは、料理名ではなくアメリカン、イタリアン、ユダヤ、ギリシャ、中東地中海、韓国、ベトナム、インド、ペルー、メキシカン、タイ、タイワン、チャイナ、日本と国別でして、その時の気分によって「今日はどこの国にするか」の選択になります。
各国の料理がアメリカで市民権を得ています。まぁ考えればアメリカ的と言えばそうなのですが、今朝はユダヤのベーグル、ランチはインド料理を食べ過ぎ、夜は軽く和食でした。トランプさん、これはグローバリズムの流れなのか、反グローバリズム(多様文化の共存)なのか。
若き人工国家アメリカの試行錯誤メニューです。
韓国がアメリカの最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイルTHAAD」を配備することに、チャイナが反発しあからさまな報復処置をエスカレートさせている。
韓流を規制する「限韓令」、両国旅行者のビザ規制、通関規制、韓国製品の不買運動、ロッテ免税店へ嫌がらせのサイバー攻撃と複数のネット通販サイトから閉め出し等。
チャイナ共産党による三流国家の高圧的なやり方でなんともセコイ。官製メディアと官製人民による報復だがこれではね〜。まぁこうしたことは、つい数年前に尖閣諸島の問題で官製反日デモやレアアースの輸出制限にも見られたことだし、先日のアパホテルしかり、タイワンに対しての武力圧力、反体制活動家にノーベル賞を与えたノルウェー対してサーモンの輸入禁止や、フィリピンからのバナナ輸入規制など、天に仰ぎて唾をするような報復外交にあきれ果てる。かえって逆効果なのに今だにこうした不徳なやり方が通用するとでも思っているのだろうか。
チャイナも韓国も世界で唯二の反日国家同士ですので、せいぜい反中と反韓でお互いに健闘すればいい。ただ我々は隣国に時代錯誤の三流俺様国家が生存することを「他山の石」と胆に銘じておくことです。けして他人事ではすまされない。
3月になりました。よい弥生月にしてゆきましょう。
先日、中国系朝鮮族の知人に紹介された東北菜(満州)料理店に行きました。そこで「川白菜火鍋」を食べましたが、ほんと美味い。サイドに串に刺した焼き羊肉(モンゴル式)に満喫し、もう溜息がでてしまうほど幸せを感じてしまった。
生ベーコンに近い豚肉と白菜に乾燥させた酸菜と春雨などに凍豆腐を入れ、豚骨だしに生姜とニンニクや八角などの漢方で味付けしたごった煮で、東北(満州、モンゴル、朝鮮)人が長い越冬の間に食べているサバイバル田舎料理です。
「え、これが美味しいの」と言われてしまいそうですが、私の大好物でして写真を見るだけで食べたくなってしまう。私の東北好きの所以も、この滋味の郷愁に自分の前世は満州人か北方朝鮮族でなかったかと思ってしまうほどです。
東北地方の満州族はほぼ消滅しましたが、朝鮮族が約270万人ほど居住しています。いま南北の朝鮮問題ばかりに目を奪われて、半島の上に在る朝鮮自治区に注目が集まっていませんが、私は彼らがやがて南下して朝鮮族サバイバルに大きく貢献してくるのではと見ています。彼らはチャイナの少数民族で朴訥勤勉で苦役に耐える強い心をもってます。
最近、東北遼陽市の裁判所が、禁止されたキリスト教の資料を販売したとして牧師と4人のキリスト教徒に有罪判決を下したが、みな朝鮮族でした。ここでも民族の生き残りが展開されているのだと思います。
歴史への問いかけとして、今世紀の後半に半島全域が朝鮮自治区になるのか、高麗連邦国として生存するのか、彼らの動向に注目したい。