また曾野綾子女史の著書を読んでしまった。今回は「働きたくない者は、食べてはならない」という曾野さんらしい厳しいタイトルでした。最後の締めは「老人は死ぬまで働かねばならない。人間とは倒れる瞬間まで働くものだ。少しもみじめでない」とあるが、私もそうありたいものです。倒れるのも前向きで、、
いざ行かん 雪見にころぶ ところまで (芭蕉)
またして曾野女史の著書になってしまいましたが、それにはやはり理由があります。第一に、今のご時世にこれほど明確に真正面から人間の基本(ファンダメンタル)を説く人は、男女の作家、評論家を見わたしても群を抜いています。それに物書きの職人でして面白く一気に読ませてしまうものがあり、やはり当分は曾野さん参りが続くようです。
いくつかの章で靖国参拝が書かれてまして、靖国を参拝しない政治家の言い訳けを、竹を割ったかのかの如くバッサリと切り捨てています。真の信仰を持つ人の言葉です。人間が生きて行く上で基本を忘れたくないものです。ここでも「靖国で会おう」が大切な言葉として書かれていました。これは命がけの別れの言葉でして、この重い言葉を気軽に使ってしまった自分に、なんとも情けない思いにさせられました。曾野女史に叱られているようで、また一から出直して参拝です m(_ _)m
さて、これから曾野さんの対談「人生の基本を忘れた日本人、この世の偽善」を、機上で読みながら南米ペルーのマチュピチュに出かけてきます。世界遺産ベスト一位にランクされた名所です。私にとり世界一はブータンのタクッアン僧院ですが(ブータンに世界遺産はありません)マチュピチュはなんぼのものか楽しみにしています。今回は出張でなく年に一度のバケーションです。
帰ると12月です。私は新商品開発会議で香港、珠海、深圳、上海、群馬と、もう一回りしてきます。12月もよい月にして行きましょう。
11月6日早朝、千歳空港に向かう時に札幌駅の北口でチラシを配っている人がいました。その前を通り過ぎホームに向かう瞬時に、彼は私をみて少しためらった表情でチラシをくれました。
札幌のことですから反原発か左派系のチラシだろうと思いながら電車の中で読みますと、「自衛隊の経験を社会に生かそう」、陸・海・空自衛官候補生募集、資格18歳以上27歳未満、採用任期3年〜のプログラムでした(私を二十代と思ったのだろうか^^;)
チラシを読み終え、流れる景色に目をやりながら、ぼんやり学生時代の同志のことを思い出していました。当時、私は徴兵の代わりに3年間の留学を決めていましたが、もし留学していなければ自衛隊に入隊していたかもでした。同志は自衛隊に入隊し、薄給の中から私が卒業して留学するまでの8ヶ月間の下宿費を援助してくれました。送別に木刀をくれ「俺は自衛隊に入隊したが、お前は留学して王道を行け」と、送りだしてくれました。
同志「志水文人」は、左利きの剣道二段、大分県竹田市から上京し、目の澄だ精悍な感じで「山口二矢」を彷彿させていました。当時の私は坊主頭の学ラン姿で通学していたものですから右翼とみられたのか、彼が所属していた政治団体にスカートされたわけです。私の政治への目覚めでして、彼とは昼休みによく学舎近くの靖国神社を散歩しながら天下国家を語り合い、大酒飲んで酔っぱらっては夜の街中を「蒙古放浪歌」や「昭和維新の歌」を、大声で歌ったものでした。
私が留学を終え渡米する前に東京芝のホテルロビーで再会をした時、彼は「自衛隊に入ってよかったのは、三島由起夫の自決事件を自衛隊員として経験したことだ。俺はいま竹田に帰って政治運動をしている」と話してました。風のたよりでは沖縄問題に取り組んだようでした。
それから長い無沙汰となり、久しぶりに届いた知らせは肝臓がん末期で入院中とのことでした。お見舞い行く約束し、彼もそれを楽しみにしていたようですが、間に合う事なく仏前に合掌となってしまいました。享年55歳。戦後レジーム体制と戦った戦死者でもありました。
彼の御霊にも靖国神社に行けば会えるような気がして、11月9日に靖国を参拝してきました。