昨日25日は、気温が一気に20度を越えたら、今年早々の夕立で雷が大きく鳴り響きました。長い冬と騒々しかった2月を締めくくる雷鳴でした。
当地はトランプ大統領と主要メディアとガチンコバトル(真剣勝負)で騒がしい2月でした。第三権力の野党と称されるメディアが、なんとしてでもトランプ大統領を引きずり下ろそうと躍起になっているのに対し、トランプは「破産しそうなニューヨーク・タイムズ、NBC、ABC、CBS、CNNなどの偽ニュースメディアは私の敵ではない。アメリカ国民の敵なのだ」と、真っ向から真剣勝負を挑んでいます。トランプ大統領は政権発足後、政権が円滑に機能しており、一部の世論調査では支持率が55%に達しているのに主要メディアは偽ニュースを垂れ流すだけで、正しく報じていないと強く非難しています。「メディアは旧態依然とした権力機構のなかにいて凝り固まった状態にある。私はそのシステムを変えて、米国民に真実を知らせたい。一部のメディアは素晴らしいが、ほとんどは事実をねじ曲げてばかりだ」と、極端な偏向を糾弾しています。バトル騒動は止むことなく3月も継続します。
この現象は日本にも飛び火する(いや日本が先かな)ことと思う。ただ日本の場合はお上からでなく、草莽の国民やミレニアム・スマホ世代から批判が起きていまして、ニューヨーク・タイムスと人民日報の支局を置いている朝日新聞、自虐史観を色濃く残すNHKや東京新聞、毎日新聞の偏向報道に向けられています。
「ジャパン・ファースト」のため、偏向メディアとの対決は太平洋対岸の火事ですまされません。幸い日本にも百田トランプや青山バノンのような論客がでています。こうした論客リーダーを支持したい。
2月は喧噪で逃げるように過ぎました。早春の弥生に入ります。もう春ですね〜いい月にしてゆきましょう。
2017年2月アーカイブ
早春の日差しは気持がいい。朝陽に向い両掌で目をおおい口を大きくあけて春光を喉の奥まで照らして呑み込んでいます。太陽を食べているようで壮大な気分になります。
先22日に39光年先の宇宙に生命を育む可能性のある7惑星を発見とありました。9兆4600億キロ X 39=天文数字の先に地球外生命が生存かと「惑わす7つ星」です。「行ってみたいなよその星〜♪」
「プレ金」って、タヌキの一物かと思ったら、なんてことはない TGIF (Thank God It's Friday)使い古された「花金」の新語だった。金曜日をどうしようと大きなお世話で、こんなことで大騒ぎすることもない。「プレ金」でデパートに靴磨きのイベントとやら、ならばサービス業界は「プレ月」か。
「デブ金」こちらは金正男暗殺。こちらもあんなに大騒ぎすることもない。39光年先ならいいのだが、隣国に19世紀の独裁王朝がある現実を胆に銘じておくべきです。
対北朝鮮対策は、太陽でも北風でも服を脱がせることができなかったが、月光を照らしたら脱いだという、かってドリフターズのコントにあった意味深奇策はどうか。宇宙の法則として「人を呪えば穴二つ」、じき我が身にふりかかることだろう。
週末の土日は朝4時に目が覚めてしまい、馬渕睦夫著「アメリカ大統領を操る黒幕」--トランプ失脚の条件ーを読みました。
馬渕氏はキューバー大使、ウクライナ大使を歴任した元外交官僚で、ある意味では世界の潮流の向こう岸からこちら側の情勢を眺めてきたキャリアです。そんなことでロシアに対する思い入れの強さを少々感ますが、トータル的には愛国者でバランスの取れた論客です。私は彼の見識と分析を参考にしています。
この著書でアメリカの現状となぜトランプが勝利したかを分析しています。国際金融資本のグローバリズム VS アメリカファーストのナショナリズムの対峙がよく理解できます。トランプ新政権が国際金融資本とどこら辺りで折り合いをつけるのか、或るいはこのまま対決姿勢を貫き、その事で黒幕とその提灯持ちマスコミから反トランプを煽動されて失脚するか、暗殺される可能性まで言及しています。
黒幕として国際金融資本、ユダヤ資本、ネオコン軍産複合体をグローバリズムとする洞察は、馬渕氏の一貫した持論でして、これを読むと世の中真っ暗になってしまう。もし馬渕氏が言う黒幕にトランプが押し潰されて失脚となれば、アメリカはこのまま世俗国家として弱体化して行くことになると思う。
これは私の推測ですが、今回は軍隊と退役軍人らがトランプを支えていますので、彼らの愛国心に守られて黒幕と折り合いながらも強いアメリカを再生してゆくとみています。国を守るのが軍隊でして頼もしい限りです。
それにしても、ここまで言及してしまう馬渕氏の勇気に敬服します。いずれは馬渕氏にもどこからか圧力がかかると思いますが、ご健勝を祈りたい。
世の中が 見えたとたんに 暗くなり(サラ川)
それでも、現状のアメリカ情勢とトランプ新大統領のスタンスを理解するのに押し売り的にお薦め本です。
日本にはいまでも「踏み絵」があります。日本の政治家が靖国神社に参拝するかしないかのリトマス試験のようものです。
私は与野党を問わず政治家が靖国神社を参拝するかしないかで彼らの資質を評価しています。勿論これが全てでありませんが、靖国を参拝しないような政治家は多くの国民の支持を得られないと考えるからです。
靖国神社は1869年に創建され、明治新政府と旧幕府の内戦「戊辰(ぼしん)戦争以来、国のために死んだ御霊を祀り、すべての宗教とイデオロギーを超えた慰霊の場所になっています。戦争で亡くなった軍人や兵士の他にも女性や子供も慰霊されています。また大東亜戦争でアジアの植民地解放のために命を捧げた御霊が祀られていて、現在約247万柱が護国の御霊になっています。
タイワンの李登輝元総統は実兄が日本軍として南方に従軍して戦死、その事実を受け入れられず、生家の仏壇にいまだに兄の位牌がないが、靖国神社に兄の名前と御霊が祀られていることに感謝して参拝をしています。この参拝時に三浦朱門、曾野綾子夫婦が同伴していました。
私の叔父もビルマのインパール戦の時に、名も知れぬ辺鄙なアレサンヨーという地に、群馬連隊の一兵として従軍し、敗戦とともに日本軍に置き去りにされて病没しています。遺骨も帰ってきませんが靖国に祀られています。
こうした靖国神社に国民から選ばれた政治家が、反日新聞や反日国家の批判を恐れて参拝しないとはなんとも遺憾です。特別な祈念日に参拝する必要ありませんが、年に一度の参拝は責務だと考えています。
私は、もしできますれば、今上天皇が退位なさる前、あるいはその後に靖国参拝さなるよう希求しています。
追悼:
「サイレンス」が上映されている2月3日、原作者の遠藤周作氏と同じカソリック教徒で、親しい友人であった三浦朱門氏が亡くなりました。昨年、三浦氏と曾野綾子女史との夫婦交換エッセー「我が家の内輪話」(家庭画報刊)が出版され、これが氏とのお別れになりました。
ご冥福を祈ります。合掌
今日17日にタイワンで映画「サイレンス」が封切りになりました。どんな反響になるのか興味深いです。
この映画はチャイナでは上映禁止になると思います。今どき信じられませんがチャイナはいまだに宗教を邪教アヘンとして公式に禁止しています。2014年11月のバチカンの発表で、チャイナのキリスト教徒は1億人に達したとしていますが、多くは地下教会の潜在信徒になっています。チャイナの独自調査では、キリスト教徒の数は2300万から4000万人、総人口の2〜3%としています。そして最近になっても信徒への弾圧が続き、地下教会が摘発されたり教会が取り壊しになっています。
いわば「踏み絵」の現代版ですが、中国人はあの世の幸より現世利益を重視しますので、ためらうことなく踏みます。こんな事で命と引き換えなどアホらしいと、目の前のご飯一膳で転びます。「先吃飽再吧(まず食べてから考えよう)」で、キチジローのような精神的に葛藤をする弱き者でなく平然としています。この強靭なしたたかさで度重なる動乱と飢餓を生き抜いてきました。彼らにとりたかが板上の「踏み絵」で、心の純度がわかりません。ですから「踏み絵」は、日本の特殊な信仰形態かと思います。日本人の心の純度です。
ヨーロッパの多くの教会の地下洞には、その教会にまつわる聖人の棺が置かれています。なかには床が硝子張りになっていて棺が透けて見えると教会もあります。西洋の人はその上を平気で歩いていますが、私はどうも気がとがめて踏まぬように端を歩くようにしています。この時にいつも精霊に対する文化の違いを思い知らされます。
スコセッシ監督はイタリアのシシリア生まれ、敬虔なカソリック教徒で、小さい時に神父になろうと夢見て挫折した人ですから、「踏み絵」の特殊性がわかりますが、果たしてこの映画が日本以外の地で、どこまで理解され共感を得られるのか興味をもって見ているところです。日本人の心の純度が理解されるのだろうか。
「踏み絵」の蛇足として;
火付け盗賊改めの長谷川平蔵がいつものように両国橋のたもとを歩いていると、一日の仕事を終えたであろう隠れキリシタンおぼしき女が、足早に平蔵の脇を通り抜けます。そのすれ違いざま女の横顔をちらっと覗き「あ、お前は、ふみえ」。
(ふる里に咲く梅の花)
梅が香に 追ひもどさるる 寒さかな (芭蕉)
立春を過ぎてからの寒さを「余寒」と詠むらしいが、こう寒さと雪が続くと春が待ち遠しくなる。
先日、日本の3泊滞在は充実した楽しい一時でした。2月3日早朝にタイワンから我がふる里に直行し、数十年ぶりに生家で豆まきで「福は内」、翌4日は上野御徒町の料理店で立春の会席コースで祝いました。
6日朝9時、アメリカに戻る途中に、錦糸町の楽天地シネマで「沈黙・サイレンス」を観賞。隠れキリスト教徒における「踏み絵」の物語ですが、思っていた通り秀逸な作品でした。
でも、たぶん半分のアメリカ人は興味を示さないし理解できないと思うが、ハリウッドがまだこれだけ深い宗教映画を製作できることに安堵しました。トランプ大統領の誕生と同時生起の封切り映画で、何故いまこの映画なのかといろいろ考えさせられてしまった(日を改めて「踏み絵」と題しブログで再考したく考えています)。
映画のロケ地はタイワン花蓮の海岸でした。この風景は私が18歳の時に、石垣島から大揺れに揺れた小船でタイワンに辿り着き、甲板から眺めた朝もやの海上に浮かぶフォロモサ美麗島そのものでした。
映画が終り、私はにわか隠れキリスタン「ころび」のキチジローの気分のまま、成田行き京成スカイライナーに飛び乗りました。そして成田に向かう途中でまたもやいとたやすく「ころび」、父親の守護神だった成田山の不動明王を参拝し、参道で名物の鰻重を食べて機上の人となりました。神の愛は寛容でして、多神教の気軽さです。
(九份からキールン港を望む風景)
トランプ大統領誕生を、マスコミや評論本はあまりに近視眼的にみてしまい大きな文明の流れを鳥瞰していません。私はトランプ個人に集点を当てるよりも「トランプ現象」として捉えたほうがより問題の核心に近づくと考えています。
アメリカは経済的、軍事的な大国ですが、世俗的で文化的な魅力に欠け、他国を脅かすほどの権力を持ちながらも、いまだに権威を獲得していません。どうみてもトランプに権威を感じられません。今回は日本と安倍首相がトランプの足りない部分を埋め合わせ補足する役割となりました。
日本は軍事的にみれば、遺憾ながら実質的にアメリカの保護国にありますが、文化的にはアメリカをしのぐ大国です。ですからアメリカ世俗文明の「量」と横軸の地理的拡散と、日本文化の「質」と縦軸を基盤にして世界文明の創造してゆくべきなのです。これが日本が日本を実践することであり、今回の安倍・トランフの宿命会談となりました。日米同盟の絆はそのための活用です。これはグローバリズムに代わる世界文化維新であり、日米同盟が強固になれば世界はより豊かに安定します。
日本は保護国を遺憾と思う必要がありません、かつて古代ローマ帝国の属領地に過ぎなかったユダヤの地に生まれたキリスト教が、ローマ帝国の国教となったように、いま日本教の貢献が期待されています。まさに太平洋戦争で礎になった両国の英霊による歴史神の采配です。
安倍首相はその歴史認識を理解して動いていまので、心強いかぎりです。
追記;トランプ大統領のコメント;「日本は、豊かな歴史と文化を有する誇り高き国で、米国民はあなたの国とその伝統に深い尊敬の念を抱いている。」
先日の日本では、誰に会っても先ずトランプ大統領に関する質問攻めでした。本屋の店頭にもトランプ関連本がたくさん横積みになっていたし、テレビのワイドショーも連日トランプでした。
第二の黒船でも来たかのような大騒ぎに、今更ながらに日本人の敏感さと知的好奇心に感心させられました。この敏感さが島国日本の今日の弥栄につながっています。
たしかにアメリカの動向は日本に大きな影響を与えるので敏感にならざるを得ませんが、なにもここまで大騒ぎすることもないと思うが、やはり日本は保護国なのでしょう。
安倍首相がフロリダでトランプとゴルフ外交をしている間に、山口敬之著「暗闘」を読んでみました。「暗闘」とはタイトル名がよくないが新大統領誕生からの安倍の動き、安倍・トランプ会談、安倍・プーチン日露交渉の内情を具体的にわかりやすくスクープしていました。ここにトランプ大統領が記者会見で「ここ最近では最も戦略的に大きな野心を抱いた日本のリーダー」と言わしめた戦略が解説されていました。
百家迷走するたくさんの評論本のなかで、当面は安倍外交の情報はこの本一冊で足りるかと思います。トランプ大統領の品定めは安倍首相に眼識に任せればいい。それにしても大変動する国際環境のなか、日本は安倍首相でよかった。
(西門駅の大道りの遠方に総統府)
タイワンはトランプの高周波の煽りで政治の季節を迎えています。
西門町から総統府に通じる大通りを挟んで、右側に現政権の支持派と左側に反支持派がテントを張って対峙し、ここにチャイナからの工作組も混ざり込みだんだん沖縄化してゆくのではと杞憂します。タイワンの新閣僚はアメリカ博士号帰りの品のいいひ弱な学者揃いなので、この難関を処理できるのかはなはだ心もとない。
1月31日付けフリーダムハウスNPOの世界各国自由度レーポートによると「自由な国家」「公民の自由」度で、タイワンがアメリカを上回り世界1位となっています。この自由を大切に維持したいものです。
タイワンのタクシー・ドライバーにも政治好きの人が多く、台北滞在中にタクシーを5台利用したうちの3台が、私を日本人と知らずに乗車して下車する間際まで延々と政治談義でした。こちらも参考のため適当に相槌を打つと一段とトーンを上げてしゃべりまくる始末です。
残り2台のタクシーには車内にお経が静かに流れていました。これもよくあることなのですが、念のため「いま流れているのはお経(念経)ですか?」と確認すると、「はい、心が浄化されます」と坊さんのような返事でした。
たしかに車内でお経を聴くのも悪くないが、なんだかこのまま葬儀場に直行されそうな気分になってしまった。葬儀場に行く自由はまだ勘弁してもらいたい。
昨晩アメリカに戻ってきました。まずは台湾の雑感から始めます。
中国語の面白さは漢字に同音を当てることにあります。お寺の門に「心福」という春節の短冊が掛けてありました。これは「幸福」(シンフー)と同音となり巧い当て字です。心が福なら幸福になれます。
台北郊外の観光名所「九份」に出かけてきました。「千と千尋の神隠し」湯屋のモデルになったと言われています。宮崎駿監督がその事を否定してましたが、どんなものか(物好きに)確認したかったわけです。お土産屋にたくさん「カオナシ」が並んでいました。
写真にみられるようたしかに湯屋に似ていましたが、やはりモデルはここでなく四万温泉の古宿に軍配が上がるようでした。四万温泉の古宿のほうがイメージ的により近いものがありました。
「九份」に行ったついでにこの地を観光名所にした、候孝賢監督の映画「非情城市」を見る事にしました。1989年製作の古い映画ですが、ベェニス国際映画祭で金獅子作品賞を獲得した秀作です。
台北での2泊のランチは、西門町とそごう百貨店の右横隣りに在った「阿宋麵線」を食べてしまった。私の大好物で留学時代に夜食でよく食べていましたが、味がさらに洗礼されてチェーン店になっていました。これって「鼎泰豊」のように日本に進出できると思うのだが、この風味はたして日本人の口に合うのだろうか。私など写真を見ただけで食べたくなってしまうのだが、、、