戦後の原罪意識を超えて

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517KsCQ1jPL._SL500_AA300_.jpg 敗戦後の日本は、東京裁判で戦犯となり「明日への遺言」から始まりました。
 特攻隊は、お国の為、家族の為、愛する人の為に「後ニ続ク者在ル信ジ」て散華して逝ったのですから、戦後の我々は「後に続く者」であらねばなりませんでした。しかし、戦後はその裏切りから出発しました。敗戦の反動としての自虐史観、「特攻隊は犬死にだ」、「国民は騙されたのだ」、「日本がすべて悪かった」、「過ちは繰り返しませぬから」という、日本も戦死者も犬死に扱いの風潮がみなぎりました。
 そして、多くの国民やマスコミは、己の裏切りという原罪意識を隠すために、つねに日本を否定し続け、四つの島に閉じこもり虚無の意思を呈して行きました。「敵が攻めて来たら逃げる」という卑怯で甘ったれた「一国平和主義」の偽善社会に陥り、目標も意思もなくただアメリカの顔色をうかがいながら、従順にぐずぐずと追従して行くだけのひよわな国になりました。
 三島由紀夫はこんな偽善に満ちた風潮に耐えられず原罪意識の十字架を背負って逝きました。
しかし、日本は裏切りの原罪意識さえも風化させて「昭和」は歴史になりました。
 日本が四つの島に閉じこもっている間に、国際社会はソ連邦の崩壊で冷戦二極構造が終焉し、世界はアメリカ一国覇権構造となりました。がそれもリーマン・ショックの金融破綻を契機に一極覇権構造に綻びが生じ、世界各国に自国本位の閉ざされたナショナリズムが台頭し
多極化を呈してきました。極東アジアにおける緊張関係もこの線上に在ります。アメリカも国防予算の激減で「無い袖はふれず」世界の警察官たることを放棄して本国に引き上げつつあります。
 こうした激変した多極化する世界のなかで、日本はこれまでの戦後体制では対応しきれなくなりました。が、幸いな事にもここにきて戦後の原罪意識をもたない若い世代が、このままでは日本は滅びてしまうという危機を直感し、鬱積した戦後レジームを超えて積極的に世界の文明にかかわろうとする開かれたナショナリズムが芽生えてきました。本来の日本を取り戻そうとする平成維新の意識に目醒めてきました。民族に潜在するDNAのなせる仕業なのか、無意識にも「後ニ続ク者」として立ち上がってきました。

 我々も彼らの明日に、三島由紀夫が祈望した「美しい日本」のルネサンスを夢見たく思う。
  

  「山路きて なにやらゆかし すみれ草」(芭蕉)

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このページは、三休が2014年6月19日 00:06に書いた記事です。

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