オフイスの入り口に1ヶ月ほど咲き続けているサボテンの花とともに7月を締めることにします。
8月も「枯れない情熱」として咲いていると思う。迫力のある一輪で花びらの中を変色させながら咲き続けています。サボテンを仙人掌とは巧い漢字を当てました。この仙人掌は10年に1度だけ咲く花だというのだが、前回いつ咲いたかの記憶になく、事実かどうかを専門家に尋ねていますがまだわかりません。
東京は都知事選が終りこれでやっとうっとうしい梅雨が明けました。
8月はイチローの3000安打達成の快挙、偉大な職人です。背番号51番は永久欠番になることでしょう。ブラジルではオリンピック開催です。今回は記録よりも平安を希望。
8日には平成天皇の「生前退位」のお気持ちを、国民に語りかける大事なおはなしがあるようです。玉音放送ですので厳粛に拝聴したい。
平成天皇は日本がこれから大きく変わって行くことを、誰よりも強く達観されてのことなのでしょう。
私は8月に海外出張をしたことがないのですが、今月も飛ぶことに決めました。
さて、暑中を元気に過ごしましょう。
2016年7月アーカイブ
(チューリッヒ湖畔に咲いていた花)
私の持論なのですが、先ずはパソコンを習熟し、それをベースにして次のステップでスマホを利用すべきという考えでした。母体であるパソコンの操作ができずに何がスマホだ、親不孝者というものでした。
しかし、今回の「ポケモンGO」が、アメリカでわずか1週間に6500万人を越えて膨れ上がり、また世界各地の大ヒットを如実に見せられて、持論を取り下げました。彼らの多くはゲームからパソコンを飛び越えて直にスマホに入っていました。
もっともアプリ業界でも今回の大ヒットは予想をはるかに超えていたようですから、衝撃を受けたのは私だけでないようでした。でも後知恵としてみれば予想できました。ポッケモン・ゲームで育ってきた親指の長い世代が、いまやスマホの主流ユーザーですから、ポッケモンのキャラクターに抵抗なく飛び込んで行けたわけです。任天堂がこれまでに積み上げてきた伏線が大ヒットにつながりました。
任天堂のキャラクターとゲーム世代のアメリカ人が運営するアプリ開発会社によりボケモンが帰り咲きました。日米合作の理想の形です。
さて、前置きが長くなりましたが、私の言いたいことは、IT通信器機の主役がパソコンからスマホにすっかり取って代わったということです。パソコンの販売台数が伸び悩んでいるのは知ってましたが、まさかここまでとはね〜。私はいつのまにか「ノケモン」でした。
そんなことで私のブログもこれまでパソコン向けにレイアウトし、文章の一行を31文字に揃えて改行していましたが、これからは先方のスマホ任せにして読みやすいように工夫しました。さっそくブログを5月まで遡って修正を加えました。時間みて一つ一つ読み返した時点でスマホ向けに修正して行きたく考えていますので、よろしく。
以上が、「ホケモンGO」の大ブレイクからの学習効果でした。
暑中お見舞い申し上げます。
「朝顔に 我は飯食う 男哉」(芭蕉)
週末は、「ヒマラヤの聖者の太陽になる言葉」相川圭子著を読んでいました。ひろい世の中にはこういう人がいるのですね。
荘厳のアルプスから下りてきたため、東京都知事選挙の喧噪が一段と大きく響いてきてしまう。
私は都民でないので距離を置いてますが、社会現象として見てゆくと、戦後一貫して左翼陣営と言われてきた集団が、いよいよ自壊過程に入ってきたようです。平和憲法を盾に偽善を謳歌した人々が、改憲を待つこともなく自滅しています。私たちはいま左派陣営の凋落を、目の当りにしています。
野党は統一候補として都庁の近くを徘徊していた「ボケモンGo」をゲットして一緒に自業自爆するようです。選挙カーの壇上に出揃った各党首を前にして「ボケモン」がマイクを握った場面に、盛者必哀の憐れみさえ感じてしまう。
どうしてこうなたのか、ネット配信の時代になりこれまでの誤摩化しや偽善が通用しなくなったからです。つまり化けの皮が剥がれてきたことが大きいと思う。しかも偽善剥がしが戦争を知らない若い世代によって行われています。
こうした若者の感性を40年前に先取りした三島由紀夫はやはり天才ですね。遺言に「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら日本はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。
三島が口をきく気にもなれずに嫌悪した人たちが、いまになりやっと自滅をはじめています。しかし、天才三島にしても予言できなかったことは「後に続く者」が、いま三島の希望をつないでいます。「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」事を、拒絶して新しい日本を再生しようと、極東から白光がさしそめました。
民族のもつ遺伝子が、時空連続体として息を吹き返しつつあります。若者の意志は常に明日を生きようとする衝動であり、たのもしい限りです。
今日は窓辺の花を紹介してスイスの旅をおわりにしたい。
アルプスの麓を散策すると家の窓辺に飾った花々を楽しめます。
よく手入れされていて、あまりに鮮やかなので無風流にも造花なのかと疑い、手を伸ばし触れてみますとやはり生花でした。
軒下に大小のカーベルを飾り、赤い花とマリア像の配合がなんともいえません。家主の心の豊かさが伝わってきました。
私のわずかな旅の間に、のどかな窓辺にも世界から大きなニュース、フランス独立記念日の花火大会を見物していた人々にトラック・テロが突っ込み多数の死者、トルコで大規模なクーデター未遂事件、イギリスにメイ新首相誕生、中国各地で大洪水、「ポケモンGO」がアメリカで大ブレイク、スイスでも配信開始が飛び込んできましたが、そうしたニュースを現実の事として捉えられず、なにか山の彼方の遠い遠い出来事のように感じていました。
(ハイジの家の土壁にカタツムリがよじ登っていました。つのだせやりだせめだまだせ)
アルプスの山々が天からの光で雪が溶け、峡谷から滝となり渓流へ流れ、ライン川の上流としてトーマ湖からボーデン湖へと入り、国境を越えドイツ、フランスへ、さらに北上し全長1,233キロを流れ、オランダのロッテルダムから北海に注いでいます。
この豊富な水はアルプスの人々の命の泉であり水浴にもなります。ホテルの主人は自信たっぷりに、「この天然水はエビアンより上質でとても美味しい。あなたはこの水でシャワーができます」と説明していました。
たしかに高い渓谷から流れ落ちる壮大な滝をみてしまうと、那智「飛瀧神社」のひとすじ滝が心細く思えてきましたが、私は「日本ならこの滝の前に鳥居を建て御神体として祀るし、奈良の「大神神社」では三輪山そのものを御神体にしています」と説明してやりました。
神道では宇宙創成の時に働いたエネルギーが、山々、滝、河川、湖などに生成し、それが人間の生成にも働いているという、自然と人間との一体感の信仰からきています。フランフ人アンドレー・マルローは「那智の滝の精神は、つねに下にいる人間と上にある空との対話だ」として、これを「アマテラスの感情」と称しました。冒険家でもあったマルローはスイスで多くの滝を見ているはずですが、なぜスイスでなくて那智の滝に感銘を受けたのだろう。それは日本の文化が自然そのままの生育であり、天上からひとすじ流れおちる滝をみて宗教感情にまで高めた崇高な精神に響動しての事と思う。
スイスでもキリスト教が入り込む以前は、アミニズムとして山々や河川に精霊が宿っていたはずです。アルプスの裏声で歌うヨーデルは、山の神々との対話だったし、山々の神々がこだましての唱和でもあったと思う。そうなければ、アルプスの少女ハイジが都会で患った鬱病からの快復、歩く事のできなかった友人クララがアルプス来て歩きはじめた奇跡は理解できません。
こうした精霊はいまでも「アルプスの夕映え」の調べなかに彷徨していると信じたい。もういちどヨーデルを歌い神々を黄昏から呼び戻どしたいものです。もし、スイスが日本から学ぶものがあるとしたら、マルローが称した「アマテラスの感情」ではないかと思う。
今日と明日はスイスで撮った写真の掲載になります。
スイスの山並みには言葉を失い、そのまま冥想に入っていけます。
日本が海に守られた島国で、スイスは山に守られた山国となります。
ともに平和な国であり、きれい好きで、律儀で時間を守る習性などたくさん共通するものがあり、スイスから多くのことを学べます。
山の谷間の湖畔に街を造り、夏は湖水で遊び、春秋はハイキング、冬はスキーと、四季とともに生活しています。
至る所に時計が置かれ、ローカル・ニュースで、ある男性がバスが10秒早く出発したために乗り遅れたとクレーム投書したら、これに対しバス会社が謝罪したとのことです。これには日本航空の機内アナウンスで、JFKー成田の14時間のフライトで到着時間が15分ほど遅れたことを、何度もお詫びしていることを思い出してしまった。
村の教会に時計塔がありそれを中心に村人の1日の生活があります。
どの写真も身構えずに普段着のスイスを撮ったものですが、いずれもが絵葉書のように映っていました。
吉田松陰が安政6年に長州藩の幽閉から吟味取調べのために江戸へ護送され安芸国(山陽道広島)を通り過ぎる時に;
「安芸国 昔ながらの山川に
はづかしからぬ ますらをの旅」と詠んでいます。
私はこれまで松蔭の「昔ながらの山川に」恥ずかしくない武士の旅であろうとする精神。美しい山河に恥ずかしくない者であろうと詠んだ感性が、いまひとつわからずにいました。
それがスイスに来てどこまでも続く山川の神々しい姿に魅せられた時、「あ、このことか」と直にわかりました。
山、川、湖、草木、すべてが霊性の現れであり、自然すべてが生そのものとして人間と生命を分ちあい、人間精神のなかに奥深く入りこんでいました。みずからが花のように自然の真中に生き、映し出され、自然からの創発で精神が形成されていました。彼らの愛国とはこの美しい山河の防人とした国土愛に直結したものでした。
(エーデルワイス)
(今回はハイジの里で白ワインです)
そろそろヨーロッパのバージョンに切り換えます。
世界各地でテロは起きているなかで世界で一番安全な空港はスイスのチューリッヒだそうです。今回はロンドンやベルギー空港を経由しないで、スイスへ直接に入ることにしました。
スイスの「民間防衛」の冊子に;「永久に平和が保障されるものとしたら、軍事的防衛や民間防衛の必要があるだろうか。すべての人たちは平和を望んでいる。にもかかわらず、戦争に備える義務から解放されていると感じている人はだれもいない。歴史がわれわれにそれを教えているからである。スイスは侵略を行なうなどという夢想はけして持ってはいない。しかし、生き抜くことを望んでいる。スイスは、どの隣国の権利も尊重する。しかし、隣国に寄って踏みにじられることは断じて欲していない。、、、親たちがわれわれのことを心配してくれたように、子供たちのことを考えよう。自由と独立は、われわれの財産の中で最も尊いものである。自由と独立は、断じて与えられるものでない。自由と独立は絶えず守らねばならない権利であり、言葉や抗議だけでは決して守り得ないものである。手に武器をもって要求して、初めて得られるのである」(原書房)。
こうした平和時からの覚悟が、侵略はおろかテロをも寄せつけないのでしょう。アメリカにもこれに似た条項で「規律ある民兵団は自由な国家安全にとって必要であるから国民が武器を保有し携帯する権利は侵しては成らない」と、連邦最高裁判所は「銃を持つ権利」を認めてます。規制がゆるいため銃による悲惨な犯罪が国内各地で頻発しています。このあたりアメリカとスイス社会の質の違いなのでしょう。
世界で二番目に安全な空港は羽田、ついで中部空港になっています。世界的にみて日本の治安は良く銃の規制も厳しいので、どの空港の安全も上位にランクされています。しかし、最近テロはどこでも起こりえますが、われわれにスイス人のような覚悟はありません。お花畑の切バサミでは武器になりませんので、警察の力量を越えた緊急事態の対策部隊の編成が必要になっています。
「自由と独立は絶えず守らねばならない権利であり、言葉や抗議だけでは決して守り得ないものである。手に武器をもって要求して、初めて得られるのである」という覚悟が必要になっています。国家存亡の緊急事態に対処できないような国は、遅かれ早かれ崩壊を余儀なくされます。日本国憲法には国家緊急事態条項がありませんが、大震災の対処を含めた国の存続にかかわる緊急事態条項の創設を、平和時にきちんと規定しておくべきだと考えます。
参議院選挙で騒がしいなか、眼差しを上空に向けると大西卓哉宇宙飛行士が米露の飛行士と3人で静かに宇宙に向かいました。
ソユーズ宇宙船で10月下旬まで滞在予定、日本人の宇宙滞在はこれで11人目になります。おりよく七夕ですので織姫と彦星のデイトに遭遇するといいのだが。
大西さん「日本の方々の夢や希望を背負ってフライトしたい」と、元旅客機のパイロットらしく飛びたちました。
そう、宇宙への憧憬と希望、人類は原始の時代から本能的に上方への意志をもち、それが350年万前に人間を大地に二本足で立たせる原動力となりました。二本足で草原へ歩きでて遥か上空を見上げて指さし、天上の神々と大宇宙を発見しました。さらに神秘なる宇宙への探求は急速に近代理性と科学を発展させ、天上への意志はついに人間の根源的生命の出生をなした宇宙へと回帰しようとしています。
宇宙の根源へ回帰することにより生命は次元を超えてさらに飛躍してゆくでしょう。ついには宇宙から醸成される霊性によってこの地球を救うことになると思い、、、
思いきや 富士の高嶺に 一夜ねて
雲の上なる 月を見んとは (西行)
アメリカの独立記念日の休日に日本国憲法のおさらいしました。
アメリカ合衆国憲法の前文「われらとわれらの子孫のために自由のもたらす恵沢を確保する」の文章は、日本国憲法の前文「われらとわれらの子孫のために、、自由をもたらす恵沢を確保し」とそのままコピー・ペーストの直訳になっていました。
でもちょっと待ってくださいアメリカさん。アメリカは独立憲法なので「子孫の自由と福利のため」でいいが、日本国民にとって国土と歴史は、われわれの子孫だけのものでなく神話起源を含め三千年の先祖代々から受け継がれてきたものです。建国300年とは桁がちがうのです。
それに、「平和を愛する諸国民の公正と真偽に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のは結構だが、この参議院選挙の最中にもバングラデッシュでテロ、北朝鮮がムスダン発射、東シナ海上空では一触即発のスクランブルが多発、南ジナ海で中国三大艦隊がアメリカとの衝突を想定した最大級の軍事演習を展開しています。
それでもなお多くの日本国民がお花畑で惰眠をむさぼり「平和を愛する諸国民の公正と真偽に信頼して、われらの安全と生存を保持」しようとするのか。こうした民族の生存さえ危うい緊迫した国際情勢のなかで、憲法改正の対応が間に合わないのではと危惧しています。
いまになり百田尚樹氏の「カエルの楽園」の憂国が、ひしひしと身にしみてきます。カエルはぬるま湯の鍋のなかで、だんだんと熱くなるのも気がつかぬ間に茹で上がってしまう。いい加減に鍋から飛び出る時になっています。
2ヶ月ぶりにニューヨークに出かけ、日本国総領事館で参議院選挙の在外投票をしてきました。
私の選挙区にお気に入り候補がいないので棄権も考えたのですが、今回の選挙は憲法改正へ大切なステップになりますので、好き嫌いの「私」でなく「公」に順じました。
それに私は「日本のこころを大切にする党」の党首、拉致問題を含め一貫してぶれのない中山恭子氏のフアンなので、いま苦境にある党に激励票を入れたく思いでかけました。なんにでも反対の非建設的な野党だけでなく、安倍政権を右側から連動する政党も必要です(比例の青山繁晴さんには理解してもらいたい)。
投票所で東京選挙区に目をやると、私のかつての同士が無所属の泡沫候補として名前を連ねていました。彼は現参議院議員として6年間自民党内で地道に下働きしていれば、今回も再選の出馬できたのに、詳しい事情は知りませんが、野党時代の党を裏切り他党に鞍替えしたことが政治的な自滅になりました。「信なくばたたず」で政界で信を失えば生き残れません。今回は落選が確実なのですから出馬をやめればと思うが、政界の魔力なのでしょう。出馬をとりやめ過去の裏切りをきれいに清算すれば評論家に転向できたのに残念です。本人の信念の欠如と思いますが、優秀な人材だけに惜しい事です。学問的に優秀なだけでは政治家になれないようです。
そんなことでニューヨークですっかり日本人してきました。さて、10日の選挙はどうなることか。