フィギュアスケートの世界選手権でソチ冬季五輪で何かが吹っ切れた浅田真央選手が予想通り自己最高得点で優勝し、ソチで6位の雪辱を果たしました。さいたまスーパーアリーナは彼女のために用意された凱旋舞台のようでした。おめでとう!
ソチでのショートプログラムで転倒し、まさかの13位の時に何とした事かとショックを受けた晩、福岡の知人から真央選手を激励するメール「アナと雪の女王」の主題歌"Let it GO" (私の道を行く)の画像が送られてきました。
https://www.youtube.com/watch?v=AoUxjQOQW7A
しかも、ソチの冬季五輪に合わせかのように25カ国語のリレー式クリップでも歌われ、日本語は「ありのままの姿みせるのよ〜」でした。
https://www.youtube.com/watch?v=6Qk5Fc1Vdqk
いや〜実に出来過ぎた主題歌で、あの時の真央選手の心境そのまま(推測)で、彼女のための応援歌のようでした。
この絶妙なタイミングにメールをくれる知人の抜群のセンスに感心してしまった。翌日はこの歌の通りフリーで不死鳥の如く見事に復活しました。真央選手がいつもドラマになる由縁です。この歌をバックにした彼女のイグジビションを見てみたいものです。
4月のJAL機上で「アナと雪の女王」が上映されることを期待し楽しみにしています。
もういい加減で「終わっていいとも!」で、これですっきり、みなさまも桜咲く4月の春をお楽しみください。
2014年3月アーカイブ
そしてまもなく小保方論文に不適切なデータの処理、加工、流用、文章の剽窃などが指摘されまして研究内容自体に疑惑が集中しました。科学を志向する者にとりこうした批評や疑惑はつきものでして、それには更なる研究と実証で応えてゆかねばならないのが宿命です。
しかし、これに対しての卑劣な誹謗中傷はなんともいただけません。偽ベートンベンと同列に置いたり、愛人スキャンダル、さらには大人AKB歌手デビュー(朝日デジタル)、あの割烹着までがやらせだったという始末です。これでは日夜まじめに研鑽している科学者に対して尊厳のかけらもありません。長いスパンで研究している科学者に対して今の時点だけで叩くのはフェアでないし寛容がなさ過ぎます。こんな事で若者の芽を叩き潰していたら明日の日本はない。
私はこれまで一貫して「Not Who is right, What is right.(誰が正しいかでなく、何が正しいか)」を、経営の心得としてきましたが、彼女に対してもそうありたいと考えています。
私のド素人な直感ですが、私は体内の細胞に刺激(息吹き)を与えて細胞を活性化させることを毎日やっていますので、生体組織を分化できる多能性細胞理論がすんなり受け入れられました。ただ細胞を作製するのは神の領域でして、神の手によるものでないのかと愚考しています。割烹着の小保方博士が神の手を借りて作製に成功したことが、他者の手でも作製に成功するとは限りません。では彼女にできて(もしそれが真実ならば)他者にできないのは、神の手による息吹の有無にあるかと思います。しかし今の段階ではそれを実証する事はできないと思います。なぜならそれはすでに科学の領域を越えた神の領域だからです。彼女が言われるように神の手の実証には50年から百年を待たねばならないかも知れません。我々は真理に対してもっと謙虚でありたいものです。
果たして小保方論文は「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄した」ものなのか、現段階では「それでも地球は回っている」となります。
彼女を低い次元で叩くのでなく、実証を見守って行きたいものです。
茶花ムクゲの謎
今時なんでこれ程までにと思える韓国の反日運動の高揚も、オランダでの首脳会談でひとまず山場を越えたかなと思う。彼らの文化独立運動かと思うが、よくもまぁ〜でして距離を置きたい隣国です。
帰りの機上で邦画「利休にたずねよ」を観賞しましたがいい映画でした。利休が19歳の時に高麗(英語訳ではコーリア) 貴族の女と駆け落ち心中するまでの熱い恋物語は実に佳境でした。隣国が反日に燃え上がる時期にも拘らず、この映画を作るメンタルな水準、それを許容する観
客、そして原作に直木賞、日本映画アカデミー賞まで与えるとは、なんと民度の高いことかと母国を誇りに思ってしまう。天才バカボンもきっと「これで〜いいニダ」と叫ぶことだろう。
学生の頃にアメリカ映画「風とともに去りぬ」を観た時、日本が鬼畜米英を叫んでいた戦時中に、敵国はこれほど内容の深い映画を制作していたのかと、メンタルな余裕に「これでは戦争に負けるはずだ」と心底打ちのめされた事を思いだしました。もし、いま韓国で「利休にたずね
よ」が上映されたとしたら、両国の雪解けにいいと思うのだが、隣人は日本の美意識に心打たれるのか、それとも彼らには永遠に理解できないのか、利休にたずねてみたいところです。
「頭を下げて守れるものもあれば、
頭を下げる故に守れないものもある」(利休)
寅次郎国際編、「ほら、見なよあの雲が誘うのよ、ただそれだけのことよ」。さぁ、明日はからっと晴れた日曜日だぞ。
「あ〜生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろう。そのために生きてんじゃねえか」
北京市は今日も深刻な大気汚染で危険最高レベルのようです。今年に入って基準を越えた日が6割というのですからたまったものでありません。これで平均寿命が5.6才短くなったもむべなるかなです。
3月18日、関東地方は昨年より17日遅く春一番が吹き、その強風に揺れながら成田空港から上海浦東空港へ飛びました。東シナ海の上空で上海に近づくにつれだんだん大気の汚れが濃くなり、汚れた大気を見下ろし、やがてその中へ、着陸と同時に大気汚染が水平になりました。
この日上海は春一番の強風の影響で、今年最悪の大気汚染となっていました。これまでタクシー運転手は決まり文句のように「霧です」と答えていましたが、今回はさすがに「大気汚染で今年最高基準を越えた、マスクしても役にたたん」と答えていました。最近の洗脳された決まり文句は「かつてイギリスも大気汚染がひどかったが30年で解決した」です。冗談じゃないこれで先進国入りとでも言うのか。おかげで浦東空港からホテルに行くまでに私の喉も霞んでしまった(上の写真は浦東から市内のホテルに向かう高速道路から)。
今回は彼らの大気汚染対策を発見しました。彼らは会議中におちょこサイズの茶碗で絶え間なくお茶を飲んでいました。お茶での浄化です。なるほどなと観察してきましたが、ではそのお茶葉と水は大丈夫なのだろうかと考え込んでしまった。早期に大気、水、食材の汚染をなんとかしないことには、、、
今回会った知人の二人もよく咳をしていました。風邪だというがどうかなです。私も大気汚染のせいとは言いたくありませんが喉をやられてしまい、今日になっても咳き込んでいまして、時差の中で水飲み療法しています(6_6)。
合 掌
東日本大震災の惨事から3年になりました。
復興の現状はまだ「道半ば」といいますから
あと3年ということです。
一日も早い復興を祈っています。
再拝
日本との時差は13時間。アメリカの夏時間は数年前から2週間繰り上がりましたが、EUはこれまで通り3月の最終日曜日となっています。夏時間はやはりお彼岸が明けてからの方がいい。
お彼岸(悲願)とは言いえて妙でして、仏教の教えで「此岸」はこちらの煩悩と迷いの世界で、「彼岸」はあちらの悟りの世界となります。その境界がいま若者の間で話題のパワー・スポットといわれる磁場なのかと思います。
私にもこれまでに私の人生を大きくワープ(瞬間移動)させた二つの磁場がありました。一つは千曲川を見下ろす小諸懐古園の見晴らし台、もう一つは上の写真に在る大学キャンパスのあずまや(ガゼボ)でした。
19歳になる3月に台湾旅行へ出かけてこの大学の宿舎に3週間お世話になりました。そしてちょうどお彼岸の日にこのあずまやに立ち「大学を卒業したらここの研究所に留学しよう」と決意しました。その時ここに留学しこのベンチに座って本を読んでいる自分の姿がありありと想い浮かび体がふるえ鳥肌がたちました。たぶん "Back to the future" でタイムスリップして彼岸に行ったのかと思います。
果たせるかな3年10ヶ月後に、この大学に留学し、実際にこの場所に立っている自分の姿を発見した時に、同じように体がふるへ鳥肌がたちました。彼岸から此岸へのワープとしか考えられませんでした。実に不思議な体験でしたが、私はこの時「感謝を持って未来を先取りする」という "back to the future" のテクニックを習得したかと思います。
先月このキャンパスを尋ねて写真を撮ってきましたが、あずまやの前に「B.C.類停車区(紀元前車種の駐車区)」という赤字の立て札を見て思わず苦笑してしまった。前のブログで私が電気自動車をドライブしている可視化も "back to the future" なのかも知れません。
さて、今年もお彼岸にお袋のお墓まいりしてきます。
人生には時おり未来にタッチする瞬間があります。未来というドアーのノブに手が触れた瞬間です。アマゾン.comにアクセスした時もそうでしたが、指先でアップル社のiPhoneの画面にタッチした時には、今から未来を触るという感動で手が震えました。
私はアップル社がまだガレージ生産だった1976年の頃に、友人が日本の半導体をセールスしていたので認知してましたが、まさかここまで世界に産業革命を引き起こす会社になるとは想像できませんでした。スティーブ・ジョブスは産業革命家として歴史に名を刻まれました。
1980年代に誰もが簡単に操作できるマッキントシュが出現し、私もコンピューターの世界に入りましたが、この時もこれから未来が始まると感じたものでした。猿にでもできそうなあまりにも簡単な操作に、ここまでユーザーを馬鹿にしなくてもいいではないかと腹が立つ思いでしたが、それ以来アップル社の大フアンとなり、モデルが代わるたびに我先にと購入してきました。我が社は従業員よりアップル・コンピューターの台数が多い状況となってます。私自身もiMacとPowerBook、iPadとiPhoneに囲まれて、一日がリンゴに始まりリンゴで終わる生活をしています。長いリンゴ漬けでリンゴ酢の臭いがしてくるかのようです。
そのスティーブ・ジョブスが早世し、いったい次は誰が未来の物創りを引き継いで行くのだろうか。アマゾンのジェフ・べゾスは流通革命をしていますが、産業革命まで行かないだろうと予測します。では誰が、
先週テスラ電気自動車のショールームへ行ってきました。テスラはアマゾンのキンドル電子書籍の端末機を立ち上げに参加したマーチン・エバーハードたちが創業した会社です。テスラ電気自動車はコンピューターのコンセプトから創り上げた車で、これまでのエンジンを不要としています。まさに走るコンピューターで、カーロボットとも言えます。これは方向性としてスマホの次の産業革命になるかと思います。セールスマンの説明を聞きながら、またして未来の扉のノブに触れた感動で鳥肌がたちました。今すぐにではないですが、エンジン車を二台乗り換えた6年後に電気自動車をドライブしている自分の姿を視覚化しました。たぶんそうなると思います。テスラは第二のアップル社の可能性を秘めていました。
果たしてこの未来に既存の自動車メーカーは生き残れるのだろうか。アップル社やアマゾン社を始めこのテスラ社のような狩猟民族的なマーケット戦略に対して、農耕民族的な物創りを得意とする日本メーカーはどう太刀打ちして行くのだろうか。「日本産業の興亡この一戦にあり」というところか。テスラ車のヘッドライトは、人を襲う猛獣のような鋭い目をしています。
2020オリンピックの年に、私はいったいどこのメーカーの電気自動車をドライブしているのだろうか、未来は緊張とワクワクした興奮に満ち満ちています。
「ジェフ・ベゾス果てなき野望」ーアマゾンを創った無敵の奇才経営者ー、世界最大のインターネット通販会社アマゾンの創業20年史ですが、実に面白く参考になりました。まだ呼吸していて歴史にもなっていないインターネットの現在進行形の物語は、現在史とでもいうのでしょうか。
私もここに登場する人物や大型チェーン店と同じ世界で活きてきたので肌で感じるものがあり、私自身が本の現場に飛び込んで野次馬になった気分でした。しかし、私は長くこの世界に活きてきましたが、どうしてもいま一つ馴染めず入り込めない違和感がありましたが、それが何んだったのかやっとわかりました。
同じ世界で同じコンピューターを駆使しながらも、アナログ思考世代とデジタル思考世代との大きな隔たりだったようです。我々アナログ人もコンピューターを「道具」として経営してきましたが、彼らはデジタル思考でコンピューターを「頭脳」として経営していました。ここには大きな違いがあります。彼らは持ち前の優秀な頭脳にさらにコンピューター頭脳が加わるのですから無敵で限りなく神の領域に近づいてます。彼らは膨大な情報知識(智慧でない)を基にして経営判断をしていますので、情報量からしてアナログ思考では敵いません。
最近、貧富の格差が問題になっていますが、これらは頭脳の格差とも比例して来るのではないかと思います。コンピューター化によって中間層が淘汰され、アナログ人とデジダル人の二分化が進み、新しい階級が生まれているようです。
デジタル思考の経営者に共通することは、変化が激しく、時が10倍のハイ・スピードで流れるためか、何かに急き立てられているかのように気忙しく、短期で怒りっぽく、馬鹿な従業員との会話は30秒も我慢できないし、愚者を見るのも嫌だというところです。アップルの創業者スティーブ・ジョブスは自社のエレベーターでたまたま居合わせた従業員に質問し、彼の愚答に腹を立てその場で首にした有名な逸話があります。ジェフ・ベゾスも同じでして、私はこの本を読みながらこれは単なる馬鹿を指すのでなく、アナログ思考の人に耐えられないのではないかと推理しました。
彼らはアナログ人を古いとみているようですが、確かに時代はアナログ思考+コンピューターを道具にした経営から、デジタル思考+コンピューター頭脳を武器とした経営へ世代交換が進行しているようです。こうした二分化の進行により、ここ当分は失業問題や社会不安と混乱が続くことでしょう。
諺に「老馬識途(老馬は道を知る)」vs「You can not teach an old dog new tricks.(老犬に新しい事を教えても仕方ない)」、今日もアマゾンへ出荷です。さてさてどちらにしたらいいのだろう。
家を離れてかれこれ12年になるかと思うが、嫁に行くまではと思い毎年飾ってやり、写真をメールで添送していました。どうやらその飾り付けも今年が最後になりそうです。
毎年なんで関東では男雛が左で女雛が右側なのに、関西とくに京都では男雛が右側なのだと考えながら飾っています。亡き母の言い付け通りひな人形はいつまでも飾って置くものでなく、早くしまわないと嫁に行きそびれるとの事で、翌日にしまう様にしています。
いずれのひな人形、セイコ子ちゃん人形も含め30歳になりました。人形は薄黄色に頬が染まりもうそろそろ嫁にいってもいいかなと言ってるようです。昨日たまたま娘が三ヶ月の時に取得したパスポートの白黒の写真を見たらやはり同じ薄黄色に染まっていました。写真を見ながら「早いな〜もう30年かと」と、胸にこみ上がってくるものがありましたがセビア色に変色する前に嫁にいってもらいたいものです。
娘とは3月に香港で会い、4月に日本で、下旬にアメリカで会い、そして56カ国の旅をクリアした果てに5月からスイスに長期に住むようです。そんなことで5月までファミリーサービスと覚悟を決めて大切に楽しむことにしました。
かわいい娘 旅をさせたら 帰らない (サラ川柳)
おもしろや 今年の春も 旅の空 (芭蕉)