いよいよ今年もカウント・ダウンです。上の画像も馬から羊に変わります。
今年をふりかえると飲水法と玄米の食事を始めたことが生活習慣の大きな変化でした。最近の体調のよさと、冬場に皮膚が乾燥しないことからからみて効果がありました。それに玄米のため咀嚼する回数が増えたので脳神経を刺戟し、胃腸にもやさしくなったようです。
今年最後の本は「ユダヤ人とクラシック音楽」本間ひろむ著(光文社新書)となりました。以前から「屋根の上のバイオリン弾き」に魅かれユダヤ人とクラシックの関係に興味があったので面白く読みました。ユダヤとバイオリンは切り離せません。「屋根の上のバイオリン弾き」はローマ皇帝によるユダヤ人虐殺の時に、逃げまとう群衆の中で独り屋根の上でバイオリンを弾く男がいた故事から来ています(シャガールがこれを絵にしています)。そしてそれが今になっても屋根の上でバイオリンを弾いています。ユダヤ人の宿命なのでしょうか。私はブロードウエイのミュージカルと映画でも何度か観賞し、その度にユダヤのバイオリンの音に魅せられ羨望をしてきました。
しかし、この本を興味深く読みながら同時に後悔が生じました。音楽は耳で聞くもので、目で読むものでなく、耳で楽しめばいいものを、知らなくてもいい暗部まで読んだことで、バイオリンのE線が切れたように雑音が入ってしまいました。音楽は音楽だけを楽しめばいい。この本は必要なかったので年越しとともに雑音を消し去りたく思っています。
そして、「ニューズウィーク日本版」1/6号の特集「2015年の世界を読み解く」で年を越し、元旦は「日本の未来図2030年」(日経BP社)から入ります。これは米国国家情報会議編「2030年世界はこう変わる」で、日本の力を低く予測して大外れになり、それに対抗した日本版となります。年頭で早くも眼差しは2030年です。
それではみなさんどうぞよいお年をお迎えください。
2015年もよい歳にして行きましょう。
2014年12月アーカイブ
♪〜You'd
better watch out!
You'd better not cry.
Better not pout.
I'm
telling you why ♪〜
Santa Claus is coming to town ♪〜.
(ほら見て!泣くなよ、ぐずるなよ、なぜかって、サンタクロースが町にやって来るからさ)
40年ぶりかと思うが、急遽クリスマスを一人で過ごすことになりました。サンタがくれた貴重な「シングル・ベル」のプレゼントです。
さて貴重な空白時間に何をしようか、窓から落ちそうな「あわてん坊のサンタさん」のお手伝いでもしようか。
先ず身の回りの大掃除。たまってしまった衣服を整理し寄付箱に投げ込もう。次に横積みにあふれでた本棚の整理。古本屋に持って行っても二束三文なので目をつぶっり思い切ってゴミ捨て場へ。
それから一人でクリスマスを過ごす友人にプレゼントを持って行こうか思っている。たしか昔に読んだ安岡章太郎の著書「アメリカ」のなかに、クリスマス・イブにがらんとしたさびれたダイナー食堂で一人で夕食するわびしい安岡氏が描かれていたと思うが、そんな友人と過ごそうかと思っている。
それから静かに今年をふりかえり、年賀状の仕上げ、来年度の計画を立て、新年を迎える心の準備をしようと思う。2015年の世界情勢は大きく地殻変動してゆくだろう。思わぬクリスマスの静寂は、やがてくるであろう嵐を予感させてもいます。でも、
泣くなよ、ぐずるなよ、なぜかって、来年もサンタが町にやって来るからさ。
(一陽来復、冬至の日に)
昔の諺で「人を呪えば穴二つ」墓穴が二つの共倒れ、今の流行語ではブーメラン現象と言っていますが、己が憎んだり中傷したりした事は、やがて我が身に降りかかって来るというこだま作用です。
私自身も常に戒めとしている箴言でして、こうした負の感情が湧き上がって来る時は、すぐに相手を祝福してしまうか、無視するか忘れてしまうように努めています。今日はそれをよく承知の上で、政界におけるこの世は無常の盛者必衰を書いてみたく思います。国民の為を思う気持ちより自己を優先させる政治家の末路は、最後に国民から捨てられるというブ--メラン現象です。
頭数をたよりにした小沢一郎は一人になりました。彼は奥さんからも三下半です。自民党を飛び出した渡辺喜美は落選、首相までやった自己中の権化、菅直人は海江田党首とともに落選、比例復活で最後席を党首と争い蹴落とし475番目の男となり、生き恥をさらしました。私は菅直人や鳩山由起夫の眼を見る度に、団塊世代の恥部を見る思いでたまらなくなってしまう。ごきげんよう、さようならです。
政治家は選挙に落ちればただの人ではありますが、なんとも美しくない。国民を代表する政治家は、やはり自己の志と信念のもとに王道を歩むべきものと思う。安倍晋三氏は命がけで政治をやっています。これを超える為には命がけでやるしかないが、いま安倍氏の「志」を超える者はいない。だから安倍氏は首相であり、自民が大勝したわけです。
安倍首相が健闘している間に、志の高い継ぎのよきリーダーを育成するのが国民の仕事になります。リーダーは民度の程度にしか育たぬものですから、今から育成を始めなければと思う昨今です。
時は流れ82歳の老兵ですから仕方がないのですが、惜しい人物が消えて行きました。ご老体にこれ以上お願いするのも無理というものですが、政界に一つの空洞ができたようで誠にさみしいかぎりです。
1968年、石原慎太郎が参議院議員選挙に出馬して301万票という最高得票でさっそうとデビューしました。私は飯田橋まで講演会に駆けつけ会場の熱気のなかで政治に目覚めてゆきました。そして私の初めての選挙権を石原氏に投票しました。私の一票が歴史の中にいることに感動を覚えたものでした。
それ以来一貫して石原氏に投票してきました。石原氏もぶれることなく一貫して本音で言動し期待を裏切りませんでした。私は石原氏の言動でどれほどガス抜きができたか知れません。かくして私の選挙権も消え行くのみです。
石原慎太郎氏ご苦労様でした。政界回顧録を楽しみにしています。
ごきげんよう、さようなら。
元気ブログは湿った話しは書かないよう心がけていますが、今日はそれに反して先日4件の法事のお話しです。
四十九日の法要、仏界では「満中陰」と称し、死後の六道世界のどこに行くかを裁定する期日となり、お仏壇にまだ涙の湿気と故人のぬくもりが残っていました。霊前にお焼香し、やすらかに成仏なさることを祈り、お世話になった人が逝かれたことを受け入れる儀礼になりました。
百日の法要、仏界では「卒哭忌」と称するようですが、私はこの仏語を初めて知りました。いつまでも嘆き悲しみ哭いていないで、そろそろ哭くのを卒業し、現実の生活に戻りなさいう仏の智慧に納得。ちょうどこの日にお焼香をあげ「卒哭忌」をしてきました。
七回忌、故人が逝かれて6年目の追善供養が2件ありまして、ともに私の親しい友人でした。1件は40歳で逝かれた上海人の供養。親族に七回忌の旨を説明し、次は十三回忌なるがその供養は親族にお任せし、これが私の最後の供養になることを告げてお別れしてきました。中国では清明節と冬至が法要の日となりますが、親族と「ごきげんよう、さようなら」でした。
もう一つの七回忌は追善というより鎮魂に近い供養でした。ある傷害事件で34歳の若さで逝かれた友人でして、誰も法要をしてあげないだろうと思い、私の呼びかけで故人と特に親しかった友人を三回忌の時と同じ料理店に招いて会食しました。もうかつての衝撃と興奮と涙は風化してまして、故人を偲びながら笑い話に終始しました(それでいい)。ここでもこれが最後の法事で十三回忌はやらないことを告げたら、6年後にも集まろうということでしたが、誰もが「ごきげんよう、さようなら」の思いでいたようでした。
料理店に予約いれた時、会食の主旨に「法事」としておきましたら、我々の笑い話を背にした小さな床の間に、さりげなく「はなに嵐」のお軸が掛けてありました。漢詩「勧酒」を、井伏鱒二が和訳した名作で、心憎いおもてなしです;
この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ注がせてくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
「さよなら」だけだが人生だ
今回の法事はこのお軸に象徴されていました。「人生一生、酒一升、あるかと思えばもう空か」。では、ごきげんよう、さようなら。
岡倉天心のスケールが大きいため生涯の半分くらいしか描き切れてなく少々もの足りなさが残りますが、その範囲でよくできた作品でした。題名を「天心とその弟子」か「天心と五浦」とでもすればよかったと思う。
「信じよう日本を、その先にある光を」、北茨城市の片田舎、五浦海岸から「日本の美」を、世界に向けて発信し続けた明治の男たちの苦悶と浪漫、それを陰で支え続けた明治女の気骨に感動を覚えます。東日本大震災の大津波で彼らの日本美の灯台であった「六角堂」が流失してしまい、映画化を機に元の姿に再建されたとのことですが、意味深い話しです。
また同年に「利休にたずねよ」が映画化されたことも興味深いです。利休と天心は同じ水脈にあり、いま再びその水脈から「日本美」の見直しと発信が求められているのかと思います。
「花をのみ 待つらむ人に 山里の雪間の草の 春を見せばや」
しかし、いまの日本にこれほど強烈な個性をもつ利休や天心の後に続く者がいるのだろうか? いたとしたなら誰なのか?「日本美」の具現者をさがしその裾野を下支えしたものです。
映画は「光も美しい」「陰も美しい」「すべてが美しい」で結んでいました。しかも、その美は西洋のダイヤモンドのように外に向かってキラキラ輝くものでなく、東洋の玉の如く内に秘めた美となります。天心は絵画の彼方の「ぼかしの美」としています。
「人は己を美しくして初めて美に近づく権利が生まれる」、我々も「美しくあれ」を選択の基準にし、人生の岐路で立ち止まった時に、どちらがより美しいかで行動して行きたいものです。
「美しく生きて来た者だけが、美しく死ぬことができる」(天心)
いつもアジアに出張する時は、10日〜12日間を目処に予定を立てていますが、今回は時間がなく7日間に短縮して強行しました。7日の間に慶事が1件、ミニ忘年会が3件、法事が4件、会議を1件と詰め込み、政治家のごとくネクタイの色を取り替えての師走でした。
しかし、やはり7日間の強行は欲張りでした。不覚にも4日目の晩からひどい下痢と吐き気に襲われて寝ることができず、残り3日間は顔面蒼白のフラフラの状態で予定をすべてこなし、帰途の機上でひたすら眠り続けやっとの思いで家に戻りました。
東京砂漠を脱水ぎみで彷徨い、5キロ痩せ元気を出したくも気がこもらず、これほど不様の出張は初めての経験でした。次回に同じ事を繰り返さないため、なぜ体調を崩したのか猛反省していますm(_ _)m
上海、東京の予想外の冷え込み、3ヶ月程やめていたお酒の解禁&夜更かし、しかもマッサン・ブームでウイスキー、出張中は生の物を避けているのに刺身を食べてしまった油断、、etc. 相変わらず馬鹿したもので「白髪は知恵のしるしではありません」を、地で行ってしまった。
でも、ここからが私が人様と少し変わっているところでして、我が面目の発揮です。
これまでに3回実行した下剤を飲んでから始める「水だけの七日間断食法」と同じ症状でしたので、これをよい機会とし四日間の断食療法に臨機応変しました。経験からして粥を食べながら4日間の断食などいとも簡単でして、あとは寝られる時に寝て、起きたら窓辺から満月を眺め、捏造でない朝日を拝み、ちょっとしたミニ修行になりました。
アメリカに戻り快復軌道に乗りはじめますと、身体の中心から元気が沸々と湧き出てくる心地よい感覚に酔い(もうくせになりそう)、生命の甦りでして、しみじみ元気の「気」とは力、エネルギーであることを実感した次第。
旅寝よし 宿は師走の 夕月夜 (芭蕉)
健康に101歳まで超寿しようと主食を、白米から玄米+五穀にかえました。玄米の「玄」とは赤みがかった黒色のお米となりますが、元気の素で「元米」と称したくなります。
幼い頃は多くの家庭が大麦の入った黒ずんだご飯でした。私はそれが嫌でたまりませんでした。特に中学、高校のお昼の弁当を開けた時に、なぜか虚しさを感じて以来、ご飯は白米という憧れが刷り込みされていました。
そんなことでこれまで何度か玄米に挑戦しては、そのつど挫折を繰り返してきました。玄米食が数日続くともう不機嫌になりだし、家族の者に「健康に長生きをした私の最期の一言は、あ〜白いご飯が食べたかったになるだろう」と嫌味を言いますと、翌朝からまた白米に戻っていました。
その私が先月から完全に玄米ご飯に切りかえたのですから、大きな生活習慣の革命です。どうやら今回は継続できそうです。一つの転向の契機になったのが、カンボジアでクメール料理(たぶん宮廷料理)のフルコースを食べたことです。次々にでてきたスープ、魚、肉類料理の4皿の端に、それぞれ違った種類のお米が添えてありました。惜しくも写真を撮らずに食べてしまったが、お米のそれぞれに滋味な美味しさがありました。さすが五穀豊穣の国、五穀とはこんなに味わいのあるものかと目覚めたわけです。
そんなことでして健康の目的もありますが、先月から玄米+五穀米のご飯となりました。子供の頃からの「ご飯は白米」という刷り込みが剥がれますと、虚しさを感じなくなり毎日美味しくいただけるようになりました。
師走もたくさん水を飲み、玄米を食べてファイトです。