今日も「片づけオタク」にお付き合い願います。
こんまり魔法に、本の整理は先ず一気に、短期に、完璧に「捨てる」を終らせる事。しかも「触ったときに、ときめくか」、触るだけで中身はけして読まない事。いつか読むつもりの「いつか」は、永遠に来ないが、殿堂入りの本は迷わず手元に残す事とあります。
このマニュアルにしたがい、本棚の3分1の本を触っただけで捨てました。今回は恩師、司馬遼太郎、曽野綾子の書籍類は、触らずにそのまま残しました。雑誌類はすべて捨てることにしましたが、「文藝春秋」の臨時特別号「大いなる昭和」昭和天皇崩御と、「司馬遼太郎の世界」追悼号の2冊が殿堂入りしました。
雑誌ですので紙が日焼けし変色していましたが、「大いなる昭和」は無条件に殿堂入り。「司馬遼太郎の世界」はいったんゴミ箱行きでしたが、こんまり法の禁を犯して捨てる直前に中身を読んでしまい、出戻り殿堂入りとなりました。
私の不勉強なのかわかりませんが、司馬遼太郎氏が逝かれてからじき20年になるというのに、司馬氏を越える、または司馬氏並み、あるいは司馬氏を引き継ぐ思索家が不在なことに気がつき驚愕しました。いいかげんに出現してもいいと思うのだが、文化の衰退なのか、出版界の人材発掘が力量不足なのか、読者の活字離れによるのか、どうしたことなのだろうか。もしどなたかいるなら教えてもらいたい。
司馬氏の著書出版社は、朝日新聞社から各大手出版、産経新聞社にいたるまで網羅していた稀有な国民的作家でした。私はそこに氏のニヒリズム的な調子のよさ感じていたのですが、いま想うと氏の透徹した思索は、そうしたイデオロギー的な次元を越えていたのでしょう。
私は司馬氏にまつわり一つだけ大きな悔やみがあります。
同時代に呼吸しながら生身の司馬氏を見たことがなかったことです。1993年に氏が訪米しコロンビア大学で講演をした時、私は司馬氏はもう枯れたと思い行きませんでした。その後に対談集「土地と日本人」を読み、あの土地狂乱バブルに対峙しこのままでは「この国のかたち」が崩壊してしまうと、一書生として反骨精神を発揮していて全く枯れてなどいなかったことを知り、あの時に行けばよかったと痛恨の悔やみとなりました。
司馬氏は戦後の日本が平和を享受していることはよいことだが、その代償として若者の目が生気を失ってしまったことを憂いていました。
もし司馬氏が在世なら今の日本をどう思うことか、戦後70年の折りに「二十一世紀に生きる君たちへ」を、再読することにしました。
こんまり魔法に、本の整理は先ず一気に、短期に、完璧に「捨てる」を終らせる事。しかも「触ったときに、ときめくか」、触るだけで中身はけして読まない事。いつか読むつもりの「いつか」は、永遠に来ないが、殿堂入りの本は迷わず手元に残す事とあります。
このマニュアルにしたがい、本棚の3分1の本を触っただけで捨てました。今回は恩師、司馬遼太郎、曽野綾子の書籍類は、触らずにそのまま残しました。雑誌類はすべて捨てることにしましたが、「文藝春秋」の臨時特別号「大いなる昭和」昭和天皇崩御と、「司馬遼太郎の世界」追悼号の2冊が殿堂入りしました。
雑誌ですので紙が日焼けし変色していましたが、「大いなる昭和」は無条件に殿堂入り。「司馬遼太郎の世界」はいったんゴミ箱行きでしたが、こんまり法の禁を犯して捨てる直前に中身を読んでしまい、出戻り殿堂入りとなりました。
私の不勉強なのかわかりませんが、司馬遼太郎氏が逝かれてからじき20年になるというのに、司馬氏を越える、または司馬氏並み、あるいは司馬氏を引き継ぐ思索家が不在なことに気がつき驚愕しました。いいかげんに出現してもいいと思うのだが、文化の衰退なのか、出版界の人材発掘が力量不足なのか、読者の活字離れによるのか、どうしたことなのだろうか。もしどなたかいるなら教えてもらいたい。
司馬氏の著書出版社は、朝日新聞社から各大手出版、産経新聞社にいたるまで網羅していた稀有な国民的作家でした。私はそこに氏のニヒリズム的な調子のよさ感じていたのですが、いま想うと氏の透徹した思索は、そうしたイデオロギー的な次元を越えていたのでしょう。
私は司馬氏にまつわり一つだけ大きな悔やみがあります。
同時代に呼吸しながら生身の司馬氏を見たことがなかったことです。1993年に氏が訪米しコロンビア大学で講演をした時、私は司馬氏はもう枯れたと思い行きませんでした。その後に対談集「土地と日本人」を読み、あの土地狂乱バブルに対峙しこのままでは「この国のかたち」が崩壊してしまうと、一書生として反骨精神を発揮していて全く枯れてなどいなかったことを知り、あの時に行けばよかったと痛恨の悔やみとなりました。
司馬氏は戦後の日本が平和を享受していることはよいことだが、その代償として若者の目が生気を失ってしまったことを憂いていました。
もし司馬氏が在世なら今の日本をどう思うことか、戦後70年の折りに「二十一世紀に生きる君たちへ」を、再読することにしました。
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