(朝もやの公園。11/12 7am)
日本政界は11月に入り突然に解散風が吹き荒れ、私の常套語である「常在戦場」のお株を、すっかりもって行かれてしまいました。政界は一寸先がもや、先生方が走り出し慌ただし「師走」になりそうです。
安倍首相とホスト習が握手した時の大根役者ぶり、いかに国内向けとはいえどあのこわばった顔は見るに耐えませんでした。それだけ主席が国内で追い込まれているのだと思いますが、中国風大人はどこやらで人物が小粒になりました。
オバマ大統領はまたしてガムを噛んでいて中国へ敬意がないと顰蹙をかいました。朴大統領は中国へ前のめりに歩み寄りFTA締結への媚び。締結したのは韓国だけで、急いては事を仕損じるのですが、彼女も国内で追い詰められていてその余裕なしです。もはや口だけ番長のオバマ大統領と習ホストが歓談中の隙に、プーチン大統領が習夫人を射止め肩にケープをかけてやっているシーン、何が気にいらないのか検閲にかかりCNNでも中国のサイトで消除されました。中国では夫人に好感を持たれることが第一の条件(プーチンは役者やの〜、よ〜ぅ大統領!)
権威と権力を兼ね備えた政治家など希有ですが、大統領は国の象徴として国民からそれを要求されていますので、晴れの舞台で権威と権力を具備しているかの如くにふり舞わねばならないのが辛いところです。
そこへゆくと安倍首相は政治権力だけ演じればいいので気が楽です。仮に安倍首相が権威をそこねたとしても、まだその奧に天皇の権威がおわします。しかし、APECに参加した大統領や主席がこければ権力があっても権威失墜につながり、国にバックアップのシステムがないので虚勢をはってでも権威があるかの如く演じ続けなければなりません。
天秤や 京江戸かけて 千代の春 (芭蕉)
そのような事で権威の象徴として天皇のご存在は有り難いことです。日本の文化は対極の二元で構成されていまして、古くは利休と秀吉に対比されるように、京都の天皇文化と江戸の将軍文化の二元文化になっています。今風に言えば文化的な権威と政治的な権力を明確に区別してきました。腹のたしになる「権力」に、政治、経済、社会秩序を委ねて、心のたしになる「権威」に、祭祀、詩歌、文学、絵画、建設などの精神を委ねて、京都の権威と江戸の権力を、天秤にかけ巧妙にバランスをとりながら「千代の春」をひき継いできました。民族の叡智に感嘆です。それを芭蕉は33歳の時にすでに日本文化の特質を認識して発句していたのですから、こちらにも感嘆です。
APECの役者たちを見ながらしみじみ日出づる大和国の奥深さを感じた次第。どうやら日本が天皇をいだくかぎり大統領制は不要な様です。
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