台湾の古都・台南も年々春節を祝う風習が薄れてきています。今年はそれがより顕著になってきました。
年越しの爆竹も激減し、街を歩いても春節の飾りが少なく、日常の生活とあまり変わらず、春節を祝う雰囲気が感じられませんでした。春節を楽しむというよりも春暇を過ごしている感じです。これなら春節にわざわざ当地を訪問することもないので、来春は香港か東北(満州)にでも行ってみたいものです。
それでも大型のスーパー(昔ですと食材市場)に行きますと、買い物客の熱気が伝わってきますから「食在春節」は依然として健在でした。
今年は中華民国104年となり、建国104年になります。いい加減に百年を一区切に「年号」を変えればよかったのですが、中華民国が続きそんな惰性が春節にも現われているのでしょう。百年も近代化が続けば中華も薄れ、若者には春節の風習が古く感じるのかも知れません。その点、日本は百年の間に「明治」「大正」「昭和」から「平成」と維新されて行き惰性がありません。
今年の春節で多く見られた標語は「羊羊如意」で、新光三越百貨店の前に「吉羊如意」が置かれ、その下に祈願札がありました。私も台湾の人々がよき「羊羊如意」を迎えるように願掛けしてきました。
年越しの爆竹も激減し、街を歩いても春節の飾りが少なく、日常の生活とあまり変わらず、春節を祝う雰囲気が感じられませんでした。春節を楽しむというよりも春暇を過ごしている感じです。これなら春節にわざわざ当地を訪問することもないので、来春は香港か東北(満州)にでも行ってみたいものです。
それでも大型のスーパー(昔ですと食材市場)に行きますと、買い物客の熱気が伝わってきますから「食在春節」は依然として健在でした。
今年は中華民国104年となり、建国104年になります。いい加減に百年を一区切に「年号」を変えればよかったのですが、中華民国が続きそんな惰性が春節にも現われているのでしょう。百年も近代化が続けば中華も薄れ、若者には春節の風習が古く感じるのかも知れません。その点、日本は百年の間に「明治」「大正」「昭和」から「平成」と維新されて行き惰性がありません。
今年の春節で多く見られた標語は「羊羊如意」で、新光三越百貨店の前に「吉羊如意」が置かれ、その下に祈願札がありました。私も台湾の人々がよき「羊羊如意」を迎えるように願掛けしてきました。
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