「日本的情緒の中から生まれてきて、その通りに行為し、
またそこへ帰って行く」(岡潔)
私が17歳の時に出会い、その後の人生に大きな影響を与えた長野の恩人(行年92歳)を、お送りしてきました。火葬場に向かうマイクロバスのなかで、冥福を祈りながら天寿と寿命について考えてしまった。
人生にはさまざまな形の死があり、幾つで逝かれても諦めきれないのが尊い命、その人に与えられた寿命です。恩人は15歳で満州に渡り、招集されてベトナムと雲南に出兵し、もしそこで戦死したとしても寿命だったし、58歳の時に大病を患い死亡しても寿命でした。
天寿は天から与えられた命を全うすることです。尊い命がしだいに萎えてゆき、本人も周りの者も、天命を受け入れて逝かれる死に方です。ですから葬儀も哀悼の涙はなく静かな鎮魂でした。告別式にたくさんの方が焼香にきましたが、みな静かに惜別していました。
最晩年に「こんなふうに寝ているだけになっても、生きているだけで結構楽しいんだよ」と話していたそうです。大往生という大袈裟なものでありませんが、天寿を全うしました。こうした死をみますと、今のご時勢90歳越えの天寿生計が必要なっているのかなと思えてきました。90歳越えまで元気でいたいものです。
葬儀の翌日に友人から曾野綾子著「出会いの神秘」=その時、輝いていた人々=をいただきました。横帶に「私に人生で本当に重大な使命を教えてくれた人は、ごく普通の姿をしていた」とありましたが、私の恩人もその時42歳で輝いていましたが、ごく普通の姿をしていました。
合掌
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