最近はネットから情報をもらうことが多くなってきました。
昨日も日本語の繊細な表現に「桜は散る、梅はこぼれる、菊は舞う、牡丹は崩れる、椿は落ちる」と、花の終りはそれぞれに違うとありました。人生の終りも花と同じような表現ができそうです。
日本の男性は表現が下手で、口から自然に「I Love You」と言えるようになるのには、あと30年かかるだろうとありました。てことは、私は一生口にしないことになります。もっとも22歳から海外生活しているのに一度も口にしたことがありません。別に胸張って自慢することでもありませんが、もし口にしていたら、とっくの昔に舌を噛んで死んでいたと思うので、こうして生きているのですから論より証拠です。でも最近になり「ハグ(Hug)」の方は、自然にできるようになりました。
「Love」=「愛」は、明治以後の日本語訳で、それまでは神の「愛」も「慈悲」と訳していました。日本の人はこのような言霊的な言葉に対し、ストレートに安易に口にすることを、あまり好まないのだと思う。無理してもLoveでなく「好きだよ=I
Like you」止まりと思います。まぁ、これも文化なのでしょう。
この「I Love You」の書き込みに対して日本に長く住んでいる外国人から寄稿があり、日本人の「I
Love You」の表現は「ありがとう」だと解釈していました。これを読んで「うまい!」と思わず膝をたたいてしまった。この日本通の外国人にハグしたい。これでしたら私も毎日朝から晩まで機関銃で感謝弾を放つようにように「Love」を、ばらまいています。これでやっと長年もやもやしてきた語彙から解放されました。
「ありがとう」、これからはこれで行くことにしました。
北風吹きぬく寒い朝も〜♪
心ひとつで暖かくなる
北風の中にきこうよ春を〜? (佐伯孝夫詞)
いま口ずさんでもいい歌ですね。
今日は立春。外は一面の雪景色に零下9度の寒い朝。室内で体操をしひと汗かいてタオルで拭き取るこの対比、なんとも言えないいい感じです。心ひとつで暖かくなる。
体内60兆の細胞群はすでに北風の中に春のおとずれを聞いているようで、体操する体の動きが柔らかくなってきています。
「きのうより 少し開いた 梅の花」(三休)、もうすぐ春ですね。
以下は私事の余談になりますが:
この歌詞の中に「清らかに咲いた可憐な花を、みどりの髪にかざして今日も」とあります。中学、高校時代のバスケットのチームメイト、私の親友でもあったが、絵画など描いたことがなかったが、高校卒業時に突然に、みどりの髪に可憐な花をつけた女性像を描きました。この歌がモチーフだったのかも知れないが実に狂を感じる絵でした。今にして想うと彼が初めて自己表現した絵を、理解しほめてやればよかったと後悔しています。そうすれば彼は新しい才能を開花さて行ったと思うのですが、私もまだ未熟でした。彼はその後まもなくして理由もなく広島に行ったと聞いていますが、それ以来まったく消息がつかめずにいます。どうしたことやらといつも気になっている友人です。
当時、彼のバスケットのセンスは突出していまして、県内で1、2位を争うプレイヤーでした。監督も一目を置くセンスで大学のバスケットでも十分に通用する選手でした。私は彼のバスケットにおける動物的なセンスを賞賛と羨みながらも不思議でした。
しかし、高校のバスケットを離れた時期に、奇怪な緑の髪の絵が象徴するように、持ち前のセンスが狂いはじめたとしか言い様がありませんでした。色覚異常か狂なのかな、私の理解をすでに越えていました。ただ一つだけ思い当たる事は、彼はいつも親指の爪を噛んでいて、親指の先がただれるように太く大きくなっていたことです。恐らく遺伝性もあるのかも知れませんが、彼のバスケットのセンスをうまく絵画に展開できたらユニークな芸術家になっていたかと思うと、チームメイトとして残念でならない痛恨事になっています。
昨年、高校時代のバスケットの名監督が亡くなり、今月中旬に偲ぶ会あります。私と同じ様に監督が一番気がかりで会いたく思う彼ですが、消息不明で欠席とのことです。残念ですがどこかで元気にいてくれるならば、それでいい。
「ミイラ取りがミイラに」、誠にお気の毒です。合掌。
しかし、ミイラは成仏せぬまま乾燥した砂漠で、数百年、数千年を経ても生前の面影を残します。イスラム過激派は武器を持たない丸腰でお人好しの日本国民を敵にすることで、親日イスラム諸国をはじめ世界を敵にまわしてしまった。これで単なるイスラム過激派になり下がり国造りの大義を失しないました。イスラム過激派(ISIS)はやがて殲滅されるであろうし、ナイフを左手に持ってふり下ろした黒覆面の男はじき殺害されるでしょう。ミイラの呪いです。自らの心に恐怖を感じなければ覆面などしない、卑怯者の弱さのあらわれです。
私は中東問題に疎く、砂っぽい砂漠の民がいまいち苦手なのでこれまで沈黙していました。それにイスラム研究の専門家にしっかりした論客がいるので、それらを情報収集しながら趨勢を見守っていました。私は後藤健二氏は解放されるのではと淡い希望をもっていましたが、知り合の国防関係に従事する人は、早い時点で彼も殺害されると断言していました。私が何故と問いましたら「ISISはあんたが思うような甘い集団でない」との回答でした。リアリストを自称する私もISISのテロに対して甘い幻想を抱いていました。
それにしても戦後のお花畑で育った「軍事オタク」の徒花が、まったく行く必要もない危険な地域にのこのこ出かけて拉致され、後藤氏はそのオタクを助けに自己責任(切腹)の覚悟で出かけて行き、現地ガイドの裏切で拘束されて二人とも殺害されました。日本は現地に外務副大臣を派遣しただけで、なす術もなくただ歯をくいしばるだけでした。
今回は日本国憲法前文が真っ向からテロの挑戦を受けました。武器を持たない丸腰の『日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』が、先方に平和も公正も信義のカケラもなく、憲法の前文が無惨に殺害されてしまった。これは北朝鮮の拉致事件に対してもまたしかりで、日本国憲法の前文もミイラ化しているようです。
月初めに嫌なニュースでした。明日は節分そして4日は立春。大きな声で鬼を追い払い、さわやかな新春を迎えましょう。2月19日は今年2回目のお正月です。