本は意外に重いのですが、今回の出張で友人からいただいた5冊と書店で購入した9冊を持ち帰ってきました。今回は珍しく中国関連本が1冊もなかったことです。中国は暫く経済停滞と権力闘争の日々になると予測し、このところ関心が薄れ一休みです。
そこで先ずは札幌駅の書店で見つけた、セピア色の表紙「小倉昌男祈りと経営」--ヤマト宅急便の父が闘っていたものー、森健著(小学館刊)から読みはじめました。
小倉氏は私が尊敬する経営者でした。2005年に逝去していますのに、なぜ今ごろ小倉昌男の経営論なのかいなと思い、店頭で目次を開くと、キリスト教徒であった氏が「良寛のふるさとへ」とあり、いったいどんな祈りの経営だったのかと興味がわきました。また俳句をたしなみ、それに「日本の中で一番好きなところと言ったら、それは北海道」と書いてあり、私も折よく札幌でしたので記念購入でした。
誠実に書かれた内容でしたが「祈りと経営」は本を売らんがためのレトリックなタイトルでして、これは経営書でなく「小倉家の人々」--父としての小倉昌男--を、小説風ノンフィクションに仕上げたものでした。
著者は「どこの家にも問題はある」と書いていますが、たとえ作家であっても故人のプライバシーな部分にまで立ち入って検索するのはいかがなものかと思う。逝去10年後に墓から掘り出して書き起こすだけの意味があるのだろうか。たとえ故人であるにしてもプライバシーの侵害ではないのか。おそらく小倉家も故人も心よく思わないであろうし、こんなプライバシーなことまで我々が知る必要もないことです。また、知ったからといって経営者としての小倉氏の評価は変わりません。まぁ作家の業なのでしょうが、それぞれに生活空間がありその垣根を越えてプライバシーの領域にまで立ち入らない方がいい。それが礼儀というものであり、死者にたいする弔いでもあります。
ここは読後の気分なおしに、小倉氏がおりふれ祈りを捧げていた、神学者の「ニーバーの祈り」で結ぶことにします;
「神よ
変えることができるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受け容れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ」
祈りと経営
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