(会社の庭に咲く真夏の百日紅)
アメリカが太平洋の東側に身を伏せ、世界の警察官の役割を放棄しはじめ、太平洋の西側の空白を日本に代替えさせようとしています。アメリカ社会が変色し世界が一挙に多極化へ向かった現実を、6年前オバマが大統領になった時に気がつくべきでした。しかし、折り悪く日本は失われた20年と重なり、さらに民主党の低落による政治の混乱と東日本大震災と福島原発の災害対策に追われ、国際環境の変化に対応できませんでした。
そして、この国が多極化のなかで衰退に向かいはじめ危機的状況を呈してきました。日本が停滞し自信喪失している間に、極東アジアで中国と韓国が大きく経済成長して自信をつけ、日本が弱体化したかと見ると追い打ちをかけて反日をしかけて来ました。
大不幸中の幸いだった事は、多くの日本人が、特に若い世代が東日本大震災を日本消滅の危機と直感し「このままではいけない」と、覚醒してきたことです。天災を日本の「心災」と捉えて、どこに問題があったかを真剣に検討し、今後の方向性を模索しはじめました。
先ず出版界にその現象がはっきりと表れました。大震災以後に内容のある本が次々に出版されてきまして、戦後レジームの中で過保護的に温存されてきた知識人が時代の流れに取り残されて色あせ、著書も現実から遊離して通用しなくなってきました(いまだに最後のあがきをしていますが)。たぶん後世の人は、大震災を境にして戦後の知識人から若い知識人に世代交代したとみる事でしょう。私はこれを「百田尚樹現象」と呼んでいます。
そんなわけでして、私も大震災以後に出版された著書と日本の方向性を示唆した本を買い漁り再び乱読期に入りました。7月は「読書の夏」で10冊の買いだめ本を一気に読みました。なかでも勉強になり感動を受けたのが、馬渕睦夫著「いま本当に伝えたい感動的な日本の力」と「日本が生き残るための世界史、国難の正体」(総和社)2冊。ベン・アミー・シロニー著「ユダヤ人が歴史から読み解く日本の精神、日本の強さの秘密」と「ユダヤ人と日本人の不思議な関係」(日新報道)2冊でした。いずれもマイナーの出版社なのが気に入りませんが、これが今もなお日本の現状です。
「読書の夏」8月は二十歳の我に還り、三島由起夫著「文化防衛論」の再読から入いろうと思います。夏が猛暑なら私も猛書。
8月もよい月にして行きましょう。
2014年7月アーカイブ
今朝、通勤の車の中で無意識に鼻歌を唄っていて、ふと我に還り、あれ、これなんの歌だっけなと思ったら「若い力」だった。刷り込みは恐いね、、完璧に歌えました。この完璧さに、いよいよ「燃えよ若人」も惚け始めかなと、かえって心配になってきました。でもいい歌です。
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若い力と感激に 馨る英気と純情に
燃えよ若人胸を張れ 瞳明るいスポーツマン
歓喜あふれるユニホーム 僕の喜び君のもの
肩にひとひら花が散る 上がる凱歌に虹がたつ
花も輝け希望に満ち 情け身にしみむ熱こそ命
競え青春強きもの 競え青春強きもの
(佐伯孝夫作詞 1947年)
もし「君の喜び僕のもの」なら満点です。「肩にひとひら花が散る」、「情け身に染む熱こそ命」、「上がる仁義に虹がたつ」、こりゃ〜任侠もんです。
3月に239人を乗せたフライトが失踪しいまだに発見されぬままなのに、今度は298人を乗せたフライトがウクライナの東部上空で撃墜されてしまった。3月の失踪は謎のまま迷宮入り、おそらく今回も双方の非難合戦と責任のなすり合いだけで封印され、一時の悲劇で終わってしまうのだろう。犠牲者の無念を思うといたたまれない気持ちです。
心より哀悼の意を表します。合掌。
それにしてもですが、他の航空会社が内戦中のウクライナの上空を避けて、南寄りルートで迂回して飛んでいたのに何故そうしなかったのだろう。マレーシア航空は3月の失踪で経営危機にあり、経費削減で最短距離を飛行したのだと思うが、如何なる理由があれ高度1万メートルの上空を飛んでいる民間機を、地対空ミサイルで撃墜するなど許されることでない(正しい者に味方する、僕らのハリマオはいないものか)。
数年前になりますが、中国の瀋陽から成田空港へ帰る時、日本の航空会社がこの区間を飛んでないので、中国の飛行機を利用したことがありました。そうしますと機内のモニターで飛行線を見ますとなんと北朝鮮の上空を飛んでいました。思わず窓から雲海を見下ろし、もしこの雲の中から突如ミサイルが飛んできたらと思うと緊張しました。同時になぜ日本の飛行機が飛んでないのか了解し、また中国の飛行機が北朝鮮の上空を飛んでいる間は、朝鮮半島に有事はないだろうと考えました。しかしそれ以来、瀋陽に行く時は大連か上海を経由して行くことにしています。海外での自己責任の危機管理です。
前回フィリピン航空でマニラから上海へ飛行した時、最短距離の台湾海峡の上空を直に北上するのかと思いましたら、意外やアレレの空路を飛んでいました。空路については書きませんが国際政治の本音の裏街道でした。上空に民間機が飛ぶ地域はとりあえず安全と見てよい様です。来月はハノイを予定していますが、さてどのコースを飛ぶのだろうか。


南沙諸島と石油掘削リグ装置
ヨーロッパは地理的に日本から遠いこともあり、我々には各国の民族性や多様性がよくわかりません。特に欧州連合(European Union)が発足してからは、単一の欧州として一緒くたんのEUという幻想を抱いてきました。しかし、EUのUnion は「連合」でなく「同盟」と訳した方がより現実に近いかと思います。つまりEUは政治経済の「一体性」ですが、伝統文化に関しては「多様性」となります。文化を一体化にするなど所詮無理な話しです。
W杯を観戦しながらふと考えたのですが、日本の戦前と戦後の指導者や知識人との大きな違いは、戦前は西洋文化の知性を基盤とし、戦後は西洋文化を継木した欧米文化をアメリカナイズしてきたことです。日本の近代化は、戦前は西洋化であり、戦後はアメリカ化でした。俗に言ってしまえば英語から米語へ推移し、サッカー文化と野球文化の違いです。どちらがよいという選択の問題でありませんが、全世界が多極化に向かい、政治や経済力だけでなく文化力が重要になっているこの時期に、しばらく置き去りにしてきた西洋文化の知性を復習してみたらどうかと考えました。日本が脱東亜して太平洋に開かれた文化国家を創造してゆく際に、西洋近代文化の叡智からたくさんのインスピレーションを得られるかと思います。
欧州のメデアがドイツ対ブラジル戦を文明的に取り上げていました。人様の想像することに差異がないようで、ドイツの底力に背筋を寒くしたのは私だけでなかったようです。
英Financial Timesの落ち着いた論評が、興味深いので長くなりますが整理していくつか拾ってみました;
ドイツは過去4回W杯で優勝していて、それらがいつも時代の節目を象徴してきました。
*1954年の優勝:先の敗戦と不名誉を味わったドイツ国民が誇りと救いを得ることができた。
*1974年に優勝:西ドイツがすでに経済の奇跡を成し遂げ、世界屈指の先進国としての地位を取り戻していた。
*1990年の優勝;ベルリンの壁が崩壊した数カ月後に達成された。
*2014年の優勝:この5年間で欧州の政治リーダーとして再び頭角を現していた。
「メルケル政権が南欧諸国に経済緊縮策を強要したことで、傲慢で無慈悲なドイツ人という昔のイメージが復活している。実際W杯で最も優勝してほしくない国はどこかという質問に対し、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、オランダ、イングランドでは『ドイツ』という答えが1番目か2番目に多かった」。しかし、
「今回のドイツチームは、見事な才能とスポーツマンシップで称賛を受けている。またW杯大会でドイツを代表してきたチームの中で最も文化的に多様なチームでもある。これはドイツ社会がますます開かれたものになっていることの反映だろう。特に重要なのは、このチームが巧みに設計された機械のように、すべての部品が見事に調和しながら動いているように見えることだ」。
「確かに英国とフランスは核兵器を保有しているかもしれないし、国連安全保障理事会の常任理事国かもしれない。しかし、ユーロ危機を経てドイツはEUの押しも押されもせぬリーダーとなっている。パリが美しい美術館のような雰囲気を保ち、ローマがぼろぼろと崩れ、ロンドンが高すぎる生活費と混雑に悩まされる中、ベルリンはかっこいい都市として台頭している」。
「トロツキーが戦争について残した言葉をもじって言うなら、現代ドイツは力に関心がないかもしれないが、力はドイツに関心を持っている。このため、ドイツの力がまだ感じられていない世界の国々ではドイツのイメージは全体的に良好だが、周辺の欧州諸国では、ユーロ危機を経て劇的に悪化している」。
W杯を契機にふと気がついたことですが、私たちここ数十年、欧州連合(EU)という政治・経済的な見方にとらわれて、西洋という文明・文化的な側面をおざなりにしてきてしまってたようです。 (続)
「サッカーは非常にシンプルなゲームだ。22人で90分間ボールを追いかけるだけ。そして最後に勝つのはいつもドイツ人だ」(ゲーリー・リネカー)を、そのまま地で行く優勝だった。
なんと言いましても今回のハイライトは準決勝ドイツ対ブラジル戦でした。結果は7対1でブラジルの「奇跡的」な大敗北でしたが、試合前に誰がサッカー王国の崩壊を想像したでしょうか。
ブラジルの雑草サッカーとドイツの機能化されたサッカーの差がもろに出ました。ドイツが11分に1ゴール、23分に2点目が入いると、ブラジル選手がパニックおちいった6分間にさらに3点追加され放心状態になってしまいました。
ブラジルのサポーターは、予想外の悪夢の展開に声援から悲鳴に、そしてため息から涙へ、最後はブーイングへ変わって行きました。ドイツチームはスタジアムを埋め尽くしたサポーターの大声援を、前半30分で完全に黙らせてしまった。
ブラジルの雑草の寄せ集め弱国とドイツの機能的に組織された強国の差を象徴するかの試合で、ブラジルはドイツの戦車部隊にサッカー王国のプライドと夢を、ズタズタに引き裂かれてしまい、もう痛々しくて見ていられませんでした。
それにしても武士は相身互いでして、開催国ブラジルのサポーターを前にしてあそこまでやることもない。後味が悪く勝ち過ぎても敗者です。ドイツは3点を入れて早くも勝敗が決まった時点で(決勝戦に備え)スローダウンすればよいのに、足心を加えずに徹底するのがドイツ人気質でもあり、だから彼らは周りから嫌われもするわけです。私は4点が入った時点で、チームに強さを感じるよりも背筋に寒さを覚えました。おそらくユダヤ人も何かを回想して震えたのではないかと思う。翌日ユダヤ系アメリカの友人にドイツチームの強さを話したら、聞き取れないふりして無視されました(野暮な話しをしたものです)。
これでまたブラジルで反政府運動のデモがはじまるでしょう。中国の習近平主席は大のサッカーフアンとのことで、彼の希望日程で15日からブブラジルで新興5カ国(BRICS)の首脳会議となっています。彼はブラジルがW杯で優勝して最もナショナリズムが高揚した時に乗り込んで会談する思惑でしたが、あいにくな事にブラジルが歴史的な屈辱を受けて最も意気消沈している時になってしまい、彼もオフサイドでついていませんね。
W杯でドイツがチャンピョンなら、日本はサポーターのマナーでチャンピョンとのことです。どちらも誇るべきチャンピヨンでして、まぁそれぞれの代表チームに色々なお国柄がでていまして面白いW杯でした。
これから書き進めることは、あくまでも私の人間観察からくる独断です。まずそれをお断りしておきます。
私は個人的に朴クネ大統領を嫌いでありません。もっともマザコンの私は女性の不幸を見過ごせない質でして、彼女の寂しそうな孤独な陰影に弱いわけです。それに彼女には不幸がついてまわっています。
1974年に朴正煕大統領(父)を狙った暗殺者の流れ弾で母親が死亡。1979年に父が最も信頼してきた側近に暗殺され、彼女は政治の暗部と地獄を二度も見てきました。彼女の心にどれほど深い傷痕になったか想像を絶します。大きなトラウマです。その彼女が精神的な傷痕を克服し地獄から這い出て大統領に登り詰めたわけですから、私は彼女に大きな期待をもって歓迎しました。
彼女自身はけして反日でないことを、安倍首相は1対1の非公式会談を2度した後に、「やはり彼女は反日でなかった」と実感しています。いや、政治の闇を見た者同志で通じるものもあったかと思います。彼女はたぶん反日というよりニヒルな反政治悪なのかと思います。
父が暗殺された時の彼女の第一声は、混乱に乗じて北朝鮮が攻めて来ることを懸念して「休戦線はだいじょうぶか」だったと言いますから、筋金入りの大統領の愛娘です。これほどに覚悟のできた女性ですから、暗殺者の背後に蠢く闇の組織を知り、父の霊前で密かに報復を誓ったのではないかと推理します。ファザコンの彼女なら当然の感情でして、私がこの時点で彼女は心を閉じ、思考が凍結したとする所以です。
そこから彼女の一連の外交が見えてきます、テロに対する執念、中国への異常接近(ニアミス)、反日外交を通してその奧のみえない組織に挑戦、そしてその組織になびく安倍首相(日本)に我慢がならないのだと思う。「青瓦台の仇は紫禁城で」すが、こうした感情は「私憤」であり「公」でなく、「私」のために「公」を犠牲にしては国民がたまりません。これは大統領になる前に超えねばならない課題でしたが、儒教の世界では親の仇討ちは大いに肯定されてきました。
国際政治とは冷酷そのもので、安倍首相もそれを承知の上で演じていますが、彼女には無理なことなのでしょう。ただ、もし、見えない組織が彼女のこうした挑戦を脅威の芽と捉えたら、今度は彼女が危険にさらされます。その時に中国は彼女を切り捨てるでしょうが、日本はこれ以上彼女を戦後レジームにふりまわされた悲劇の主人公にさせないために守ってあげるべきです。遠くの親戚より近くのマザコンです。
朴ク恵大統領は任期を3年半余り残しながら早くも戦後最低の大統領の烙印を捺されました(私の烙印ですが)。一国のリーダーたるものは国民の眼差しを前に向けさせるべきなのに、彼女は過去に向けさせそこに怨念の恨を吹き込みました。もうこれだけでリーダー失格です。彼女の思考は1979年に父親が暗殺された時点で凍結してしまったかのようです。最低と最低の間で安倍首相の心労いかばかりなものかと察するに余りある。
外交問題はそう難しく考えなくも、身近な人間関係から推し量ってもそう見当外れでもありません。人間に感情があるように民族にもそれを集合させた感情があり、それが人間関係にまた国際関係に影響をあたえるからです。ただ感情だけでもいけませんので、それを統御する理性や政治があるわけです。
ただ昨今の韓国の反日感情は、憎悪むき出しで理性を失っています。なぜ政治の優先課題を70数年前の怨念に集中するのか訳がわかりませんが、およそ感情で争うことくらい醜いものもありませんし、120%建設的でありません。心理学から見ましても「人を呪わば穴二つ」で、人を批判すれば必ず我が身に還ってくるものです。怨念の行き着く先は破壊でしかなく、愛こそが建設を生むものです。これは人間関係しても政治外交でも同じことで、リーダーに必要な資質になりますが、まことに残念ですが朴ク恵女史にそれを求めてもだめなようです(結論)。
ここまで日韓関係がもつれたら相手の狂気を削ぐためにも放っておいた方がいいようです。個人的なお付き合いはそのままにしても、国としては距離をおくことです。同水準の感情レベルで言い争いして我が身を貶めるより、しばらくお隣さんとはお付き合いしないことです。無視すればさらに騒ぐと思いますが、この性格いまさら治るものでありませんから距離をおき近親憎悪を避けることです。近所によくいるウルサイばあさんだと思って相手にしないことです。それにお隣もこちらと付き合う気もないのでちょうどいいです。もちろん政治家や外務官には事実にそって理性的に対処してもらいたいですが、それ以上のものでありません。
宇宙的時間で地球の表面に刷り込みされてきた地政学からみましても半島国家は大陸国家と海洋国家の狭間でいつも強い国へと揺れ動きながら生き残ってきました。韓国はいま安全保障は軍事大国のアメリカに委ね、お金儲けは(幻想の)経済大国の中国へ寄り添っています。そしてなぜそうするかの弁明はすべて日本が悪いからと反日です。危ない綱渡り外交と思うのですが、理想の三股外交だと開き直って得意になっています。が、歴史は無慈悲なもので三股外交した小国は、三国から信を得ずつねに消滅(属国化)となっています。
まぁ、当面は脱東亜してお隣とのお付き合いを控えて、ベランダからお手並み拝見です。 (続)
いま私の机の上に中国製のスマートフォンが置いてあります。5月に会社の者がこのメーカーへ商品企画するために持ち帰ってきたサンプルです。サムソンのスマホと同じ見栄えのするよくできた商品でした。
私はこれを手にした時、(こりゃもう勝負ありだ)サムソンの凋落を直感しました。それを象徴するかのようにサムソンの会長が心筋梗塞で倒れてから2ヶ月が過ぎても入院中です。企業経営も今期決算でスマホが10%の落ち込み減収減益となりました。しかも、これは始ったばかりで、サムソンの落ち込みはそのまま中国製の躍進と比例しています。中国政府は同格の商品ならば、国営企業を優先させるのが国策ですから圧倒的にサムソンの不利になります。ソチ冬季五輪の開会式で中国選手が入場した際、列席した習近平主席夫人が中国製のスマホで写真を撮っていたのは、国産へのGoサインでした。
その上、スマホの世界市場はすでに飽和化してきまして、機種に内蔵するソフトと企画部品が同じならば、後は価格の競争だけとなります。また、たとえ価格競争に打ち勝ったとしても減益減収は止まりません。「この道はいつか来た道」で、かつてサムソンが日本メーカーの技術を借用し(パクリ)、価格競争に打ち勝ち世界市場に君臨した道を、いま中国勢が踏襲し始めました。
まぁどうなろうと、「あっしにゃ関わりのねぇことでござんす」が、潜在する問題はサムソングループの総売り上げが、韓国総生産(GDP)の30%を超えている事と、株主の54%が外資系資本という状況です。サムソンの凋落はそのまま韓国経済を直撃し、外資系株主は利益を吸い上げたあげくに儲からなくなれば資金を引き上げます。そして、そこに残るのは不景気と失業問題という殺伐とした「寒ム村」です。
韓国は中国に「どうぞお手やわらかに」と、すがる思いでさらにすり寄るでしょうが、今の中国にはその余裕はありません。それに中国人は腹の底では韓国人を東夷の田舎者「小子」(儒教でいう小人)と軽蔑してますので、利用するだけで端から相手にしていません。私は中国人が韓国人を「小子」と吐き捨てる場面を何度も目撃しています。
一方、半島気質の韓国人も中国人を信用していません。韓国はこのままでは中国に呑み込まれる危機に直面しているのに、なぜ伝統ある韓国の学生運動が、自国の稚拙な外交に対して反対運動に立ちあがらないのか不思議なくらいです。
私はサムソンの凋落を機に、じき「Some soon」に火の手が上がるとみています。民主化された韓国の民度に微かでも希望を持ちたいものです。(続)

前回ですと私がお線香をもって参拝している人にカメラを向けただけで、突然どこからか公安警察らしき私服の男が現われ、カメラをさえぎるようにして「お前は韓国人か?」と誘導尋問してきました。日本人と承知の上でわざと間違えるところに公安のプロを感じました。恐らく私が境内に入った時からマークしていたのだと推察します。私は黙秘しようと思いましたが、少し意地になって「日本人だが、なにか?」と返しますと「小泉首相(当時)の靖国参拝をどう思うのか?」ときました。いきなり失礼な男だなと思い相手を睨みながら、「日本人は死者を祀るのは当然の慣わしだ」と言いますと、聞くともなくす〜と何処へ消えて行きました。明らかに私に対する牽制でした。
そんな事を思い出しながら境内を巡ってましたら、たくさんの参拝者のなかに、上にある写真のように数人の若者が教典を持って跪いて堂々と経を唱えていました。彼らの姿は現世利益よりも魂の救済を唱えていたようでした。この様変わりに中国も変色してきたなと正直おどろきました。もちろんここまでは体制の許容範囲内で、これが組織化したら規制されると思いますが、変化を感じました。
いま中国では仏教徒だけでなくキリスト教徒が急増してまして、政府の管理下で公式に認めている教徒と地下教会の信者を含めると1億人を越えているそうです。政府は急増に神経を尖らせ、先日も淅江省に新築された教会が、違法建築を理由にして取り壊されました。政府は宗教への取締を強化し、もし体制の脅威になれば弾圧するのですが、現在ここら辺りまでが民衆のガス抜き黙認範囲なのでしょう。それでも大きな変化です(まったく今時ね〜)。
人間は政治や経済だけでは救われず、自力を越えた宗教感情、心の寄りどころを必要としているのかと思います。遺伝子に刷り込みされているのかも知れません。ソ連邦が無神論の政権下で70年間にわたり宗教をアヘンとして禁止してきたにもかかわらず、地下でしぶとく生き続け崩壊後にはロシア正教がすぐに息を吹き返しています。政治力では人の心まで統制できるものでありません。


フィリピンは台湾のすぐ南に位置しているのに何故か縁がなく、私にとり48番目の訪問国になってしまいました。
私はビジネスで外国を訪問しているのですが、その国の経済力よりも文化力のソフトパワーの方により興味が引かれてしまいます。これまでの訪問国で世界最貧国のブータンに最も魅せられた所以でもあります。
まぁビジネスマンとしては失格なのでしょうが、今回は2日間に2カ所の工業地区、日系4工場視察という事ですっかり経済に徹しました。日系工場の視察目的は中国生産リスクを回避して生産拠点をチャイナ+ワン(China + 1)の方向になっています。その+ワンのフィリピンの発展状況の視察でした。フィリピンはここ数年アジアの成長が少々スローダウンしているなかで単独で高度成長を続けています。
結論から先に述べますと、日系企業は私が想像していたよりもしたたかな底力と機敏さで躍動していたことに敬服しました。わずか2〜3年の間に、先ず大手商社によって大きな工業加工区が企画され、水力、電力等のインフラを設備して日本企業に誘致分譲し、すでに新しい工業区に日系の工場が32社ほど進出していました。区内には日本料理店まで開店しお昼の弁当まで配達していました。
E社は1年半前から1万2千人の従業員の生産体制で稼働し、その下請け工場も進出していました。大手のB社、F社も新築工場が来月から生産体制になってました。E社の隣りには自社とも長い付き合いのある台湾系のK社も建設中で、従業員1万人を募集して日本のCAメーカー向けに出荷となっています。来年には大手のC社とN社も進出するようです(企業機密なので社名は英語の頭文字のみ)。
今の中国に比べ人件費が4分の1(月2万円)、しかも公用語が英語で、97%がカソリック教徒、親日の海洋国家、人口1億人余で見事なピラミッド状で若年層の労働人口構成になっているので実に良い生産環境です。雇用1万人の人件費が4分1になるだけでも大きな違いです。こうした生産環境の基でこの先10年は高度成長を続けて行くと思います(私は20年続くと見てます)。逆になぜ今までフィリピンに進出しなかったのか不思議なくらいです。
日本で今期総合売り上げ1兆円企業になったE社のフィリピン社長は「フィリピンはこれまで置き残されたままの島でしたが、アジアの生産環境をいろいろ消去法で詰めて行きましたらフィリピンに行き着きました。当分はアジアの生産の重要拠点になって行くと思います」と言ってました。フィリピンから中国へ輸出が始まるのもそう遠くありません。経済は政治より一歩も二歩も先を行っています。
「この道はいつか来た道」すでにチャイナ+ワン、いや、ワン+チャイナの体制がアジアの各地域で完成しつつあります。中国の高度成長の終りはフィリピン高度成長の始まりでした。フィリピンの指導者は中国が侵攻して来る前にいち早く日本に来てもらいたい意向のようでした。物つくり大国・日本の底力を覗いた思いでした。中国よ奢ること勿れ。
さて、日本は集団的自衛権行使容認に継いで、次は太平洋に大きく開かれた海洋国家として脱東亜(中韓の反日が鎮まるまで)となります。奇しくも安倍首相は今日オセアニア海洋諸国を歴訪中となっています。

6月21日午後1時、成田空港からふる里の富岡小学校の体育館に直行し、大きな電光掲示版の前でカタールから送られて来る、富岡製糸場世界遺産登録決定のニュースを待ち望み、午後4時55分に決定の木槌が打ち鳴り一斉に万歳三唱でした(読売新聞の社会面に日の丸の扇子で万歳している私の姿もちょっぴり)。6時から小雨のなか六千人の市民ともに富岡製糸場まで祝賀パレードし、そこでまた万歳三唱。私は駅前組(上の写真)として参列し48年ぶりに富岡一市民を楽しみました。子供連れが多く母親が歩きながら小さな娘に「この日をよく憶えておくのよ。そしてあんたがおばあちゃんになった時に話してあげるのよ」と市民が歴史的イベントに酔いしれていたのが印象的でした。
25日早朝5時、W杯、日本vsコロンビア戦をホテルで観戦。99%リーグ戦敗退とわかっていながらも劇的な1%の奇跡を願っての応援でした。日本が1対2とまずまず善戦していた場面で、フィリピン往きフライトの時間がきてしまい、慌てて京成スカイライナーに飛び乗りました。成田のJALカウンターでその後の結果を聞きましたら、日本チームは総崩れして1対4の敗退でした(観戦してなくてよかったーー#)。歴然とした力量の差、またしてもメディアが作り上げてきたヒーローの虚像は、世界レベルのド厚い壁に歯もたたなかった。ローカルな小山の大将を露呈。ともあれ彼らの4年間の奮闘努力、誠にお疲れ様でした。
7月1日正午、上海から成田に向かう機上で、集団的自衛権行使容認が閣議決定の歴史的なニュースでした。日本が本来の日本を実現して、自国のアイデンティティを世界史のなかで実践する節目を迎えました。
早速、この日を希い願ってきた恩師の御霊に花を贈り、報告をすませて成田を後にしました。
今回は実にタイミングのよい充実した日本出張でした。