アジアの孤児・香港

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IMG_0790.jpeg 1年ぶりの香港に2泊滞在してきました。
 今回は昨年の9月下旬からこれまでにない盛り上がりをみせた学生たちの雨傘民主化デモ後の香港をみたく思っていました。
 1997年に香港返還された時、私は中国本土の香港化を願っていましたが、どうやら香港が本土化されてきているようです。残念なことですが武力もない小さな島の700万人では、中国13億人の民主化には無理がありました。
 それに頼みの綱だった宗主国の英国が、香港の民主化デモになんら援護すらできないほど零落していました。かつての栄光ある英国は中国の属国になり下がり、札束外交の前にただヌカズクだけになってました。金融立国の限界でして、今や英国も変貌したものです。
 99年間の宗主国にいと簡単に捨てられた香港は哀れなものです。国際政治は非情とはいえ英国は狡猾すぎます。まぁこれが利にさとい英国外交なのかも知れないが、植民地とはこんなものなのでしょう。香港は活気を留めながらも、諦めメイファーズ(没法子)の虚脱感があるように見えました。お金持ちは、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア等の国籍を取得していつでも逃げられる体勢ですし、昨年は台湾にも8千人余が非難移民しています。
 地政学的にみて香港は香港なのですが、これからアジアの孤児として活路を見出すのか、このまま中国本土に呑み込まれてしまうのか、天の意志はどこにあるのだろうか。
 かつて香港のカラオケ・バーでよく歌った、テレサ・テンの「香港」が、今頃になって心にずっしりと沁みてきます、、、

   時が過ぎ時代が変わり
若き日をふりむき
   心だけが帰るところは きっとこの街
   あぁ人は夢ごとの過去を懐しみ
   かえがたい優しさに気付くけれど
   何処へわたしはたどり着くの
   何処へ心を連れてゆくの    (詞・荒木とよしさ)

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このページは、三休が2015年4月25日 01:42に書いた記事です。

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