うすら馬鹿

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529x529xf9b0c7f4a79e86eff2d0c110.jpeg 安保法案の可決時に国会内で山本太郎が演じた喜劇に「うすら馬鹿」と言い放った人がいました。この「うすら馬鹿」の仲間たちに小沢一郎もいるのですからこれは悲劇かも知れない。
 そんな不快な事はさておき、もう死語かと思っていた「うすら馬鹿」を、久々に耳にして懐かしくて笑ってしまった。明治生まれの母が生前によく使っていた語彙で、私が小学生のときに原っぱで捕まえた蛇(ヤマカカシ)を、家に持ち帰って母に見せて脅かしたら、大きな声で「このうすら馬鹿め」とひどく叱られたのを思いだしました。母のおびえた狼狽ぶりに逆にこちらがショックを受けてしまい、それ以来トラウマで蛇をみると恐くなってしまった。
 さっそく「うすら馬鹿」という面白い日本語は、どんな馬鹿なのか「語感の辞書」で引いてみましたら、「なんとなく馬鹿」の和語と漢語の混合語でした。「馬鹿」だけでは露骨すぎるので、和語の「うすら」を加えて、うっすらとぼかしたところが日本語の繊細さなのでしょう。
 これは「袋小路」を英語で「デッドエンド(Dead End)」、中国語で「死巷」と称し、英語で「豆澱粉(Bean-starch)」、中国語の「米粉」を「春雨」とした繊細さに通じるものです。
 そうしますと「うすら馬鹿」は、「なんとなくの馬鹿」で、母に叱られてもそう落ち込むこともなかった。私もこれから人様を「馬鹿」と称す時は、「うすら馬鹿」と言うようにしたい。
 でもやはり山本太郎は、私のうすらと違い単なる露骨な「馬鹿」でした。投票した人の顔がみたい。

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このページは、三休が2015年9月23日 00:38に書いた記事です。

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