スマホが神になる

| コメント(0) | トラックバック(0)

51t1uefGC0L.jpeg 今回の出張での大きな変化はMacBook PCをホテルに置いたまま香港展示会に持ち込まなかったことです。スマホの利用がPCを上回りました。
 香港の地下鉄内はついこないまで携帯電話の会話でうるさかったが、今はめっきり静かになりました。東京駅構内のポスターに車内の携帯電話使用禁止から、「歩きながらの携帯電話の使用はご遠慮ください」になっていたのには笑ってしまった。香港にもじき同じようなポスターが貼られることと思う。
 また5年前に驚いたのはブータン国で僧侶の袈裟の懐で携帯が鳴ったこと。メキシコの田舎でポンチョ姿の男が歩きながら携帯で電話していたことです。
 そんな事で宗教学者の島田裕巳氏からみた「スマホが神になる」を、読んでみました。話しの内容は「ポケモンGO」と、イスラム教徒がスマホのアプリを重用していることが半分でしたが、面白い解釈でした。
 残り半分は世俗化して縮小する既存宗教、神不在のなかでスマホが神に成り得るかの問題提起でした。各章のタイトルが面白い「スマホの力が宗教界を揺るがす」、「神に代わりつつあるグーグル」、「スマホが神から時間を奪う」、「スマホが与える全能感」、「自撮りはあなたを世界の英雄にする」、「スマホが人を救う」、「決して沈黙しないスマホという神」etc.となっています。
 グーグル研究者の仮説ではスマホが人口知能(AI)と一体となりさらに進化して、2045年には技術的特異点に達し、「人間自身が未来を予測できなくなる」としています。つまり人間の能力を超えて「スマホ神」の出現となります。人間が「スマホ神」に改宗して額ずくというSFのような仮説です。
 でも、この著者はいまだにガラゲー携帯を使用していまして、無神論者いや「無スマホ論者」に留まっています。いやはやホット一息です。

トラックバック(0)

トラックバックURL: https://www.tempu-online.com/mt/mt-tb.cgi/186

コメントする

月別 アーカイブ

この記事について

このページは、三休が2016年10月22日 03:57に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「神様ありがとう」です。

次の記事は「スマホが神になる(続)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。