Merry Christmas!
いろいろな神々が移民してきたアメリカは "Merry
Christmas"と言葉を交わさずに "Happy holidays season"と挨拶するようになってから、本来のアメリカン・スピリットを失ったような気がします。
別にクリスチャンでなくも、この日を素直にメリークリスマスと祝ってもいいと思うのだが、ここらあたりが一神教徒の器量の狭いところです。
さて、今年もよく飛びました。ご苦労様で自分に花束贈呈です。
今年もJALのフライトが13万マイル(20万キロ)を越えてダイヤモンド・メンバーを軽くクリアしました。地球を約4.5周です。さらに12月でライフタイム・マレージが200万マイル(320万キロ)を越えまして、JALの翼で地球を約70周したことになります。まぁよく飛んだものです。
今年もどうもありがとう!!
2014年もベガサスとなって天馬空を元気に飛びます。
2013年12月アーカイブ
上の写真は12月14日早朝の上海です。左側に東方明珠塔が微かに見えます。今年の上海の大気汚染はひどいもので、ホテルの部屋に配達された英字新聞の一面に大きく「朝もや」の公園で数人のグループがマスクをして太極拳をしている写真でした。さらに北京空港では「濃霧」のため84便が欠航したニュースでした。
中国はこの大気汚染の日に、無人月探査機「嫦娥3号」(かぐや姫3号)を打ち上げて成功させました。かぐや姫が月に帰りたい気持ちがよくわかる。たいへん結構な事でして「おめでとう!」
この環境汚染の中を何故に月へ、さすがに一般民衆はしらけ、国際社会でもさしたるニュースになりませんでした。国威発揚、中国の夢、政府への求心力と民族意識の高揚のもくろみは外れてしまったようです。彼らにとっての関心は、遠い月のことよりも、近くの環境汚染の改善にあります。
(林の下に夕で「夢」の略字、中央は共産党、上に「乱」が)
中国は漢字の国ですから、街中を歩くとそこに貼られているスローガンで、今の国家目標が何かがわかります。そしてそれが社会問題の裏返しであることもわかります。前政権の時は「和諧社会(格差のない和の社会)」でしたが、格差はますます広がり和のない社会でした。現政権は「中国之夢」となりました。私は「夢」のスローガンを評価していますし、中国には夢が必要ですので、指導者の気持ちもわかります。ですが現実はまったく夢もなく、さらなるニヒリズム社会を呈しています。笑い話しに「中国人の夢はアメリカへ移民して、アメリカン・ドリームを獲得すること」の程度です。
それに今回はホテルのロビーで中国人の顔を観察してましたが、目の周りが腫れぼったく疲れた様な人相で、以前より悪くなってきていることに気づきました。やはり「夢」が必要のようでした。
今回の中国出張では日本のお客さんが同行ということで6年ぶりに私の好きな珠海のホテルで3泊しました。朝目が覚めカーテンを開けると朝陽に照り映えた海が一望できることを売りにしているリゾートホテルです。
朝6時半に起きて楽しみにカーテンを開けると、朝陽はなく霞んだ海が一望できるだけでした。6年の間に大気汚染が南海のリゾートにまできていました。香港の空が年々汚れてきていることは知っていましたが珠海のこの有様を目にするのもショックでした。
珠江デルタ工業地帯、深圳ー虎門ー中山ー珠海を車で2往復しましたが、高速道路の前方と左右200メートル先が大気汚染で景色が霞むということは、私らはその霞に中を走っているわけでして、これはたいへん事です。やはり3日目で喉がかすれてきたし、珠海のタクシーの運転手もいやな咳を始めていました。
愚民政策で彼らは「30年前のアメリカも大気汚染で同じ状況だったが今は解決している」と言うから、「お前はこの環境汚染の中で30年待てるのか、その前に死んでしまうぞ」返してやったら、「私たち一般はお金がないから海外に移民もできない、しかたなくこの大気に耐えるしかない」とのことでした。まさに中国ニヒリズムで、豊かさと引き換えに何かを失いました。
私は今の中国に対する関心は、政治でも経済でもなく、彼らが生存できる、空気、水質、土壌、食品の改善だけとなっています。すでに待ったなしの所まできていまして、このまま放置すれば近い将来たいへんなことになるからです。
そんな事を考えながら、12日に珠海から上海に移動する機上で、大気汚染がどの程度までなのかカメラで撮らえてみました。なんてことはない、環境汚染は下界だけの問題で雲上は青天でした。下界の我々が愚かにも自分たちで大気を汚染させ、その中で喘いでました。天上にツバをすれば、バツとして反ってくる自業自得いうものでした。これは下界の人たちが解決するしかない問題で、中国の指導者に早急に対策を打ってもらいたい課題です。
中国の離婚率は1980年の4%から年々増え続け、2011年度は15%に達しています。1日平均5000組が離婚し、役所に並ぶ結婚届けの列より、離婚届の列の方が長いということです。いとも簡単に別れてしまう一種の社会病理現象ともいえます。
更に今年3月に不動産税が改正されてからこれに拍車がかりました。これまでは住宅の売却額の1〜2%を課税し、1軒の住宅に5年以上住んだら非課税でしたが、改正後は売却益の20%が課税の対象となり、2軒を所有している夫婦が離婚して1軒ずつ所有すれば非課税となります。まるで離婚奨励税のような抜け穴です。離婚後にまた復縁してもよいわけで、「上に政策あれば、下に対策あり」です。
そんなことで今年は9月までに富裕層の多い北京、上海市では離婚率が40%に急増し、北京で4万組、上海で4万4000組以上が離婚しています。私が神なき国のニヒリズム、心の汚染とする所以ですが、ここでは役所に並ぶ列だけを述べて、コメントを控えます。
(教会をとり巻く礼拝者の長い列)
リマの旧市街地にサン・フランシス教会があります。地下墳墓に1万体が安置されていることで有名な教会です。90%〜95%がカソリック教徒のお国柄、毎月28日には教会に生花を持ち1時間の長い列を並んで祈りを捧げる人たちがいます。暑い夏も寒い冬でも長い列だそうです。私は折よく28日にリマ観光でしたのでこの行列を見られました。
服装からしてけして豊かな人たちでありませんが、心は豊かな人たちに見えました。たぶん他の教会でも同じ様な祈りが捧げられていると思います。「上に神あれば、下に幸あり」信じる者は幸いなるかなです。私がこの国を好きになって由縁です。
リマから300キロ離れた田舎町、朝もやの中を三輪タクシーが元気に走っていました。たとえ豊かになっても失いたくない元気です。
政治家の仕事は国家を守り、国民を守り、そのために経済を発展させ国を豊かにし、国民を豊かにすることに尽きます。いたずらに他国との緊張関係を醸し出したり、利権や私欲のために権力闘争などすべきでありません。フジモリ元大統領の功績は今でも中間層や貧民層から惜しまれています。ペルー共和国は国際プレーヤーとして発展途上にあり、優秀なリーダーを必要としています。
政治に先行してペルー料理は南アメリカを代表する世界のブランドとして頭角をあらわし注目されてきています。料理の美味い国には優れた文化があるものです。先住民の地に侵入したスペイン人、黒人、移民した中国人、日本人、イタリア人、フランス人等が持ち込んだ料理を融合した「クレオール料理」になっています。
リマに滞在した11月28日はアメリカの感謝祭でした。私の一番好きな休日でして、毎年この日に家族で海外旅行を計画し、晩餐をとりながら今年一年も元気に過ごせたことに感謝して祝杯をあげています。
今年はリマの「ALERSSCO」レストランでペルー料理となりました。
先ずは乾燥したコーンを炒めたつまみで、ピスコサワー(ブドウ果樹の蒸留酒)で乾杯!
前菜として「これを食べずにペルーに来たと言うなかれ」の名物「セビッチェ」、白身の魚、タコ、エビ、イカを、レモンとお酢であえ、紫玉ネギを加えた海鮮マリネ。くせになってしまう味です。それにタコの墨焼き、大粒のコーン、ホテト、サツマイモ、トマトとなりますが、ご当地の野菜の美味しさに唸ってしまう。
チキン料理もはずせないのですが、これだけでもうお腹がきついのでパスしてペルー産の赤ワインで一休み。メイン・ディッシュはアロン・コン・マリスコス(魚介類の炊き込みご飯)。そして最後にペルー・コーヒーと、ペルー三昧でした。
ペルー料理のいいところは高級レストランでも大衆食堂でも、みな同じメニューで同じ美味しさで楽しめるところです。誰もが同じ物を食べるという民主的な大衆料理になっています。ここがペルーの良さなのかも知れない。
下の写真は海辺の小さな町のレストランでのランチでしたが、やはり同じ美味しさでした。
それではこれにてペルーの旅を一段落させ、バージョンをアジアに切り換えて出張の準備に入ります。インカのおばちゃんお元気で!
(ハチドリ)
北米アラスカから南米チリまでの14カ国を、太平洋岸に沿って全長45000Kmに渡るパンアメリカン・ハイウエーが走っています。私にとり夢のハイウエーです。
ナスカの地上絵を視るためパンアメリカン・ハイウエーに乗り、首都リマから南太平洋沿いに車で3時間半、約500Km南下してピスコ空港まで行き、そこからセスナー機で40分ほど飛んでナスカの上空となりました。
ナスカの地上絵は紀元前200年から紀元800年のナスカ文化時代に描かれたものとされています。乾燥した盆地状の大原野に描かれた動植物や幾何学図形が、何のために描かれたのか未だにミステリーとなっています。太陽の運行に関する農歴説や、労役福祉の公共事業説、雨乞いの儀式説、宇宙人説などがありますが、どうやら雨乞い儀式説が有力になっています。
地上絵は一筆書状になっていて、サイズは46mのクモや、96mのハチドリ、135mのコンドル、285mのフラミンゴ等々の絵があり、乾燥した南太平洋沿岸の人々にとり夏至と冬至は雨期と乾期の節目となるので、雨乞いする祭儀の打楽と舞踊の通り場だったと考えられています。また近くに左巻き状に地下に入り込む墓底にミイラがあったことかしれ葬儀の式にももなったかも知れません。私の仮想ですが一筆の道をアメリカン・インディアンがダンスをしながら踊り歩く儀式を想像すればよいのかな思います。
(宇宙人が右手をあげて"Hi")
私は小学生の頃から宇宙人説でしたが、当地に長く住むというガイドに「UFOをこれまで一度も見ていませんので宇宙人説はありえません」と、釘を刺されてしまいました(>_<)しかし、天上の太陽神に向かい地上から大きな絵を描いて祈りを発信するとは、まぎれもなく宇宙的な発想になっていました。古代の人々は自然の律動と呼応した宇宙感覚の中に生きていたようでした。であるからこそナスカの地上絵から放射される鼓動が、私たちの遥か彼方に潜む記憶を呼び覚まし、心に共振してくるのかと思います。私たちもセスナーに乗って、天上から神の目でナスカの地上絵を、宇宙感覚で観賞したいものです。
さらにカイドから「折角の観る機会ですから、写真はインターネットでダンロードできるので、カメラのレンズを通さずに裸眼で視ることを勧めます」とアドバイスされした。これには素直に納得し、そうすることに決めました(したがい掲載した写真はインターネットからの借用となりました)。
1994年12月に世界遺産に登録されましたが、最近の気候変動とパンアメリカン・ハイウエーの車の増幅により急速に破壊が進んでいるようですから見るなら「今でしょ」。(ナスカの地上絵を分断して走るパンアメリカ・ハイウエー。セスナー機から撮影)
クスコからマチュピチュまで3時間半、パラノマ登山列車でアンデス山脈の渓谷と、アマゾンへ注ぐ渓流に沿って行くと荘厳な景色にここが自然遺産と文化遺産の複合世界遺産として登録されていることが理解できます。
列車に揺られマチュピチュの玄関ウルバンバ渓谷(2430m)にたどり着く頃には、アンデス山脈の神聖さにすっかりインカの洗礼を受けてしまってました。さらにバスに乗り換えて30分ほど登ると、やっとこさマチュピチュの「天中の神殿」となります。最高神である太陽に祈りを捧げる神殿ですが、よくもまあこんな山奥に創ったものだと信仰の力に感動を覚えます。
インカ帝国が1440年に起工して1572年スペインに降伏し滅亡する間に、面積13kmに200戸、約750人が住み、段々畑3000枚、平和で健康的な暮らしを送っていたとされています(今は観光客が1日3000人)。
インカの宗教観は、天の父「太陽神」と母なる「大地神」と、恵みの「水神」の三層からなり、天上を守るコンドル、地上を守るピューマ、水を守る蛇となっています。インカの信仰が太陽神と大地母神は知っていましたが、水を神聖と位置付けていた叡智に感動しました。人類にとり水の問題は古くからの課題であったし、未来永劫の課題であるわけでして、この叡智は未来を示唆していました。山頂のマチュピチュ廃墟に張り巡らされた精巧な水路を観た時、生存に水がいかに重要かを再認識させられ、これから世界的に始まる水の問題を連想してしまった。
太陽の神殿の頂上に「太陽をつなぎ止める石(インティワタナ)」が置かれ、夏至と冬至が正確にわかる窓が設置されていました。石柱を地球軸の傾き23度に合わせていた事はおどろきです。平らな所は生け贄の儀式が行われた祭壇と推察できます。
インカの宗教観、大いなる宇宙ー母なる地球ー恵みの水、三位一体を構成し、コンドルの翼となって今なおアンデス山麓に脈々と棲息しているかのようです。
ペルーの旅行から帰ってきました。
4日間でクスコ市内、マチュピチュ、リマ旧市内、ナスカ地上絵と、1日1カ所のペースで世界遺産を観光してきたので、実に効率よく充実した旅でした。
先ずはインカ帝国の首都で文化の中心だった「クスコ(Cusco)」は、現地ケチュア語で「へそ(世界の中心)」の意味になります。インカ帝国は1200年からスペインの侵入で滅亡する1532年ですから、それほど古い歴史でなく、今もなおインカ文化の香りが漂っています。
飛行機でいきなりアンデス山脈の標高3360メーターのクスコに降り立つのですから、富士山の頂上を旅行するようなもので、重い呼吸に軽い頭痛を覚えます。よくもまあこんな高台に帝国を築いたものだし、よくもまあスペイン人もここまで略奪に来たものです。
高地のため二日酔いのような状態で市内観光を始め、まず興味を持ったのは大聖堂でした。こうした教会はヨーロッパ各地に優れた建築が多いので、さほどの興味もなく入場しました。中に入るとインカ文化の石の壁を使った建築方式の上に、スペインのカソリック文化が融合したものでした。インカの石積み技術は石と石の間にカミソリの刃一枚も通さない巧妙なもので、世界遺産に耐えるに十分な巨石文化の構築でした。
私が感動したのは大聖堂の至る所の壁や肖像の付近に鏡が飾られていたことでした。他のキリスト教会にこれほど多くの鏡を飾った所があっただろうか(もしあれば教えていただきたい)。ガイドの説明では「鏡はヨーロッパでは自分の姿を映す物ですが、ここでは祈っている己の本心の姿を映し出すものだ」と言ってました。なんとこれは日本の鏡の信仰と共通するものであり、巨石文明の太陽信仰名残りと推考しました。
さらには十字架にかかるイエスキリストの像がインカの原住民の黒い肌でした。描かれた多くのマリア像もインカの太った山のような体形の女性で、霊魂は山に還り再生されるという山岳信仰でイエスキリストの処女降誕を受け入れていたようでした。極めつきは壁に掛けられていた「最後の晩餐」のテーブルに上に出されていた食事が小豚の丸焼きでした。ユダヤ人は豚肉を食べません。このいい加減さの文化抵抗に笑ってしまった。これらはまさにインカ文化とキリスト文化が変形融合した「クレオール文化」を象徴したもので、文化のルーツとは誠に根強いものです(惜しことに内部の撮影は禁止でした)。
クスコ宇宙のへそ