自分の歌を唄え

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200.jpg 中国語で「先輩」のことを「学長」ということをすっかり失念してました。「KANO」の映画に中国語の字幕があり、「学長」「学長」が乱発されていて、なんでこんなに「学長」が居るのかと思い、翌朝になってやっと「先輩」だったと思い出しました。中国通の面目まる潰れです。
 先日、母校バスケット部のOB総会があり懐かしく参加しました。体育系なので大先輩ばかりに気を配っていましたら、知らない間に私もそのグループに入っていました。そして次々に紹介されたのが平成生まれの後輩「学弟」たちなので、オイオイ待ってくれよと戸惑ってしまった。
 後輩のなかに私が母校で二度やった講演を聞いた大学生もいて、彼らの真剣な眼差しにOB総会の懐かしさも、酔いも一遍に冷めてしまった。一人はアイルランドに留学を希望し、一人はドイツに留学とのことでした。彼らの将来と個性化の中にかつての私自身の姿が映し出されてきて羨ましいかぎりでした。そんなことで私も無理矢理「学長」にさせられ後輩たちは母校の校歌通り「我ら若き力〜?日本の未来」でした。
 さらに、このOB総会へ行く途中の乗り換え駅で両手に重い荷物を持って階段で立ち止まったら、後ろから高校生が恥ずかしそうな小さな声で「荷物を持ちましょうか」と声をかけてくれました。さっそく手助けをお願いし、かわいくなって手持ちのチョコレート・クッキーをあげてしまった。みな素直ないい若者でした。私には「今の若者は頼りない」などと偉いことを言えません。

 帰りのJALの機上で「ストックホルムでワルツを」の映画を見ました。スエーデンの片田舎で電話の交換手をしながらジャズ・シンガーを夢見る実話を基にしています。自己の夢に貪欲で何度も挫折を繰り返しながら少しでも夢に近づこうと努力するサクセス・ストリー。
 彼女はニューヨークで
女性ジャズ・シンガーの大御所からジャズの本場「ルイジアナに行ったこともないくせに何よ、誰かの真似をするよりも自分の気持ちを唄ったら」と突き放されて失意のうちに帰国します。父親からは「お前は小さい時に木登りして落ちて死にそうになった。だから危険なことに挑戦するな」とひどく叱られます。彼女は「木の上から眺めた景色はすばらしかった。また登るわ」と、母国語の詩を自分のジャズにして唄いはじめて再起し、ついにニューヨークで脚光を浴びることになりました。
 「誰かの真似より自分の歌を唄え」とは、心にグサリときます。もし往きの機上でこの映画を見ていたら、平成の後輩「学弟」たちに話してあげられたのに残念なことをしました。

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このページは、三休が2015年2月26日 01:04に書いた記事です。

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