果たし得てない約束(1)

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414ZRM9556L._SL500_AA300_.jpg 三島由紀夫著「文化防衛論」(ちくま文庫)を再読したが、やはり難解でした。どうしてこう難しく書くのだろう。私が二十歳の時にどれだけこれを理解できたのか心もとなくなりました。ただ同書に収録されている三大学における学生運動家たちとのティーチ・インは、当時でもよく理解できました。特に、この文庫にも収録されている「果たし得ていない約束」の衝撃は、諳んじられるほど鮮明に記憶していて、私の人生を揺さぶり続けました。ここで三島氏は:
 「私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど『生きた』とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
 二十五年前に憎んだものは、多少形を変えはしたが、今も相変わらずしぶとく生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルス(細菌)である。
 
 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら」
 「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラル(曖昧)な、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」(昭和45年7月7日産経新聞寄稿)
 かくして三島氏が日本文化に殉死してから45年になりました。
 当時されど我らが日々と残された団塊の世代は、青春が化石となり、髪を切り濃紺の背広にネクタイをしめて、「三島が鼻をつまみながら通り過ぎた」実社会の中堅となって活躍し、やがて第一線を退き定年を迎えました。よくまぁも頑張り抜いたものです。ご苦労さまでした。

 さて、団塊の世代にやっと時間の余裕ができたら、1970年に還り「いちご白書をもう一度」です。我々団塊の世代がまだやり残してきた「果たし得ていない約束」の為に、もうひと仕事です。
 社会的貢献を終えたら、今度は文化的責務です。これまでの豊富な経験を活かして、戦後レジームと自虐史観と己自身を超克し、本来の美しい日本を取り戻して、若い世代にバトンタッチするひと仕事です。
 お楽しみはこれからです。がんばりましょう。
   この道は 行く人なしに 秋の暮れ(芭蕉)

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このページは、三休が2014年8月 2日 07:49に書いた記事です。

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