(晩年の佐藤慎一郎ご夫婦、自宅にて)
なんで今になって私がブログに佐藤慎一郎先生の追悼を書く気になったのか、自分でも信じられないが、この著書で突如として忘れられていた先生の名前がでてきた成り行きでそうなりました。まぁこれもご縁というもので、私のお役目なのでしょう。
著書「田中角栄こそが対中売国者である」の第一章は「角栄に戦いを挑んだ中国学者」から始まっています。佐藤 VS 角栄という対極にあった二人を、対峙させながら書き進める脚色は実にドラマ的です。
私は佐藤先生の講演、秘密報告書、角栄との戦いを、緊張しながら読み進めました。活字を目で読むのでなく、先生の東北なまりで訥々と話す肉声が耳に響いてきて、心がふるえてしまいました。
さて田中角栄ですが、中国革命で生き残った海千山千の老獪な中国人は、金の権化は金にたやすく転ぶし、金のためには国さえ売ることをよく知っていました。当時の周恩来は田中角栄をそうした小人として扱い、朝日新聞を利用して田中が首相になるよう影で工作していました。そして、日本政府が中国に援助するODAの見返りに多額のリベートを田中角栄と密約しました。この利権が後に中国共産党と田中角栄の癒着となり、闇将軍なってからの田中派の政治資金となり田中眞紀子まで延々と続きました。
当時の中国の対日工作の暗躍はすさまじく、国内にスパイが跋扈し、金には賄賂、色にはハニィートラップと、次々に要人を籠絡してゆきました。中にはまさかこの人がと思える人物までも混ざっていました。
しかし、こうした闇の部分はこのプログに書きませんし、書きたくありません。ただ、今さらなのですが、私はこの著書から二つの事に気がつきました。
私はこの著書に書かれている内容は、佐藤ゼミなどを通じて当時すでに知っていました。だからだったと思いますが、このままでは田中角栄が日本をだめにすると、「角栄、問答無用」と真剣に思いつめたわけでした。今となれば若気の至りでしたが、何故あれほどまでに思いつめたのか、この著書を読んでやっと納得がゆきました。
もう一つは、歴史にも人生にも "if"はないのですが、時折もし自分があのまま大学に籍をおいて中国研究を続けていたら、どんなスタンスの研究者になったろうか考えることがあります。もし、そうであればおそらくこの著書は、私が出筆していただろうと思いました。
でも本来ネアカの私は、こうしたどろどろとした闇の世界が嫌いで、さりとておとなしく学者におさまりそうもないので、ビジネスの世界に転向したのですから、今さら何をか言わんやです。
それに当時暗躍したツワモノたちはみな鬼籍に入りました。ここにこの著書を携え、佐藤慎一郎、鬼塚英昭、両氏のご冥福を、祈ることにしました。 合掌
佐藤慎一郎(3)
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