アマデウス・神に愛されし

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images-2.jpg 何をいまさらモーツァルトかいな、自分ながら呆れるm(_ _)m
 今週は259才の誕生日の週ということで、ラジオから毎日モーツァルトの調べが流れでるもので、ついつい書いてしまった。サリエリがモーツァルトの天才に遭遇し「神よ、なぜ私にでなく、彼に与えしか」と天を仰いだ「アマデウス」のビデオを見て、一段落としたい。
 英語の「Genius(天才)」や、中国語の「天才」と言う語彙は、日本ほどそう深く捉えていません。才能が一般より少し秀でた人に対しいと容易く「Genius」や「天才」とオーバーな表現を使います。ただモーツァルトやアインシュタイン級の天才になりますと、アマデウス(神に愛されし)、A Godsent child.God gifted child.(神の申し子)的な表現になってきます。
 天才「Genius」はラテン語の「守護霊」「守護神」からきています。天才の「才」は、神が天から降下してくる神聖なよりしろの標木からきています。こうした黙示録からみてゆくと、人はみな天から降下された守護神に守られた天才です。それぞれが天命を持って生まれています。少なくても他の生物から見れば人間はみな天才です。「万物の霊長」と称する所以です。
 この世に意味なくして生まれてきた人などいません。みな天が与えし才をもって生まれています。天は守護霊を通してそのように「才配」しているはずです。みな神の申し子で、「歳」の数だけ「才」があるわけです。しかし、多くの人が己の守護霊に気がつかずに自分から突き放してしまっています。己の才を知らずに終える人、信念の欠如で才を研ぎすまさずに終える人がいるだけです。
 「箱根山 駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草鞋をつくる人 すてた草鞋をひろう人」、それぞれが持ち場持ち場でプロとして天の才を発揮しています。世のため人のため、もし何もできなくも笑うことならできます。布袋さんも仙台四郎も笑っていただけで福の神になっています。天の才「みんなちがってみんないい」。
しっかり己の守護霊を抱きしめましょう。
 ってことで、はやくも1月が過ぎます。2月も自分の持ち場でがんばりましょう。どうぞよい才月を!

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このページは、三休が2015年1月31日 00:06に書いた記事です。

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